リハーサル イズ デッド

夜の池袋は、人がたくさんいる。


明るい光がビルというビルを照らしている。


ビルの窓一つ一つからスポットライトのように、人込みを映し出している。


駅前から少し歩けば、社会人の集団や、大学生の群れ、怪しい募金活動団体、居酒屋のキャッチ。


色んな人たちがいた。


そう、文字通り、色んな人たちがいた。


ここは、駅からさらに少し歩いて……。


サンシャイン通りを歩いて、アニメイトのある道を歩けば。


楽しそうで、夢のような気持ちを抱えた人々を尻目に。


心に囲まれたように、少女が一人立っていた。


「ここが、池袋のライブ会場……」


南森一凛が立っていたのは、池袋のライブスタジオの入り口。


「私、ここでやるんだ」


ため息に近い感嘆を飲み込んで、茫然としながら中に入る。


エントランスホールから、ライブ会場に入る。


防音扉を開けて、歩いてみれば……客席からリハーサルの様子が見えた。


大きな音がした。


心臓の鼓動を操作されているようにベースが鳴る。


全身の血液を揺らすようにドラムが叩かれる。


その上から、楽曲の色を塗っていくように、ギターとキーボードが弾かれる。


「……もう、始まってたんだ」


客席からスタンディングでメインステージを見れば、現実の演奏者に囲まれて、ライブ用の透過スクリーンに、Vtuberが映っていた。


『~~~♪ ……あ、すいませーんマイクもっとくださーい……~~♪』


「照明タイミング間違ってんぞー」


「すいませーんモーションキャプチャスーツどこですかー! サイズ合わなくて!」


「あ、私〇〇株式会社の……」

「あぁどうもお世話になっております……」


「ちょっとー! 私歌うときの飲み物はミネラルウォーターがいいって言ったじゃない!!! これナチュラルウォーターじゃん!!!!」

「す、すいません! ……同じだろうが……(ボソッ)」



「へぇ……リハーサルってこんな感じなんですね。意外とこう、なんて言うんでしょうか。ライブの映像ってやっぱりメインステージの人しか見てなかったんですけれど、裏方は裏方で戦場なんですねぇ……。しかも、技術のフル活用」


「そりゃそうよ! 音楽って一人じゃ出来ないかんね!」


「あ、隈子ちゃん」


帽子の上から熊のフードを被る少女がニコニコと現れた。


「というか、生演奏するためにMVの締め切りが早まったってヤバいね。なんていうか、金の使い方豪快過ぎっしょ。普通にオケ流して歌うだけの人ばかりかと思ったら、生演奏! 一凛ちゃんにとっては最悪じゃんね!」


「え、なんでです?」


「そりゃ生演奏って生きてる音楽だもんね。リズムや音程一つ狂ったら楽器の演奏もぜーんぶ狂わされちゃう。リズムキープも音程も一定以上のスキルが求められるよ」


「うぅ……初ライブデビューなのにハードルだけが上がっていく……」


「安心しなって。私もいるし!」


「一番不安だぁ……ぐぬぬ」


「まぁまぁ。やりたいことやろーって」


「やりたいこと、かぁ」


南森がふと首をかしげる。


(私がやりたいのはVtuber。でも、Vtuberらしいライブってなんだろう……わかんない。何をすればいいんだろう)


「あ、なんか知り合いいるわ。ちょっと挨拶してくるね」


「あ、うん。いってらっしゃーい」


南森は再び一人で考える。


(……私は、どう歌えばいいんだろう。……不動さんなら、なんて)


