目標との出会いです
(私が人の心を見られるようになったのは、ほんの2か月前から)
(私はある日、交通事故にあったのだ)
南森が思い出せる記憶はそれほどない。
事故の前後の記憶だけが抜けているせいで、自分がなぜ事故にあったのかも覚えていないのだ。
(鮮明に覚えているのは、目覚めたとき、みんなの胸元に色とりどりの感情の色が見えたこと。それがなんなのかは、最初はわからなかったけれど、慣れてくると自然と分かってきたのだ)
情熱もそうだし、怒りのような激しい感情には赤い色。
愁いを帯びているときは青い色。
平常心で落ち着いた気持ちは緑色。
嬉しいときやテンションが上がっているときは黄色。
恋愛感情はピンクとか? 紺色はどんよりした気持ちの時?
(ざっくり、こんな感じかなぁって思ってるけれど、違うのかもしれなし……でも、一応そう定義してる。私が好きな感情の色は、夜空みたいにキラキラした色)
最近観たVtuberのライブ。
そこで見たのは、アイギス・レオというグループの最高のパフォーマンス。
彼女たちの心は、驚くほど一心同体。
一体どうしたらこんなにも気持ちが通い合ってるのかと思うほど、同じ気持ちだった。
それがどんな感情なのかはわからないけれど、苦悩とか、苦難を希望で照らしていくような夜空は、本気の感情を超えて美しかったのだ。
(だけど、良いこともたくさんあるから一言では言えないんですが、……おかげで以前よりも、人目を気にするようになってしまいました)
南森は放課後が最近苦手だ。
部活生も受験生も新入生も、教師も生徒も一か所に集まる下駄箱や玄関が苦手になった。
苛立ちとか、うっぷんとか、喜びとか悲しみとか、いろんな感情が目の中に入ってくる。
それが非常に苦痛だった。
まるですべての感情が自分に向けられているような錯覚に陥るのだ。
おそらく受験のストレスを抱えている生徒は勉強が上手くいかないとか、そういう部分でいら立っているはずなのに、感情の赤い色が自分の視界に入ると、緊張してしまう。
激しい感情であればあるほど、自分にとってなにか思い出したくない嫌な過去まで暴かれるような、心の奥底から悲鳴が浴びせられるような感覚になる。
だから、南森はこっそりコミュニケーションが苦手になっていくのであった。
(授業中とか、昼休みとかはまだ耐えられる。だってみんな知ってるクラスメイトだし、相手がどんな人かもわかるから、感情の矛先がわかるもん。でも、知らない人が相手だと、……よくわかんない)
(ゆーうつだ。学校がどうしても、人が多すぎて、ゆーうつ……。早く行こ。じゃないと、気持ちが持たないや)
学校は夕焼けに照らされ影を伸ばしていく。
影を踏みながら、ただいつもの帰り道から反対の方向に進んでいく。
人込みを避けて、南森は三浦サーシャの家に向かう。
学校から徒歩で20分ほど。
繭崎の車に乗っていくのでもよかったが、自分でも歩いて行ってみたかったというのが南森の本音だった。
理由は、「なんとなく」に近かったが、それでも一度は歩いていくべきだと感じていた。
家に着いて中に入ると、繭崎がまた天井に突き刺さっていた。
「ひぃ!? 逆犬神家!?」
「はぁ、はぁ、なめやがってこのクソヤロー!!! 絵師なめたら承知しないわよ!!!」
「お、おちちおちついてください……」
「えぇ? あぁ、南森ちゃんか……。あなたのプロデューサーに無茶無謀無理難題って言葉を辞書ひいて勉強しろって言っておいてくれない?」
「マテサーシャ。コレニハワケガアル。ダカラハヤクヒッコヌケ」
「きゃああ!?」
天井に刺さった繭崎が話しかける。
あまりにも奇特な光景に南森も叫ばずにいられなかった。
10分後、意気揚々と繭崎はとある書類をバンッ! と手で机を叩くように置いた。
「新人Vtuber、歌合戦?」
「そう、デビューから一年未満のVtuberが参加できる音楽ライブだ。箱は池袋。収容人数マックス500。 今回この舞台が初デビューのVtuberでも可能という破格の条件。まぁ歌の審査とかあるみたいなんだけどな」
「ま、まさか……」
「そうだ。これを南森のデビューに合わせようと思ってな」
「無茶って言ってるんだけどね、この馬鹿」
サーシャが腕を組みながら作業用チェアで話を聞く。
南森はただ茫然としているだけだ。
(このスーツを着て、眉毛の濃い男性は、繭崎 徹(まゆざき とおる)さん。私のプロデューサーになってくれた人です。最初は頼れる人だと思っていたのですが、まさかこんな急に行動する人だと思いませんでした)
「だけどな、良い手ではあるんだ。素人がいきなりデビューしたって、ぽんぽん広告打てないんだから何やっても注目されない。だからデビューをここでやっとけば、ほかのVtuber目当てのやつも自然と見てくれるしな」
「で、でもそんな急に」
「急じゃないぞ。半年後だ。半年後にこのライブで南森がデビューする。これはチャンスだ」
「い、今何月……8月? 半年後って、そんな長く待つんですか?」
