同じ涙でも、一歩ずつ

繭崎は電話で説得を続ける。


「……他のところの、Vtuberはどうしましたか。まさか納得したんですか……」


『……保留になっていて……』


「出来るわけないでしょう! 具体的な締め日無しの話で、一週間前に締めを作ったら、お金をかけていたプロジェクトもとん挫するんですよ。どう回収しろって言うつもりですか……」


『ぐ、うぅ……で、でも……アイギス・レオのギリーさんの参加で歌を聴いてもらえるチャンスも……』


「ドン星さん、確かに聴いてもらえるでしょう。ですがね、分かっているでしょう!? 間違いなくアイギス・レオの一人勝ちですよ!! 視聴者は素直になるでしょうね、たかが何曲にしても、素人の歌を聴いてもらうのは至難でしょう。一曲目、一曲目ですべて判断されるんですよ。ギリーの出番以外は見ない人も大半なんですよ。そのためのMVなんですよ!!! MVがしっかりしていれば、気になってみてくれる人もいる……曲を画像一枚だけで投稿して聴く人なんて本当に物好きだけなんです!!!」


『分かってます……分かってるんです……』


「だったら!」


『もう、どうしようもないんです……スポンサーになった、あの事務所に全部支配されてるんです……もう、私に決定権はないんです……』


繭崎は倒れるように、ソファに座り込む。


おそらく飲もうとしていたコーヒーから、湯気が出ている。


タバコの火をぐりぐりと灰皿に押し付けて、手で目を覆った。


「共同運営は……」


『ははは……、はは……。ねぇ、繭崎さん。私はね、嬉しかったんですよ。私は、ブラック企業で働いてて、Vtuberに衝撃を受けて仕事辞められたんですよ……。そして、Vtuberの新人を応援して、業界をささやかに応援したかったんです』


「……」


『だから、岩波芸能事務所さんが応援してくれると聞いて、嬉しくて……嬉しかったんです……企画も良いものにしてくれる……良いことばかりなんです……で、もっ、……っ。でもっ、ズレてしまった……新人を、応援するっ、はずっ、が……っく……、なんで……こうなっちゃったんですかねぇ……、なんでぇ……、なんで……』


「……その熱意を聞いたからこそ、参加を決めたんですよ、こっちも」


『金が、っ、金があるイベントならっ! だって、みんな幸せにできるって思ってっ!!! 思ってぇ……ぐぅうっ、ぅぅぅ………ひっく……うぅぅぅぅ……』


「もういいです、いいですから……、……・、……。また、追って連絡します」


そう言った繭崎は返答を聞かずに電話を切り、また違うところに電話を掛けた。


電話は、まるで相手が予想していたようにワンコールでかかった。


「佐藤……っ、お前……」


『先輩、僕も今さっき指示受けたんですよ。……上層部がとんでもなく喜んで指示出してました。諦めてください。イベントは共同ですけれど、もうドンさんの手は入らないレベルです』


「……ドンの隣の星も読むんだよ。ドン☆で、ドン星って読むんだ」


『……、先輩が辞めさせられた時の理由が原因ですかね。こんなに嫌っているのは』


「ふざけるなよ佐藤っっっ!! てめぇも、てめぇも信じたのか!!!」


『信じてないですよ。オーディションに来た素人に手を出したなんて噂。……でも、今その素人と組んでVtuberに参入する、なんて。上層部はもう本気で信じてましたよ。例え追い出すためだけの言い訳に使われた噂だとしても』


