第7話 君のあだ名は。
「百五十六年後?」
彼女は小首をかしげキョトンとした顔でオウム返しに聞いてきた。
「お前が祭礼に行った日から、今お前がいるこの時間までに156年経っているてことだ。」
「ここは......百五十六年
「あぁ、お前の言っている事が本当だったらな。」
逆のパターン、俺が江戸時代にタイムスリップした可能性は、電気やスマホが使えている時点でほぼないだろう。
事の重大さに理解が追い付かないのか、彼女は相変わらずキョトンとした顔のまま俺を見つめている。
「分かりました。」
まあそうだろう、いきなりそんなことを言われても「はいそうですか。」と信じられるわけが.....って、えっ!
「ここは百五十六年
「え?えっと......」
「違うのですか?」
「い、いや、違わないけど......お前信じるのか?こんなあっさりと......」
「吉野殿の身なり、この屋敷の不可思議な
さもありなんって......。
もっと大袈裟に驚いて「信じられませぬーー。」とか言って泣きわめくのが正しい反応だろうに「さもありなん」ってあっさり受け入れちゃうのかよ。
「信じちゃうんだ......。」
「確かに驚いておりまする。御府内でも時折”神隠し”などがまことしやかに噂されておりますゆえ、我が身に起きてみて”噂は誠であったのか”と。」
そう言うと彼女はニコッっと笑った。
いやいや、驚くポイントはそこじゃないだろと突っ込みたくなるが、彼女の笑顔を見たら散々悩んでた自分が馬鹿らしくなってきた。
「まあ、素直に信じてくれて助かるっちゃあ、助かる。」
下手にギャアギャア泣き喚めかれたり、理解できずに何時までも質問攻めに遭うことも覚悟していただけに、あっさり信じてくれた事は正直助かる。
「このような不可思議な入れ物やお日様の様に明るい灯り、何やら捻るだけで水が出てくる筒など見れられてしまっては......取りあえずは信じるより他はありませぬ。」
彼女はテーブルの上に置いてある500mlのお茶のペットボトルを手に取り、天井の照明に透かしながらそんなことを呟いた。
「まぁ、まだ聞きたい事もあるけど、取りあえずお前からも何かあるか?」
「はい。聞きたい事は沢山ありますが、始めに一つお願いが御座います。」
「お願い?」
「はい。先程より私の事を”お前”などと呼んでいますが、私には”紗江”という名前が御座います。失礼ながら旗本の娘である私が、ご浪人である吉野殿に”お前”などと呼ばれる筋合いは御座いません。」
まあ、確かに。
初めからいかにも怪しかったから”コスプレ”とか”お前”とか言っていたけど、彼女は俺の事を始めからちゃんと苗字で呼んでくれているのにお前呼ばわりは無いな。
浪人は余計だけどな。
「ああ、悪かった。じゃあ、何て呼べばいいかな?紗江ちゃん?」
「ちゃ、ちゃん付けなど、私は子供では御座いませぬ!」
紗江ちゃんはダメらしい。少し赤くなった彼女は早口で拒否する。
「じゃあ、紗江って呼べばいいかな?」
「なっ!そそ、そのような......めっめっ、
ますます赤くなった彼女は徐々に弱々しい声になっていった。
「じゃあ、何て呼べばいいんだ?」
「そ、それはっ......”紗江様”もしくは”紗江殿”と。」
紗江様?紗江殿?
泊めてやって飯も食わせたのに様付けで呼べだと?
紗江殿なんて時代掛かった呼び方、恥ずかしくて口にできねーわ!