「アイギス・レオ ギリーさん入られまーす!!!」


スタッフの一人が大声で叫ぶ。


声優出身のVtuberの中の人や、裏方のスタッフが「おはようございます」と声を上げた。


「あっ……」


南森の口角が少しだけ上がった。


知っているあの人に、再び会えたから。


あの日はよくわからない空気で別れてしまって、文面で謝っただけだった。


だから、直接会えて嬉しかったのだ。


「不動さーん」


手を振って、ここにいることを知らせようとした。


しかし、不動はそのまま裏に入り、歌の準備をしているようだった。


「……?」


南森は、ライブ会場の暗さで意識が行っていなかったが。


「心が、見えなかった……?」


不動瀬都那の心が、全く見えなかった気がした。


まるで何もないようだった。






繭崎が裏でスタッフと打ち合わせをしていた時、死にそうな顔の佐藤が入ってきたのを見た。


スタッフとの話をいったん中止して、佐藤の後を追った。


「おい佐藤、1徹か?」


「……? あぁ。先輩ですか」


たまたま目ざとく気が付いてしまったのに理由はなかった。


「……お前、スマホ落としたか?」


佐藤が右手に持っていたスマホの画面が、大きくひび割れていたのだ。


「……あぁ。これですか」


佐藤が力を入れてスマホを握った。


「腹が立って、投げただけですよ」


「あぁ、まぁあの経営陣と一緒に働いてりゃそうなるわな」


「……それだけじゃ、ないんですけどね」


「ん?」


「先輩、なんでライブ参戦諦めなかったんですか? ……普通にこんな最低な要求をしていったイベント、蹴るのが普通じゃないですか。先輩がウチにいたときは、こういう時僕に怒鳴りまくってたでしょ多分。……なんで」


「……」


「なんで、なんであんなMVを……」


「……目にもの見せてやっただけだろ」


「えぇ、そうでしょうね。だから、僕は……、……」


佐藤は自虐的に笑った。


「なんで先輩は、挑むんですかね、アイギス・レオに」


「……」


「どうせ、あるんでしょ? 先輩には。……ウチのギリーをも凌駕するような、一発逆転のアイデアみたいなの」


「な。なんだ突然。冷静に考えろ。お前が言ってただろ、彼女元インディーズの歌手だろ。キャリアがあるし下地がある。勝つ勝たないの論は無駄だろう?」


「でしょうね。ただ、どうしようもなく不安ですよ僕は。……だって先輩――――」


「……? 今なんて言っ」


ドカン、と会場が揺れた。


「な、なんだこの音、……歌? なんだこの音量」


繭崎が音の聞こえる方を見つめる。廊下の先にある、照明が闇を照らすステージの先へ。


佐藤は、繭崎が背を向けたことをいいことに、そのまま切れかけの電灯が照らす薄暗い廊下の奥に歩を進めた。


「あ、佐藤、ちょ、……ちっ」


繭崎は頭を掻いて佐藤を追いかけた。


暗い廊下の奥では非常口の明かりだけが目立っていた。


ギリーの控室に入る前に、佐藤が呟いた。


「やっと、やっと分かりましたよ先輩。何で諦めないか。何で心が折れないか。……事務所で噂を流した人と、白銀くじらの中の人を轢いた犯人が、アイギス・レオの中の人にいると思ってる。だからアイギス・レオが噛んだ案件を絶対手放せなかったんだ。妄想みたいな想像だけで復讐する計画を練っている。だったら……」