「社長は……あの人なら、あの人ならこの状況をなんとかできるんじゃないか!?」


『……経営陣全員が、社長を抑えてますよ』


「っ、ふっ、ざけやがって……ぇっ! 俺だけの問題じゃない、あの子の、南森の将来に関わるんだぞ……大人が、未来の夢を壊していいのかよ!!!」


『……、金が全てですよ。夢には、金が必要です。金を操る人間が、きっと、権利があるとするなら……』


「うるせぇ……うるせぇぞ……」


涙声になりながら、繭崎はスマホを放り投げた。


ぼとぼとと絨毯の上に音を鳴らす。


真っ暗な部屋で、涙をこらえる男の前に、作業の手を止めて二階から降りてきたであろうサーシャが、繭崎の隣に座った。


「なんだって?」


「……っ、MVを、っ、今週までに、だとよ」


「そう、ホント腹立つわねそういうの! 新しい業界だからってさ、そういうの後付けで決めるものじゃないでしょ! ふざけてる!」


きっと、サーシャは慰めようとしてくれているのは、空気から感じる。


しかし、繭崎の頭は違うところに目をつけていた。


「……俺なんかどうでもいい、俺のことはいい、ダメだ、ダメなのは、……あの子たちだ……」


「繭崎……」


「俺だけじゃ、オリジナル曲を求められた時点で断ってたかもしれない……。でも、あの子は、南森は頑張った……誰よりも頑張って、あいつ、シャイだろ? シャイの癖に人に頭下げて、曲とダンスを用意できるところまで来たんだぞ……。成長してるんだよ、成長しているのに……、あの子の頑張りをっっっ!!! 俺が報いることができないっ……」


「そんな、あの子にだってあなたの頑張りは伝わってる……。誰があの子のボイトレしてるの? 誰があの子の考えを最大限尊重して、将来を大切に考えて活動させようとしているの? 誰があの子にこの世界を連れてきたの? 全部あなたでしょ!?」


「違う、そうじゃない……。そうじゃない……俺が、俺がふがいないから……南森が、しんどい思いをしてしまう……」


「……馬鹿、泣くほど悔しがることないじゃない……っ……」


「ライブは、ライブはあの子の目標だったんだ……俺は、あの子がVtuberで頑張れるように、下地を作ってやりたかった……あの子が、Vtuber以外の道を見つけても、頑張れるように……。ライブで、ライブであの子が輝けるように、あの子が、失敗しても立ち上がれるように……成功して、誰よりも見てもらえるように……」


「……」


「だから、MVが必要だった……初動が、新人にはすべてなんだ……。ダンス動画、曲が完成してすぐ取り掛かっても、編集が必要だ……一か月前に投稿できればいいと思って動いていたのに……。上手くいく、そんな風に思える努力があったんだ……なのに、全部台無しになるかもしれない……それが、悔しいんだよぉっっっ!!!! ぐぅ……ぅぅぅ……」


「……もう、そこまで考えない方がいいわよ。活動してたらきっと花が咲く。だから、今は耐えなさい。絵なら、私描くから……」


「くそっ……くそっ……南森に、どう謝れば……、……」


二人は気付かなかった。


南森は、いた。


この場にいたのだ。


電話の音は少しだけ聞こえていた。


ただ、彼女はふらっと、立ち上がり、音を立てずに外へ出た。


繭崎の慟哭を聴きながら、彼女は放心して外に出ていたのだ。


「……あぁ」


思わず口を押えた。


涙が、止まりそうになかったから、大声で泣いてしまいそうだったから。


「……わたしっ、……ばかだなぁ……」


喉が、涙をこらえようとするほど痛くなった。


涙は頬を伝って、冬の風が当たって冷たかった。


「なんでも、できるって思って……、でも、それは……っ、繭崎さんが、がんばってくれてたのに……」


全て自分が動かしているような気になっていたのだ。


大きな一歩を、踏み出していた気がしていたのだ。


でも、その一歩は大人たちが背中を支えてくれていたから。


彼女の行き先を、一緒に付き添ってくれていたから。


大人たちが敷いてくれたレールを、自信満々に進んでいたような錯覚すら覚えた。


「わたしぃ……まゆざきさんに、なにも……なにもしてないのにぃ……っ、なにも、なにもぉ……っ……」


ぽたぽたと道路が濡れて、足を止めた。


12月の初頭。


この日、東京で初雪が降った。


冷たい風が吹いても、体は熱いままだった。


思わず座り込みそうになりながら、踏ん張って、家に帰ろうとした。


でも、雪がはらはらと降ってきて、頭の上を濡らしていく。


それがとても重かった、南森は払うことも億劫で、ただ足を動かそうとした。


「……あぁ、わたし、ばか……、本当に、ばか……、自分のことしか、考えてなかった…………ほんと、私は何も変わってない……あこがれた世界に、あこがれてただけの……何もない…………わたし、なにもない……」