残念だけど彼女の案は両方とも却下だ。
「両方だめだ。今の時代、"様"や”殿”なんて人を呼ぶことは個人的な付き合いじゃ、めったにないから。紗江ちゃん、もしくは紗江、のどっちかから選んでくれ。」
彼女はますます赤くなって上目遣いで俺を睨んでくる。
「う~ぅ、し、仕方ありま......せん。紗江......紗江ちゃん。紗江......紗江ちゃん。」
下を向いて唸りながらブツブツ呟いているが、俺からすればどっちでもいいから早く決めて貰いたい。
「あんまり難しく考えなくても良いんじゃないか?明日になれば江戸に戻れているかも知れないし、今だけなんだと考えればさ。」
「しっ、仕方ありません。......さっ、紗江......で......」
「分かった。紗江。俺の事も圭太でいいから。」
「けっ、圭太っ?身内でもない方をそのようには......」
「まあ、別に無理しないで、紗江が呼びたいように呼んでくれて構わないから。」
「分かり......ました。それでは......けっ、圭太......殿と。」
彼女は真っ赤になって、またモジモジと身をくねらせ始めた。
「う~ん。......まあそれでもいいか。因みに”紗江さん”という無難な選択肢もあったけど、もう”紗江”に決まったからそれで良いよな!」
「あっ!それっ、それが良いです!さん付けでお願いします!」
「いや、もう”紗江”に決めたから。」
「う~、卑怯です。」
その時、ヤカンがピューピューとお湯が沸いたことを知らせる音を立てたので、俺はコーヒーを淹れる為にキッチンに向かった。
コーヒーを淹れた後、昨日コンビニで買ったシュークリームがちょうど2個余っていたのを思い出し、冷蔵庫から取り出してテーブルに戻る。
「ほら、これ。良ければ食べろよ。」
未だに納得がいっていない紗江の前に、シュークリームを置くと、彼女の目はシュークリームに釘付けとなる。ちょろいな。
「これ......は?」
「シュークリーム。菓子だ。」
「しゅーく?菓子でございますか?」
彼女はシュークリームを手に取るとまじまじと見つめた後、頂きますと言ってシュークリームを口にした。
すると、さっきタケノコご飯を食べた時と全く同じ反応をしている。
そんな反応を見つつ、俺もコーヒーを一口飲み、話の続きを始める。
「お前......紗江の身に起きた事、こっち......この時代じゃあ”タイムスリップ”とか”タイムリープ”なんて呼ばれるんだけど、実際にこういう現象が起きたなんて事があるわけじゃなく、あくまで映画や小説なんかの空想上の出来事だ。だから紗江が江戸から来たって言われても未だに信じ......って、おい!聞いてんのか!?」
俺が彼女に視線を向けると、だらしない口元をモグモグさせ、蕩けた様な目で中を見つめている彼女がいた。
「おい......聞いてんのか!」
「!!......はっ!これは、この甘味は......しゅーむ?」
「シュークリームだ。コンビニのだけど美味かったか?」
「しゅーむりーく......ですか。まるで口の中が極楽になるような、とても、とても素晴らしいお味です!!」
「シュークリームな。」
どうやらシュークリームは彼女のお気に召したようだ。残ったシュークリームから視線を逸らさずシュークリームを褒めたたえている。
だが、いくら見つめても残りは俺のだ。コーヒーとシュークリームのコンビネーションを楽しむ為に今日一日汗水垂らしたと言っても過言ではない。
さっさと食べようと思ったが、今にも涎を垂らしそうな顔でシュークリームを見つめる彼女を見ていると、お預けを食らっている犬のように見えてきたので暫くこのまま見せつけてやろう。
決してお前の口に入らないシュークリームを見て、せいぜい涎を垂らすがいい。
「てか、俺の話聞いてたか?」
「えっ!は、はい。たいむ......何やら。よく聞き取れなかったのですが。」
「タイムスリップ、事故とかで時間を超えて移動することだ。」
「たいむすとりっぷ?」
「......紗江、お前やっぱりただの家出だろう!何でそこに”ト”が入るんだよ!わざとじゃなきゃそんな都合よく”ト”が入る訳ねーだろ!」
「えーと、よく分かりませぬが、たいむ?たいぷすとろっぷ?」
「タ・イ・ム・ス・リッ・プ。だ」
「......たいむ......タイムストリップ。でしょうか?」
ああ、もうそれでいいか。
現に今もノーブラノーパンだし、あながち間違ってないしな。
「そうだ、紗江はタイムストリッパーだ!」
「私は......たいむすとりっぱー?」
「ああ、タイムストリッパー紗江。時代に選ばれし人間だ!」
「私は、たいむ......ストリッパー紗江。」
もう原型も留めていないけど、彼女がそれで良いなら良いだろう。
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