寝不足気味だが、力強い瞳で佐藤は誓う。


「だったら、ウチのギリーを負けさせてはいけない……ッ」


後ろから繭崎が追いかけてくる。その姿はまるで何かを求めるようだった。


佐藤が思い出したのは、ギリーの中の人、不動瀬都那と。


彼女が関わった、交通事故のことだけだった。








不動瀬都那の歌は、ライブ会場のに漂う常識をぶち壊した。


例えば肺活量。


音程の安定感。


リズムキープ。


だけではない。


表現力。


楽曲との相性。


そして、透過スクリーンに映ったアイギス・レオのギリーの演出力。


明らかに、全ての出演者と一線を画していた。


全員が呑まれた。


……ごく一部の人間を除いて。


「これ、なにこれ」


南森が見ていたのは、歌。


歌に感情が乗っかっていたのだ。


他の人間には見られなかった。


バーチャルの少女、ギリーから吐き出される歌から、感情が滲みだしている。


その色は、あまりにも悍ましく。


赤も、青も、緑も、黄色も、いろんな色があった。


いろんな色があるのにもかかわらず、全てが、全てが真っ黒に染まっているようだった。


ドブを煮詰めたような色だった。


色に質感があれば、無造作に人の感情を傷つけていたに違いない。


……いや。


心が見えない人でさえ、顔を真っ青にしている。


まるで、威圧しているような歌、誰から構わず攻撃するような歌で、ゆっくり首を絞められているような気がした。


「無理だよこんなの……こんな人と一緒に共演するの……?」


「なんで、新人ばっか集まるって言ってたじゃん……」


「話が違うって!! Vtuberってど素人の集まりじゃないの?!」


「ま、マネージャー、もうミネラル買わなくていいこれ……帰ってもいい……?」




「なんで、これ……不動さん……?」


違う。これは不動の歌ではないと南森が胸元から服を握る。


あの時、南森が初めて不動と出会った時の歌を思い出す。


あの日初めて、歌に感動した。


生演奏に感動した。


その時交わした言葉を、今でも覚えている。




ロックに歌えよ、南森ちゃん。やりたいことを偽らずに、ほんとの自分でぶつけてくんだよ!!





「これが、ロックなんですか、……こんな、人を傷つけるような、歌……っ」


南森が理想としたのは、誰とでも仲良くできるVtuber。


まるで方向性が違う歌を聞かされて、気が気ではなかった。


「……ったく。こんなガキどもが箱で歌うってのかよ。クソが、ロックじゃねぇ」


「えっ」


南森の隣に、いつの間にか大柄な老人が立っていた。


「えっと、その、どういうことですか?」


「あぁん? んだおめぇ、独り言ぼやいたオッサンに話しかけたら長話の始まりって知らないのか?」


「えっ、その、あの……。聞いてもいいですか?」


「がははっ! なんと長話を所望か。若ぇのに殊勝なやつだぁ。ウチの娘が大きくなったらお前みたいにまっすぐ育って素直なやつになることを願うね」


はげた頭を撫でて汗を白シャツの後ろで拭い、白いひげに触れて大男はこう告げた。


「俺ぁここの一番偉いやつよ。演奏とか、PAやら照明やらの。ま、VR機器なんてのはよ―分かってねぇけどよ」


そう言って男は透過スクリーンにがん飛ばした。


「ったく。ちったぁ嬉しそうに歌ってくれりゃ可愛げあるのにな」


「……あの、その」


「おめぇあれか。白銀くじらって芸名のやつだろ。演るやつが泣いてたぞおめぇの曲難しいってよ。なぁ!」


大男の後ろに控えていたらしい男たちが白タオルを頭に巻いて苦笑いをしていた。


「いや、だって俺ら専門ロックっすもん」

「アニソンだとかボカロみたいな曲もやりますけどマージでわからんっす」

「ホント、マジで超絶技巧みたいなやつ勘弁してほしいっすよ。アレンジ代ただ働き」

「この子はあれっしょ店長、ドルソンみたいな曲の子」


「うるせぇなワチャワチャワチャワチャ!! 聞こえねぇよ!!!」


「……店長?」


「あぁ!? 声ちっせぇなおめぇ!! そうだよ!! 昔ライブハウスの店長だったんだよ!! 今はここで雇われよ!! やっぱライブハウスの経営って難しいなおい! がっはっは!!!」


南森は店長と呼ばれる男の声に驚いてビクッと肩を動かした。


すると、一瞬だけひどく疲れた顔をして、南森にある事実だけを打ち明けた。


「昔、あの小娘が歌ってた箱の店長よ。何の因果だろうな。同じ現場で演るとは思わなんだ。……そりゃ不機嫌にもなるわな、あの不良娘」


「おい、何べらべら喋ってんだオッサン。引退したんじゃねーのかよ」


ふと、あの声が聞こえた。


南森がずっと聞きたかった声。ずっと会いたかった人の声。


「……不動さん」


「……、南森ちゃん? なんで……店長と」


歌ってからすぐに客席に来たのだろう。モーションキャプチャスーツを脱いで、シャツとジーンズのまま汗だくで不動がここに来た。


「へん! 耳障りでクソみたいな歌うたってるやつの正体を拝んでみたいって笑ってたのさ! どうせ呑気にタバコでも吸ったんだろ馬鹿垂れ! 威圧しなきゃ音楽できないやつが俺に指図すんじゃねぇよおい!」