今が8月で、本番が2月。南森は非常に長いスパンでの話に現実感が持てない。
「一応見積もりとしては……。そうだな。まず3Dアバターの作成に何か月だっけかサーシャ」
「……はぁ。3か月頂戴。入金から3か月。だったら出来るわ! コミケの時期とかあるし、ほかの依頼も重なることはあるから、それでも長く見積もって3か月マックスで使わせてもらう」
「だから余裕で間に合う。ついでに半年間、南森のボイトレやらトーク練習だったり、そっちに時間を使う。目標が決まるとワクワクするな。頑張ろう」
「お、おー! おー……?」
自信なさげに南森が拳を挙げる。
「あー南森ちゃん。ちょっとお茶出してくれない? キッチンにポットあるから、人数分コップ出して」
「え、あ、はい」
急にサーシャに話を振られ、よくわからないままキッチンに向かう南森。
サーシャが勢い良く立ち上がる。
「はぁ……。繭崎ぃ。あなた料金払えるの?」
「10万くらいならすぐ出せる」
「100万」
「ぬ?」
「3Dアバター代。相場の高めのやつよ。良いの作りたいなら100万。……芸能事務所で働いてるんでしょ貴方。出せるわよね?」
「は、はは……!? 本気か? 想像の10倍だと?」
「100万。私の生活が懸かってるのよ。ちょっと吹っ掛けたっていいじゃない」
「……くそ、本気か。ならいい、では細部まで詰めていこう」
「なお、料金交渉には応じません」
「うそだろこの、この野郎!!? ちったぁまけろよ友情料金で!!!」
「あぁん?! これが私の仕事よバカ!!! 個人事業主なめんな!!!」
(うわー、久々に来たなぁ。3か月ぶり? かな)
南森はサーシャの家に寄って打ち合わせを終えた後、すぐさま思い立って吉祥寺駅で降りていた。
南森は、繭崎とかつて井の頭公園でボイトレを教わったことがあった。
その流れで、吉祥寺付近によく立ち寄ることがあったのだ。
吉祥寺には楽器店とCDショップがある印象を持っていた。
もっとも、ネットを使えばさらにいい条件の場所もあったかもしれないが、勝手の知っている場所のほうがいいと南森は漠然と考えていた。
(歌っていっても、私、何をするかも決まってないのになぁ。何歌えばいいんだろう。やっぱ流行りのボカロ曲かなぁ。今はなんだろう。『みきとP』さんの『ロキ』とかかっこいいよねぇ。それともアニソン? 今だったら『Lisa』さんの『紅蓮華』とか? でもVtuberを見てる人ってどんな人なんだろう? 案外『美空ひばり』さんとか歌うといいのかな。AIで歌ってたのも印象深いし……。あっ、Vtuberさんのオリジナルソングを歌うっていうのも私的にはありな気がするし!……あれ?)
「……なんだろ。ギターの音?」
歩いていると、バンドがライブをやっているみたいだった。
路上ではない。おそらくCDショップに併設されているライブ会場だ。
「へー、ちょっとだけ見に行こうかな……?」
CDショップを覗いてみると、バンドが熱意を込めて演奏している。
ただ、南森はボーカルの顔を見て違和感を覚える。
(あれ? うちの学校の人だ。話したことないけど、うん知ってる)
演奏している少年たちの後ろには見覚えのある熊のフードを被った、ちょっとパンクっぽい少女の顔もあった。
(あっ! 魚里さんだ。ってことは、あの楽器のメンバーはうちの軽音部かな? ここで演奏してるんだ! すごい! ほんとに演奏してる! ……でも、あれ?)
南森がイメージする楽器は、ギターやベース、ドラム、キーボードあたりだ。
ジャンルを変えれば、ヴァイオリンやトランペットなんかの楽器の名前も出てきたが、奥にいた少女、魚里隅子が触っているものが、何なのかわからなかった。
「あれ、なんだろう。ゲームセンターにあるやつ? えーと、スクラッチとかするやつ。きゅっきゅ鳴らすやつ! あ、マックのパソコンにつないでる。すごい。でも、んー、楽器、なのかなぁ、あれ。演奏、してるのかな?」
ふてくされた顔で魚里は機材をいじっているようだが、何をしているのか全く分からない。
ボーカルがサビを高らかに歌い上げているのに、彼女は耳が痛いといわんばかりの怒りの色を見せていた。
そして、にたりと笑った。
気づいたのは、心の色が見える南森だけだった。
「……オレンジ? 嬉しいような、野心的のような?」
そして、サビが終わって、ボーカルからギターソロコールがされた。
瞬間、ギターの音が食われた。
音響から女性の声がカッティングされループされる。
音という音の素材が、どんどん組み込まれていく。
誰ももうギターなんて聞いていない。
全員が、魚里 隅子だけを見ていた。
手つきは素早く、左右にスライドするボリュームの調節を行う。どうやら、今演奏している曲ではない曲を2つ、組み合わせて間奏を創り上げている。
「……あっ! そうだ、DJだ!」
テレビで見たことがあった。
最近日本人がDJの世界大会で優勝したとかなんとか。
(そうだ、テレビと同じようなパフォーマンスをしていた気がする。すごい、こんな風にやるんだ。迫力がすご……)
ガシャン!!!!!!
