第5話 開ける道

 エメラルド色の瞳が、ひたとエウリアスを見据える。エウリアスは鉄格子に軽く手をかけ、俯いた。


「……マフムール出身の踊り子だったんだけど、父上が、母上を無理矢理側室に召し上げたんだ。でも、母上は元々宮廷での暮らしが合わない人だったみたいだし、それに、後宮では身分の低さを理由に他の側室から嫌がらせもされていたんだ。だから、母はいつも怯えていて、かと思えば父上や他の側室たちへの呪詛を吐き散らしたり……。俺が七つのときに病気で死ぬまで"決して目立つな。誰とも関わるな"って、ずっと言ってた」


 母の話を、今日出会ったばかりの目の前の少年に打ち明けてもいいと思えたのが、自分でも不思議だった。だが、一度口にしてしまうと、胸の内でくすぶっていたわだかまりは水が湧くように次から次へと溢れ出した。


「俺は奴隷の子だから皆、俺になんか見向きもしない。同じ側室の子でも母親が貴族の兄弟たちに比べると、扱いが全く違う。そのくせ皇子殿下皇子殿下っておべっか並べ立てるのだけは上手くて……。嫌になるよな、全く」


 イズメイルは何も言わずにエウリアスの言葉に耳を傾け、彼を見つめていた。


「そんなんだったから、今まで友達とか心を許せる相手っていなかったんだ。だから、同年代の奴と本気で取っ組み合ったりこうやって話をしたの、初めてで、正直、その、なんというか、嬉しかったし、楽しかった」


 最後の方は気恥ずかしさや照れ臭さで、目線を泳がせながらしどろもどろになる。

 イズメイルの反応が怖かった。彼はどう思っただろう。やはり、下賤の血を引いておきながら皇子の身分を名乗る自分を軽蔑しただろうか。もう関わりたくないと思っただろうか。エウリアスが彼を見やると、少年は鉄格子の向こう側で大きなため息をつき、小馬鹿にしたように大袈裟に肩を竦めてエウリアスにずいと額を寄せた。


「言っておくけどね、僕はあんたの出自とかそういうのどうだっていいんだよ。僕だって庶民だしね。あんたが貴族の子だろうが奴隷の子だろうが僕には関係ない。僕にとってあんたは無神経で好奇心旺盛な同い年の子供でしかないんだよ」


  イズメイルはそう言って、悪戯っぽく笑った。エメラルドの瞳が燃えるようにきらりと輝く。


「あんたが宮廷で複雑な立場にあるのは分かったよ。それなら、あんたお得意の武芸を極めて、誰にも文句を言わせない立派な強い武人になったらどう? そしてあんたを馬鹿にした奴らを見返してやりな。帝国一の将軍になって、宮廷の奴らをぎゃふんと言わせてやるんだ」


 エウリアスはあんぐりと口を開けてイズメイルを見つめた。なんて大それた、野心に溢れたことを言うのだろう、この少年は。自分は兄カハディーンの足元にも及ばない。宮廷を見返す武人になるなど、夢のまた夢でしかない。エウリアスは「そんなの無理だ」と言おうとして、口をつぐんだ。イズメイルが曇りのない真っ直ぐな眼差しで自分を見つめていた。彼は十三歳にして宮廷魔術師に推薦されるだけの実力を備えている。彼が問題なく宮廷に留まることになっていれば、間違いなく優秀な魔術師となっていただろう。


 では、自分はどうか。


 兄には叶わないと卑屈になり、蔑ろにされることに慣れ、虚勢を張ることでしか自分を保てない哀れな子供。そんな自分がこのまま大人になって、果たしてイズメイルと釣り合うことはできるのだろうか。悔いのない人生を送ることはできるのだろうか。このままで、よいのだろうか。

 どこかで、「そんなのは嫌だ」という声が聞こえた気がした。このまま軽視され続けるのも、くすぶり続けるのも我慢がならないと、もうひとりの自分が必死に足掻いていた。


 自分の価値を認められたい。そして、祖国に必要不可欠な存在になりたい。


 彼はずっとそう望んできた。それならば努力してのし上がればいいと、イズメイルは道を示してくれたのだ。


「……俺にできると思うか?」

「そんなの僕が知るもんか。でも、やってみたらいいんじゃない? 案外できるかもよ」


 彼の言葉は、認められたいと願うばかりで行動に起こすことを恐れていた彼を奮い立たせた。不器用に遠回しに、背中を押されているような気がした。


「……もし、俺が帝国軍の将軍になったら、お前、俺と戦ってくれるか?」


 エウリアスは真剣な眼差しをイズメイルに向ける。


「もし、俺が将軍になったら、お前は俺の側で共に戦え。俺を支えろ。お前がなれって言ったんだから、その責任くらいは取れよな。その代わり、お前が宮廷魔術師としてここに残れるよう父上を説得するから」


 イズメイルは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに鎖を鳴らしながらふんぞり返った。その双眸に挑発的な色を宿してエウリアスを見上げると、傲慢に鼻を鳴らす。


「いいよ。約束する。でも、それならお前も必ず陛下を説得しろよ。もし僕がここを追放になったら、ヴルグラル帝国の皇帝陛下は、惜しい人材を失うことになるんだからね」


 そう軽やかに笑うイズメイルに、エウリアス思わず呆気に取られ、そして堪えきれないと言わんばかりに声を上げて笑った。


「ははっ! お前、ほんとに面白いな!」


 イズメイルは自信過剰で恐れ知らずで、ものすごく生意気だ。さらに言うならとんだ礼儀知らずだし、愚かなまでに血の気が多い。宮廷で生きてゆくにはあまりにも危うい気性をしている。彼の言動と行動は、マグマの上に渡された一本の綱の上を歩いているようなものだ。しかし、その裏表のない真っ直ぐな気性は得難いものだとも、エウリアスは思う。彼のお陰で、心に空いた穴がほんの少し埋められたような気がした。