南森の部屋は、いつもより暗かった。


雪雲が、月を隠していたから。


部屋の電気をつけずに、ただパジャマに着替えてベットの上に座っていた。


「……」


繭崎が泣いていた姿を思い出す。


自分のことでここまで真剣に考えてくれる人は、今まで見たことがなかった気がしていた。


南森以上に、将来のことを考えている人を、親以外で初めて見た。


その大人が、自分のことで悩んでいるのに、自分は何もできていないと、頭の中で悩みがぐるぐると渦巻いていて、また泣きそうになった。


「私、どうしたら……」


頭の中では、分かっているのだ。


“なにもできない”


大人の世界に、自分では太刀打ちできないのは南森が一番分かっていた。


それでも、なんとかしたい、なんとかしたいと思い詰め、何も考えが浮かばず、自身の無能さを恨むだけの機械になりつつあった。


こつん。


一つ、音が聞こえた。


違和感を覚え、顔を上げるが、気のせいだと思って再び頭を埋めた。


こん、こつん。


二回、何かが叩かれた。


「ぇ……、なに……」


ベットから降りて、立ち上がる。


音は、窓から鳴っていた。


窓を開けると、冷たい風が部屋の中を満たした。


「あ、オキテタ……」


物干しざおで、窓をつついていたらしい犯人は、隣に住むVtuberの君島 寝であった。


「……寝(ねる)ちゃん」


「でぃっ、ディスコード、何回かオクッタん、だけど……ソノ、返事なくて、ドシタノカナーッテ」


「寝(ねる)、ちゃん」


「ご、ゴメン。チャットも、こう、久しぶりで、セカシテゴメンネ、うん、ゴメン」


「そっち、行ってもいい?」


「フヒッ!? えっ、ナンデ?! ナンデ!? ふぇっ!?」


「……ゲーム、したいなぁって、なんとなく」


「ア、 ウン。いーよ。配信、23時からだし、チョットダケ、チョットダケ」


「……いいの?」


「い、いいよ! ダッテ、幼馴染、幼馴染だし、ウン!」








「はーいみんなヤホー。ネルだよー。今日はねー、『ARK』でティラノ捕まえるよー。はぁいヤホー。ん? いやワコツめっちゃ言うじゃん。古のヲタ紛れ込みスギィ。じゃ、今日まで生き延びたニコ動古参民挙手。……おるやんけ結構。笑いすぎて藁になるわ。よくようつべに来たねぇ。え、今の人ってようつべって言わんの?」


普段より口調もスムーズな君島寝が、マイクをセットして実況を始める。


ウェブカメラで表情を読み取る『Face rig』を使用して、3Dの女の子を、君島の表情と動きに合わせて動かしていく。


「やー、今日すごい人くるね。600来てるじゃん。すごいね。でも今日はね、ドジしないから。ホント、前みたいにパパ来ることはないことは確か。あー〇〇さんスーパーチャットありがぁっとぅっ! 何々、『ティラノの餌代』? なんだよティラノの餌代って。私にちょうだいよw なんでティラノにスパチャ投げてんのさ!! ネルを見てよ! ほぉらかわいい。……いやパパの方が可愛いってなんだよぉおお!!」


