第27話 ケンカと迷子と本当の気持ち
花火大会の翌日の朝、紗江に例の石に変化があった事を聞いた俺は紗江と一緒に祠の前に来ていた。
「うーん......言われてみれば少し青味が強くなっている気がする。」
「やはりそう見えますか?」
言われてみれば気が付くレベルだけど確かにそんな気がする。
石が光っただけじゃ紗江が帰れるかは分からないけど、それでもまた一歩ゴールに近づいた事は確かだろう。
この件に関しては優奈のお陰だ。優奈がああいってくれなかったら、来年の春には俺と紗江はお縄になっていたかもしれない。
「紗江!良かったな。これで家族の元に帰れるかも知れないぞ!」
優奈も喜ぶだろうし、俺も勿論嬉しい。だけど一番嬉しいのはやっぱり紗江だろう。
「そ、そうですね......帰れるかも知れませんね......良かったです。」
紗江は大喜びすると思っていたが、相変わらず取って付けた様な笑顔を張り付けていて、いつもの様に無邪気に喜んでいるような感じじゃないし、気のせいか、紗江の歯切れも悪い気がする。
「どの位で初めに紗江が見た時の様に光るか分からないけど、それまではここに置いておこう。」
「.......はい。」
力のない声で返事を返す紗江の事が気になりつつも、俺達はそのまま家に戻った。
♢♢♢
午後三時、ゆっくりと味わう様にアイスを食べる紗江を前に、俺は今後の見通しを熱く語っていた。
どの位で帰れるまでの明るさに光るのか。
他に必要が条件があるのか。
何か持って帰れる物があるとしたら何を持って帰りたいか。
無意識に、いつもより饒舌に一人でしゃべり続けた。
「圭太殿は......寂しいとは......思わないのでしょうか?」
すると、俺の話を黙って聞いていた紗江がスプーンを置くと、俯いたまま呟いた。
「寂しい?何がだ?やっと元の時代に帰れるかも知れないんだぞ。」
「帰れるかも知れないことは嬉しいです......けど、私は......それ以上に寂しく思って......」
「はぁ、あれか?シュークリームもプリンも食べられなくなるとか、そんな事か?そんな事言ってたって―――」
バンッ!―――
紗江が突然テーブルを叩いて立ち上がった。
「違います!!」
紗江は何かに耐えるように歯を食いしばっている。
「私はそんな事を言っているのでは......もう......もういいです!圭太殿のバカ!間抜け!トンマ!あほう!」
最近じゃ小学生でも言わないような悪口を俺に叩きつけると、紗江はリビングから走って出て行ってしまった。
俺は出て行く紗江の後ろ姿を黙って見送りながら、どこかで自分が悪かったことを自覚していた。
俺はこの時、紗江の気持ちにも、自分の気持ちにも気づいていたんだと思う。
ただ、何かが怖くて、昨日の紗江の涙も、俺の中のモヤモヤした気持ちも見ない振りをしていたんだ。
紗江がリビングから出て行ってしまった後、俺は自分の部屋に戻って部屋の整理をしながら、なぜ紗江の気持ちや自分の気持ちを誤魔化すような事を言ってしまったのか考えていた。
昨日、紗江に腕を抱かれた時に俺は衝動的に紗江を抱きしめそうになった。
だけどその瞬間、俺の脳裏に一瞬だけ穂香の顔が浮かんだんだ。
忘れかけていた一年も前の事を今更思い出して臆病になってしまうなんて、俺も優奈の事は笑えない。
一体いつからこんなに逃げる癖がついたのだろう。穂香から逃げて、そして今、紗江からも逃げようとしている。
例え紗江が近い将来元の時代に戻ると分かっていても、これ以上逃げたら紗江の為にも自分の為にもならない。
(紗江に謝るか......)
そう決心して顔を上げると、いつの間にか窓の外が夕闇に包まれていた。
時計を見ると、既に午後6時半を回っている。
紗江はもう夕飯の準備をしている頃だろう。そう思ってリビングに向かったが、真っ暗なリビングに紗江はいなかった。
その後、家中を探したけど紗江はどこにもいなかった。
♢♢♢
(圭太殿のバカ!)