耳に強烈な衝撃が走る。
ボーカルが、マイクをDJをやっていた魚里のほうに向かって叩きつけたのだ。
演奏が止まる。
南森が、「あ、いけない……」と呟いた。
「てめぇいい加減にしろや!!!!! ふざけんなよ、毎回意味のねぇアドリブばっかしやがってさぁ!! 俺たちの邪魔すんじゃねぇよ!!! こっちは本気で音楽の道進もうとしてんだよ……ギターソロもこいつが必死こいて練習したんだぞ、馬鹿にすんじゃねぇよ!!!! 今日は、今日はプロも見に来てるって、そのためによぉ!! 」
マイクがなくても、その声はよく響いた。
そして、マイクがつながっている魚里は、鼻で笑った。
「は? 音楽で私をつぶせばいいじゃん。遊びはどっち。私はジョブだけどあんたらおふざけ。クッソ下手なギターソロ聞かされるお客さんを盛り上げようとしただけ。てかあんたの歌も耳キンキンするわ。腹から声出せねぇけど高音喉で絞りまくって歌ってるくせによくもまぁそんな適当な情熱で」
「てめ、この野郎っっっ!!俺たちが、どん、だけ、っぁぁああああああああ!!!」
ボーカルが怒り狂って魚里に掴みかかる。
伝播したのか、ほかのメンバーも、客も店員も、路地にいた通行人も全員がステージに集まる。
「わ、あ、きゃっ、痛っ」
南森は後ろから押され、その場にいた人ごみに飲まれてしまう。
その場にいる人たちの感情がダイレクトに伝わってくる。
怒り、焦り、恐怖、狂騒。
(や、やだ、やだ)
南森は前後左右から人に押され、呼吸も荒くなってきた。
感情が、全部自分に向いているような気がして。
(なに、助けて、怖い、やだ、こわい)
助けてほしいのに、誰もかれもが自分のことしか見ていない。
誰も南森を見ていない。
「やだ、だれか……助けて……」
南森の目から、ぽろっと涙がこぼれた。
突然、ぐいっと右手をひかれた。
「きゃっ!?」
力のままに引っ張られた先は、人込みの外側だった。
「はっ、はっ、はっ、……っはぁ……はぁ……はぁ……」
南森が荒い呼吸のまま上を見上げると、女性がいた。
右側の髪を全部部屋ピンでバックに止めて、毛先の跳ねた赤と黒のツートーンの女性。
「……あの……」
助けてくれてありがとう、そう言おうとしたが、思うように声が出ない。
「――ったくよぉ。女の子泣かせるとか、ロックじゃねぇぜ」
そのままズカズカと人込みを蹴散らしながら前進していく女性。
「えぇ!? ちょ、ちょっと!」
南森の止める声も聞こえていないようだ。
「おら、退け退け。邪魔! あーらよっと!」
そのままステージに乗り込み、ギターを勝手に奪う。
女性は、楽し気にギターを弾いた。
「―――Ohhhhhhhhhhh ! Yeahhhhhhhhhhhhhhhhhhh !!!!!」
誰もが黙り込むような、強烈なシャウト。
CDショップがこのまま壊れてしまいそうな衝撃。
ギターの音と、歌声が混ざり合う人を、南森は初めて目にした。
歌もギターも、音楽への喜びで満ち溢れている。
友達とカラオケに行って、上手いと思う人はたくさんいた。
でも、感動できる生演奏は、今初めて聞いた気がする。
「これ、『XJAPAN』? 『ENDLESS RAIN』だ!」
「やばくね!? これマジで生で歌ってんの?」
女性が歌ったのは、サビのみ。
そのくせ、その場の空気を一瞬で飲み込む、すさまじい音楽。
誰もが魅了された。その歌と、演奏に。
だが、南森だけは違った目線で歌を聞いていた。
「……この歌、あと、この色……」
歌っている女性の胸元。
夜空みたいにキラキラ輝く、美しい闇。
まるで小夜曲のような情景。
見たことがあった。
「……アイギス・レオだ」
気づけば、会場は拍手喝采。
今まで演奏していたバンドチームは、ショップの人たちにこっそり舞台裏に引きずられていた。
女性がほほ笑む。南森は、まさか、まさかと思いながら、ティッシュを取り出して鼻をかんで、会場のお客さんと一緒に拍手をした。
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