「ふふっ……」


想像以上に大きく体を動かして、大きなリアクションを取るネルは、南森から見ていて楽しかった。


南森が突然押し掛けても笑顔で迎え入れてくれて、しかも実際にVtuberの様子まで見せてくれると言うのだ。


南森には、その優しさが嬉しかった。


「あー、ちょっと私の声大きい? ゲーム音小さい? はぁい調整しまーす。え、画面も小さい? 私が大きいねこれ、はぁい私小さくしまーす」


そう言って、君島は、3Dの少女のサイズを小さくして、画面を見やすくした。


更にオーディオインターフェースを使用し、音量を調整していく。


「はいそれじゃあ早速ねぇ、ティラノ探していくよー」


そう言ってゲームを操作していく君島。横目でちらちらとコメントを追っていく。


「え。ティラノ捕まえられるのって? そりゃもー、あれっすわ。よくわかんないけ色んなVtuberさんが捕まえてるんだから私も捕まえられるって! 文明? ……文明って何? この前家作ったばかりだけど、なに文明発達しないのって? どゆこと? え、なにみんな。あっ……って言ってるけど、え? ティラノ捕まえられるよねきっと。だってみんな捕まえてるし。ベリー……、え、テイムってベリー必要なの? ……あぁ!! ティラノ見つけた! ティラノ見つけ……ぎゃああああああああああああああ!?」


「へぇ……ゲーム実況ってこんな感じで撮るんだぁ……」


(いつか、ゲーム実況もやってみたいなぁ。そして、ネルちゃんと一緒にゲームしたい……。今の私じゃ、きっとダメだろうけど……)


再び、心の傷がうずきだし、気持ちが落ち込んでくる。


(生放送ってすごいなぁ。編集しないから、ノーカットでひたすらリアルタイムで動画撮っていくから……。この後切り抜きとかつくる人もいるんだよね。取れ高をすごく意識しないといけないって、色んな個人Vtuberさん言ってるもんなぁ)


「えー、ティラノ対策しないといけないの? 大丈夫だっていけるいける」


(基本短くても平均30分~1時間、長いと……確か今のyoutubeなら12時間以上は撮り続けられないんだっけ? そっか。確か大手のyoutuberさんは構成作家さんとか雇ってるって話も聞いたし、長いと大変なんだよねぇきっと。あ、そういえば……)


「大丈夫だって、やめてよみんなぁ。この前みたいに耐久放送しようとしたら3分もしないで放送終わった話は無かったんだって! まさか一発で国士無双出ると思わないじゃん! 国士無双出るまで耐久配信の予定が秒で終わるとは思わないじゃんかー」


「……3分……」


3分という単語を聞いて思い出したの……。


魚里と創ってる音源の再生時間が、3分46秒だったことだ。


「……はは。でも、それでMVは創れないし……」


生放送で、MVを創ってどうする。


南森も流石に突飛すぎたと反省した。


出来るわけがないし、失敗した時点でアウトだ。


人も来てしまうし、何せ生放送で一発で撮るわけなのだから。


しかも、Vtuberがリアルの世界を映してしまってはいけないだろうと、そこまで考えて、南森の頭に衝撃が走った。


(いる。リアルの映像と混ぜてMVを創ったVtuber……、『キズナアイ』ちゃんとか、『斗和キセキ』ちゃん)


前者はダンサーを、後者はバンドを実写にしていた。


特に、『斗和キセキ』は投稿している動画でかなりの頻度でリアルの世界を映している。


もしかしたら……と、そこまで思って辞めた。


生放送でMVを創るという発想と、Vtuberをミックスなんて出来る気がしなかったからだ。


だが。


だが、だ。


もし、成功したら……。


上手くいったら、みんな気になって見てくれるんじゃないか。


南森の頭に、天使と悪魔が現れた気分だった。


(これ以上、繭崎さんに負担をかけたくない。失敗したら、繭崎さんが自分を責めてしまう、いや、そもそもこんな素人アイデア採用されない)


(でも、見たことないよ私。生放送で一発でMV創る人。もし出来たらすごいよ。Vtuberになって、テーマを決めたじゃん私。みんなで楽しむって決めたよ)


(最初、私は「みんな」って、Vtuber全員で盛り上がればいいと思ってた。さっきまでそうだった。でも、私ライブに本気だったよ。現実に生きてる人に向かって挑もうとしてたんだよ。じゃあ……)


(現実の人とも一緒に盛り上がれるものを、創れるんじゃないかな)


(……失敗しちゃダメ?)