「んだとぉクソジジイ! 久しぶりにツラ拝んだら言うに事欠いて説教か!」


「おうよ、こちとら頑固一徹のライブハウスの元店長よ! 中指の立て方はおめぇより男前よ」


「元、って……あっ、…………ちっ」


ばつが悪くなって不動は目をそらす。


「……けっ、張り合いがねぇでやんの」


店長と不動が言葉少なくなり、南森もどうすればいいか分からない。


「あ、その……練習、お疲れさまでした」


「……おう」


「その、えーっと、……何か、ありましたか? 様子が、いつもと違ってて……」


その言葉を聞いた瞬間、不動は呆気にとられ、目を見開いて、顔をゆっくり青ざめさせた。


「……聞いてないのか、南森ちゃん?」


「え? 何を、ですか?」


「……っ、そっか。……そっか」


意を決して、不動の口が開いた。



時同じくして、不動の控室の中に佐藤と繭崎もいた。


繭崎は肩をすくめて笑った。


「分かってるって。どうせ、なんか言われたんだろ? そして、ドン星さんももう飲み込まれてる。覆せなそうなことを言うんだろ? 早く言えよ」


「……分かってるじゃないですか。…………はぁ」


意を決して、佐藤の口が開いた。




不動が申し訳なさそうな表情で。


「……理由は知らないが。白銀くじらが歌う予定だったボカロのカバー曲とウチの選曲が被っていた」


佐藤が腹の内を飲み込むように、苦虫をかんだように。


「そして、ギリーの出番が一曲増やされた。タイムスケジュール上、誰かの曲を一曲減らされることになった。奇しくも、一人ギリーと同じ曲をしようとしている」


繭崎がその言葉を引き継ぐ。


「つまり、白銀くじらが通常歌うのは3曲だったが、2曲しかないってか? んでギリーが4曲と」


南森は、何も言わなかった。


ただ、茫然と、そして毅然とその事実に立ち向かって、不動瀬都那の目を見つめた。


「これだから金のある所は困る。こんなのクリエイター軽視だぜ」


そう店長は苛立っていた。


しかし、向き合うべきは南森だと考えているのだろうか。不動は南森から目が離せなかった。


「……文句があんなら、実績出せよ。ウチより大きくて、強いところに守ってもらえよ。私にどうしろっていうんだ」


言っている不動の方が、泣きそうになっていた。


「不動さん……」


その目は、南森の瞳は、不動にとって恐ろしいものに見えた。


まるで、全てを覗き込んでいるようだったからだ。


「それが、ロックなんですか?」


南森の言い方は、何かに縋るようなニュアンスを含んでいた。


ただ、その一言にカチンときた不動は、あの日のように。


客席から肩で風を切るように足を進め、メインステージに上がり、ギタリストの前に置いていたマイクを奪った。


そして、歌った。


アカペラで、力強く、他を圧倒すような歌声。


誰もがその歌声に震えた。


だが、南森には響かなかった。むしろ、恐怖した。


「――、なんて、空っぽな歌……?!」


何の感情もない。無意識に、何の感情も入っていない歌。


さっきまでの色が消えて、まるで歌っているときの喜びも、悲しみもない。


技術的に何の感情もいれずに歌うことで他人から様々な解釈を受けられる歌い方もある。が、そうではない。


何もない。


無。


そういう歌だった。


不動の心が、見えない。いや、もしかしたら、透明色なのかもしれない。


だが、或いは……。


もう壊れる寸前の人間の悲鳴のような歌だったのかもしれない。


マイクをステージに置いて、汗だくで南森の目の前に立つ不動。


「これがロックだよ」


そう言って、彼女はエントランスホールに向かった。


おそらく、涼みに行ったのだろう。気持ちも、体温も高ぶっているから。


「どうしよう……」


南森だけが、理解していた。


「このままじゃ、壊れちゃう」


不動は、もう限界だ。そして……。



「こんなの無理だよ……歌えないよこんなの耳にしたら」

「うぅ……わたし、自信ないよもう」

「嘘ついたじゃん! みんな新人だから仲良くなれるって! 嫌ぁ!」

「どうして……私これに賭けてたのに……ぐすん」



周りのVtuberの中の人は、見える限り絶望していた。


泣いている人も多かった。


この光景が、Vtuberの世界だったのか?


これが自分の入りたいと思っていた世界の風景なのかと、南森は悔しくなった。

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