玄関から飛び出した私は、気が付いたら家の敷地から出て山道を登っていた。
圭太殿からは一人で出るなって言われていた事を思い出して、引き返そうとして足を止めた。だけど......
(私が居なくなっても圭太殿は何とも思わないなら......)
そう思うとまた腹が立ってきて、再び山道を登り始めた。
初めて一人で歩く山道は少し新鮮だ。
濃い緑の葉っぱを付けた草木や、木々の間から見える太陽はまだ夏を感じさせるけど、時折吹き抜ける爽やかな風や虫の鳴く声が、すぐそこまで秋が来ている事を告げていた。
そんな風景を写真に撮りつつ歩いていると、さっきまでの悲しい気持ちも少しづつ軽くなってきて、時間を忘れて写真を撮ることに夢中になった私は、いつの間にか人一人がやっと通れる様な細い山道を歩いていることに気が付いた。
慌ててスマホの時間を確認すると17:48と表示されている。
さっきまで青かった夏空もいつの間にか茜色の秋空に変わっていて、木々に囲まれた山道は既に薄暗くなっていた。
私は急いで来た道を引き返し始める。大丈夫だ、ここまでずっと一本道だったはず。
転ばないように慎重に、急いで山道を下り続けていたけど、辺りは急速に暗くなっていき、足元が覚束なくなってきた。
圭太殿に連絡を取ろうにも圏外と表示されていて電話も通じないし、ここまで暗くなっては明かりがないと山道は下れないので、私はスマホのライトを点灯させた。
すると足元を照らすには十分な明かりが灯った。
(良かった!これで帰れる。)
私は慌てず慎重に急いで山道を下り始めた。
どれくらい山道を下っただろう。
急に視界が開けて、車一台が通れる凸凹の砂利道に出た。
圭太殿の家の前に続く車道の終点。ここまでくれば一安心だ。
このまま真っすぐ十五分も下れば無事帰りつくことが出来る。
ホッとして周りを見渡すと、スマホの灯りが照らす私の周り以外はいつの間にか完全に漆黒の闇に覆われていて、ときどき通り過ぎる風が木々を揺らすザワザワとした音が不気味に感じる。
圭太殿に謝って車で迎えに来てもらおうか......
そう思ってスマホを確認したけど、まだ圏外と表示されている。
仕方がない。だけどここまで来たらもう迷う事は無いだろうと思い、私が車道を下り始めた時だった。
突然スマホのライトが点滅したかと思うと、パッと灯りが消えてしまった。
慌ててスマホを確認すると、画面には赤い文字で『バッテリー残量0%』と表示されていて、そのままうんともすんとも言わなくなってしまう。
今朝は満タンだったはずだけど、沢山写真を撮った後にずっと灯りを灯していた為に使えなくなってしまったのだ。
月も出ておらず、漆黒の闇に包まれた世界。
暫く目を瞑ってからまた開いても、目を開いたことさえ分からないくらいの暗闇に包まれている。
恐る恐る一歩前に足を踏み出しても、今、自分がどっちを向いているのかも分からなくて足が止まってしまう。
圭太殿!
恐ろしいほどの静寂の中、ときどき通り過ぎる女の人の悲鳴にも似た風の音や、すぐ横で聞こえるガサガサと何かが動く気配に、急に恐怖心が沸き起こってくる。
夜の山がこんなに怖いものだとは思わなかった......
怖い......怖い......圭太殿!圭太殿!圭太殿!
立っている事さえできなくなり、真っ暗闇の中で蹲ってしまった私は、心の中でただ圭太殿の名前を呼び続けていた。
♢♢♢
真っ暗な山道を車のライトで照らしながらゆっくり進んでいくと、車が行き止まりとなる少し手前の道端に人がしゃがみ込んでいるのが浮かび上がった。
いた!紗江だ!