(失敗しちゃだめだよ!! Vtuberになるなら、失敗しちゃ!)


(……じゃあ、公務員目指せばいいのに? 何で私、Vtuberになりたいの?)


(ダメだよ!!! 撮影するのは誰? そもそもMVで何を撮るの? 3Dのアバターとどうやって現実を混ぜるの? ダンスをするの? どこで撮るの? 音楽はどうやって流すの? 現実が見えてないんだよ私!!)



「いいんだよー。今あるもの使っちゃえば」


「……えっ?」


思わず声を出して、君島の方を見た。


ヘッドホンをつけていた君島は気が付かなかった。


「やりたいことやらせてよー。やりたいことやるために、Vtuberやってるんだからさー」


南森が、ネルの画面の光に吸い寄せられるように立ち上がる。


「失敗したって死にはしないんだからさー、指示厨~。困ったら頼るからさー。Vtuberネルのジャンルはネルなんだからさ、諦めてくれめんす。え、いやいや燃やさないでよwww」


南森が、ぼそっと、誰にも聞こえないよう言葉を漏らした。


マイクも運よく声を拾わなかった。


「……どうすればいいの?」


君島は、何も聞こえていない。


だから、これは君島の運が良かったのか。


あるいは……。


「うっさいなぁwww ほら、みんな私を支えてよwww」


ニュアンスは、別だが。


南森は、非常に自己中心的な解釈で受け取った。


(……支えて、もらってるよ。もっと、支えてもらうの? 一人じゃ何にもできない私が、もっと支えてもらうって、本気?)


(繭崎さんは、繭崎さんなら、なんて言ってくれるかな? くまこちゃんの曲のように、煽ってくるのかな? それとも、大野君のダンスのように、酷評されちゃうのかな)


(怒られるの怖いな。サーシャさんと話しているときも、すごく指摘されながら考えたもんなぁ)


(くまこちゃんにもすごく指摘される。大野君も言ってくれる。そっか。もうすっごくみんなに支えられていたんだ)


(みんなが、道を示してくれた。私は、そこを歩いてるだけだ……。もし、もし。もし許されるのなら……私、何もできないけれど、何も出来ない素人だけど……。夢だけを見てる人間だけど……)


(あぁ、繭崎さん。私、変わってませんね。だって、オリジナル曲をどうしようかって思ってた時と、同じ悩みを今も抱えてるんですから)


「……考えてみよう」


南森は思い立ったが吉日と、部屋に戻ってノートにこのアイデアをまとめようと君島の部屋の扉を大きな音を立てて開いた。


「ぶふっっ、うぇええっ!?」


「あ、……ごめん」


ガチャリと扉を閉めた。


「あっ。その……。え、え? なに? ナニガオキタノ?」


今日、この扉の音は再び切り抜かれ、君島は少しだけバズった。


題して、【心霊現象?】急に部屋の扉が開かれるVtuberネル、だった。





月曜日、放課後。


南森は魚里と大野よりも早くサーシャ宅に着いた。


「こんにちは」


扉を開けて、繭崎を探す南森。


「……南森」


繭崎はソファに座っていた。


「その……話が……」


繭崎は気まずそうに、声を小さくしていく。


少しだけ、頬にひげがあったのが気になった。


「繭崎さん」


「あぁ、すまん、お茶でも用意……」


「知ってます。知ってますから……少しだけ、私の考えを聞いてください」


「えっ……」


南森が机にノートを広げる。


それを見た繭崎が、奪い取るようにノートを手に取った。


「なんだ、これ……」


「生放送で、MV一発撮り。そういう企画の、持ち込みです!」


「……なんで」


「一週間で、ダンスを中心にした動画だと、編集が難しいです。だから、きっとカメラを固定した映像しか撮れません。それを、逆手にとって……、こうやって……こうして、……」