「今日はもう帰る」


 そう言うと、エウリアスは立ち上がる。そろそろ戻らなければ。すっかり長居をしてしまった。イズメイルが「あんたが帰るならもう一眠りしよう」と、眠そうに欠伸をしながら藁の上に寝転がる。まるで自室にいるかのような寛ぎぶりに、彼のこの据わった肝はいったいどこで身に付けたのだろうと思わざるを得ないが、これがイズメイルという人間なのだろう。エウリアスは苦笑しながら自分がここに来たことは内緒にするよう念を押し「じゃあな」と片手を上げ、そのまま立ち去った。



 ***



 翌日。

 結果から言うと、第三皇子エウリアスと乱闘騒ぎを起こしたイズメイルは、表面上無罪放免となった。そこには、魔術師長セレスティウスを巻き込み父帝への説得を試みたエウリアスの功労の成果も確かにあったのだが、登用したばかりの魔術師が起こした醜聞を揉み消したい皇帝の意図が大きく働いたようだった。

 メトディオス帝は、乱闘騒ぎを起こしたのは魔術師でも第三皇子でもなく、下働きの少年二人であったと宣言した。彼らによく似た風貌の子供二人が、些細な言い争いを切っ掛けに殴り合いへと発展したのだと。エウリアスとイズメイルの喧嘩は宿舎の魔術師を始め、多くの人間が目撃したが、皇帝が人違いであったと宣言したからには、納得するしかなかった。

 だが、イズメイルの生活は完全に元通りというわけではなかった。まだ幼い少年であること、そして類い稀な才を持つことを考慮されて、カルコリスからの永久追放だけは免れたが、宮廷魔術師の資格は一時的に剥奪されることとなった。

 彼は、表向きは幼年であることを理由に宮廷を離れ、元宮廷魔術師エゼルキウスの元に預けられることが決定した。そこで三年間、礼儀作法と高度な文化魔術の技法を学び、宮廷魔術師としての資質が再び認められれば、宮廷に返り咲くことができるのだ。これは、一度失態をやらかしたイズメイルにとって、またとない機会だった。



 ***



 ――武術を極めて大将になれ。そうして宮廷を見返してやるんだ。


 先日、イズメイルに言われた言葉は、エウリアスの日常を変えることとなった。人は目標ができると意識も変わる。

 まず、エウリアスは武芸のみならず、勉学に真面目に取り組むようになった。ニクスールに今までの不品行を詫び、「自分は帝国一番の武人になるためにこれからは真面目に勉強する」と宣言すれば、彼は「皇子は病気で頭がおかしくなったに違いない」と錯乱して医師まで呼ばれる騒動となった。それは甚だ不本意ではあったのだが、そのニクスールも、主君が宣言通り無断で抜け出すこともなく真面目に勉学と武芸に取り組んでいると知るや、以前とはうって変わって敬意のこもった態度を見せるようになった。これにはエウリアス自身驚きだった。自分が行いと態度を改めることで相手の自分に対する扱いも変わるのだと、身に染みて実感し、自らの振る舞いを反省するきっかけにもなった。


 次に彼が行ったことは、兄カハディーンに武術の指南を願い出ることだった。強くなるためには目標とする人物に師事するのが一番だと考えた彼が真剣な顔で強くなりたいと訴えると、カハディーンは以外にもあっさり協力を約束した。訓練に付き合ってくれるか否かは彼の機嫌次第ではあったし、戯れに手酷くしごかれることもあったが、それでも練習に付き合ってくれる兄の剣捌きに、エウリアスは必死に食らいついた。そうやって努力を重ねた結果、彼の腕には以前にも増して筋肉がつき、動きにも切れがでてきて、顔つきも精悍になった。兄はといえば、そんな弟の変化に明らかに気づいている様子で、冷やかし半分に面白がっているようだった。



***



「三年か……。その頃には俺もあいつも十六だな」


 三年間。長いようで、案外あっという間に過ぎるのかもしれない。エウリアスは、ぼんやり呟くと鍛練場の地面に大の字になる。傍らには刃を潰した稽古用の剣が転がっていた。


「今日は随分と集中力がないようだな、弟よ」


 寝転んだエウリアスを太陽を覆う大きな影が覗き込む。


「兄上!」


  エウリアスは剣を掴んで飛び起きた。剣を構え兄に対峙する。


「もう一手お願いします」


 勢い込んで言った弟の剣を、カハディーンは自身の剣であっさり凪ぎ払った。エウリアスの手から離れた剣が宙を舞い、大きな音を立てて地面に落ちる。


「上の空で剣を持つ輩にまともな訓練などできぬ」


 彼が厳しい顔で弟を睥睨すると、エウリアスは目に見えて顔を青ざめさせた。


「申し訳ございません、兄上。どうか、もう一度……」

「くどい」


 研ぎ澄まされた剣の刃を思わせるその声は、エウリアスを凍りつかせるには充分だった。これ以上何かを言っては不興を買うのが目に見えていた。彼は気落ちしたように項垂れる。その様子を見たカハディーンが眼差しを和らげて、弟の肩に手を置いた。


「集中できぬときは剣を置くこともまた大事なことだ。その間何をするべきかはお前自身が考えろ」


 エウリアスは顔を上げ、兄を見上げた。彫りの深い端正な顔立ちの真ん中で、覇気に満ちた双眸が自分を見つめていた。

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