「紗江!大丈夫か!」
車から降りて急いで駆け寄ると、紗江はポロポロと大粒の涙を流して俺の胸に飛び込んできた。
「うわあぁぁぁーー圭太殿っ!怖かった!怖かったです!」
余程怖かったのだろう。
こんな真っ暗な山の中で独りぼっちは俺だって怖い。
大きな声をあげて泣き続ける紗江を軽く抱きしめてしばらく頭を撫でてやると、ようやく落ち着いてきたようで、しゃくりあげるような泣き声に変わっていた。
「大丈夫か?怪我とかしてないか?」
「ひっく......大丈夫、です......圭太殿......っく......ごめんなざぃ......」
何処を歩いてきたのか、紗江の足元を見ると足首辺りに幾つかの小さな切り傷があったけど、大きな怪我はなさそうで安心する。
「無事で良かった。取りあえず車に乗ろう。」
俺は紗江を助手席に座らせると、車をUターンさせて家に戻った。
「圭太殿。本当にごめんなさい......」
家に戻って紗江の足の傷を手当てしてから、テーブルに向かい合って座った。
向かい側に座った紗江は申し訳なさそうに謝ってきた。そして、どうしてあそこに座っていたかの経緯を説明した。
「取りあえず無事で良かった。でも山は危険だからこれから敷地を出る時は俺に一声かけろよ。」
「はい。分かりました。」
家の裏にそびえる山は標高千五百メートル前後の山が連なる山脈で、都内から日帰りできる距離ということもあって毎年数十万人の登山客が押し寄せ、休日にはメジャーな登山道は登山客で渋滞が起きるほどだ。
それでも毎年多くの遭難者を出していることから分かるように、しっかり準備しないで山に入るのは非常に危険だ。
紗江も今回の事で怖い思いをしたようだけど、これからは勝手に山に入ることが無いように一応釘を刺しておいた。
「でも、圭太殿はどうして私の居場所が分かったのでしょうか?」
「追跡アプリだ。」
そう。俺は紗江が迷子になっても大丈夫なように、紗江のスマホに追跡アプリを入れておいたので、大体の紗江の位置が分かったのだ。
それでも紗江が車道まで出てきてくれていて助かった。
もし車道まで出てきてくれていなかったら、さすがに夜の山中で見つけるのは難しかったかも知れない。
だけど、紗江にそういう行動をとらせた責任の一端は俺にもあるだろう。
だから俺は自分からも紗江からも逃げないで、本当の気持ちを伝えようと遂に話を切り出した。
「紗江ごめんな......俺は何となく紗江の気持ちに気付いていたのに、自分を誤魔化して逃げてたんだと思う。本当は紗江と同じように......紗江が居なくなったらと思うと寂しいと思ってるんだ。」
本当は分かってた。
だからあの石の変化を見た時、また好きな人がどこかに去っていくのに耐えられなくて咄嗟に自分の気持ちを隠したんだ。
すると、真っすぐ俺を見つめたまま話を聞いていた紗江の瞳から大粒の涙がポロポロと零れだした。
「私は......本当は数日前よりあの石が光り始めている事に気付いていたのです。でも......それを知った時、帰れる嬉しさよりも圭太殿と離れる事が寂しくて......だって......」
そこまで喋った紗江は、涙を流しながら少し微笑んだ。
その力強い眼差しと美しい笑顔に俺はまた心を奪われる。
「だって私は......私は圭太殿をお慕い......圭太殿が好きですから。」
その言葉に対する俺の返事は決まっている。
もう逃げる事も自分を誤魔化す事もしなくていい。ただいつも紗江の笑顔を見ていたいだけだ。
「俺も紗江の事が好きだよ。」
紗江に対する今の自分の感情が、純粋な恋愛感情なのかは分からないけど、それでも俺が紗江の事を好きな気持ちに嘘はない。
「圭太殿―――」
大きな瞳をいつも以上に見開いて驚いた顔をした紗江は、突然ガタッっと席を立つと、涙を流しながら満面の笑みで俺に飛び付いてきた。
「嬉しい......私、圭太殿に出会えて本当に良かった......こんなに嬉しい事は初めてです。」
俺の首に手を回し耳元でそう呟いた紗江を、俺はそっと抱きしめた。
♢♢♢
こんなに幸せな気持ちになれたのは生まれて初めてだった。
だから、圭太殿の言葉を聞いて、抱きしめられながら思ったのはあの石の事だ。
あの石が光ったら私はどうしたいのか、どうすればいいのか。
自分の中で今まで答えが出なかった問いに、後から思えばこの時に答えが出たんだと思う。
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