「……」


「こんな感じでやれば……、もしかしたら。出来る、かも、って……」


「……」


「その、……私も、頑張りますから……失敗したら、私、責任、取りますから……、本当に、本当に頑張ります。だから……私も、繭崎さんくらい頑張るので…………」


「……」


「わっ……わたし、なにもできないから……、めいわくかもしれませんけど……、ライブ、でたい……、みんなで創った曲、たくさん発信したい……だから……」


「……」


「……。おかね、自分でもだしますから……」


「やめろ」


「!?」


「そういうのは、やめろ……」


「すっ、すいま、せん……」


南森の視界が真っ黒に染まっていく。


繭崎の胸元の黒い煙が、南森の話を聞くたびに大きくなっていくのだ。


ダメだった。


やはり、迷惑なアイデアだったのだと、南森は涙がこぼれそうになる。


思いつきで提案しないようにした。


だが、やはり芸能界にいた人間から見たら甘いのだ。


だから、ダメに決まっていたのだ。


(あぁ……ダメ、わたし、空回ってるんだ……意味なかったんだ、きっと、こんなこと……)



「ご、ごめんなさい、ごめんなさい、これ、えっと、うそです、すいません」


「……」


「すいません、素人がこんなこと言っても意味ないのに、えへへ、分かってたのに……すいません、本当に、忘れてください」


「……」


「次、次がありますよねきっと、今回は残念でしたけど、次に向かって、頑張りましょう! 大丈夫です、きっと、きっと何とかなりますもん!」


「やろう」


繭崎の声が、南森の思考を切り裂いた。


「……え」


「……。やろう、それで行こう」


「うそ」


「……、やろう」


「うそです。うそ……」


「……」


「だって……」


南森が見ていたのは、繭崎の胸元。


全く、先ほどと変わらない。


黒い煙が燻ぶっているだけだ・


しかも、さっきよりも大きくなっている。


絶望が、大きくなっているのに、やろうとするわけがない。


「正直なことを言うぞ」


繭崎の暗い顔がより暗くなる。


「出来るわけないと思った。意味がないと、思った」


「で、ですよね! じゃあ」


「聞け。……聞いてくれ。俺は、……俺は、今常識でものを考えた」


「……」


「現実的に考えればそうだ。常識で考えれば、無理だろう。俺達には、TV局のような資材もなければ、資金もない。だけど……」


「……ぐすっ」


「すごい、って思ったんだよ。直感が、やれって言うんだよ。絶対できないし、やろうとも思わない。でも、……出来たらすごいと思った。だから、やろう。一週間で、生放送、MV一発撮り」


「……ひっく……い、いんですか……っ」


「泣くな。よく、……よく思いついたよ。俺には思いつかなかった。これなら、確かに出来るよな。ライブ、出るために頑張ってたもんな」


「……っ、ぁい……」


「曲作り、初めてやったもんな。頑張ったもんな」


「ぁぃ……」


「ここまできて、大人が先に諦めてどうするんだってな。やろう、南森。大人の都合で夢を諦めたらダメだよな。やろう」


「ぁいぃ………ぐすっ、……うぇぇ……ひっく……ぁぃ……がんばりまず……がんばりまず……」


「南森はもう頑張ってるんだよ。だから、なにもできないなんて二度と言うなよ……」


繭崎は立ち上がる。


「企画、確かに預かったっっっ!」


南森のノートを、胸に抱いた。


「あら、私も混ぜてよ」


サーシャが目頭をこすって、南森の背中に抱き着いた。


「馬鹿ね、責任取るなんて、大人がすればいいのよ。やりたいこと、やりなさいな」


「ざーじゃさぁん……」


「サーシャ、お前にも大分負担かけるぞ。良いのか?」


「どっかの悪人のせいで、同人誌の原稿早割で創れる算段だから、余裕よ」


「……ごめんなさい、ゴメンなさぃ……」


南森がサーシャに抱き着いて、涙をこすり付けた。


背中をぽんぽんと叩くサーシャも、少しだけ泣いた。


南森は、なんとなく。


本当になんとなくだが。


この大人たちに着いてきて良かったと、なんとなく思った。

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