絵画修復士

 ルーブル美術館の館長は困っていた。あの有名な「モナリザの微笑み」に最近違和感を感じるようになってきていたのである。絵が偽物にすり替えられたというわけではない。ここ三ヶ月間の監視カメラの映像をチェックしたが、不振な動きを見つけることが出来なかったからだ。

 しかし、館長の眼にはモナリザの肌が少しばかりくすんで、こころなしか笑顔もぎこちなく感じるよういに見えるのであった。やはり自分が気づいていない間に絵は偽物にすり替えられたのではないだろうか。不安で夜も寝れなくなっていた彼は、友人の評論家にも相談をしてみた。評論家の意見も館長と同じく、本物には間違いがないのだけれど、以前とはどこかが違うように見えるとのことだった。

 ルーブル美術館にはモナリザを見るために世界中の人が集まってくる。モナリザは人類の宝なのである。そのモナリザに変化が現われてきたということは、大変な事態である。最近はモナリザの謎をテーマにしたテレビ番組や小説、映画などが作られている。館長としても、モナリザがさらに注目を浴びることは美術館の来館者数の増加にもつながるので助かる。そして、人類の至宝である作品を世界中の人に知ってもらうことは美術に携わる人間としてのなによりの喜びである。

 だからこそ、モナリザに見られる違和感は重大なのである。美術館の館長としての責任を問われるのみではなく、人類史における大失態をなした人物として名を連ねてしまう。

 館長はある絵画修復士に相談をすることにした。その絵画修復士は世界で最も優秀であると言われている。彼が修復を行なった作品はあまたあるが、ゴッホの「ひまわり」を手がけたときの話は有名である。彼が一週間ばかり預かっていたら、「ひまわり」は今まで以上に活き活きと咲き誇って戻ってきた。関係者やマスコミからは彼の技量を絶賛する声が絶えなかった。しかし、彼は決しておごることなく、「肥料をあげただけですよ」とコメントをしただけであった。

 絵画修復士は程なくしてルーブル美術館にやってきた。彼は「モナリザ」を見るなり、「少しばかり疲れていますね」と言った。そして、一週間ばかり家に持ち帰ることを希望した。しかし、館長は作品の修復を秘密裏に行ないたいこともあり、一晩でやって欲しいと願った。「出来ないことはありませんが、結構大変なんですよ」と修復士はしぶしぶ引き受けることにした。

 「モナリザ」の前に立った修復士はおもむろに「行ってきます」と言うと、絵の中に手を突っ込んだ。館長は驚きで声も出なかったが、よく見ると絵には穴は空いておらず、修復士の腕が絵の中に入り込んでいたのである。館長が目を丸くしている間に、修復士は絵のなかにすっぽりと入ってしまった。

 どのくらいの時間が経っただろうか。館長は眠りもせずに修復士の帰りを待った。窓から朝の光が差し込んできた頃、修復士は戻ってきた。

 「モナリザに栄養ドリンクを飲ませて、お笑い番組を見せてきました。」修復士は説明した。館長は「モナリザ」を見た。モナリザの血色は確かによくなり、表情も活き活きとしていた。しかし、大口を開いて笑っているのは、いかがなものか。館長は笑えなかった。

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