未来の息子

 一つの命が生まれて、一つの命が消える。差し引きゼロだが俺にとってはそれは別のもので、生まれた一つは息子で、もう一つは妻だ。

 俺も妻も高齢で、「俺がもっと早く子供について言い出していれば」だとか「そもそも止めるべきだったんだ」と考えてしまうが病室で小さな力でありながら強く俺の指を握る息子を見つめて思考を止めて目の前の息子のことだけを考える。

 息子は体が弱くてすぐに体調を崩してしまう。妻の面影の残る目元が俺に悲しみを予感させて、強く願う。もうこれ以上悲しいことが起きないように。


▲▲▲


 それでも目まぐるしく日々は巡っていって、息子はあっという間に幼稚園に入学する。

 公園へ連れて行き、慣れないながらも育児仲間も出来て幸いなことに何とかやっていけている。息子に友達も出来て、公園のベンチに腰掛けながら友達と遊ぶ息子を眺めている。急に熱が出てしまうのではないかと少し不安を覚えながら。


「こんにちは」


 ふと声をかけられて横を見ると小学生くらいの小さな男の子がいる。まだピカピカのランドセルを背負っていてるところを見ると一年生だろうか?


「こんにちは」


 息子の通う幼稚園を卒業した子だろうか?


「元気ですか?」

「ああ、元気だよ」

「僕も元気です」


 そう言って男の子は何処かへ駆けていく。構って欲しかったのかな?と考えているうちに姿を見失う。


▲▲▲


 しばらく時が過ぎて、息子が卒園する。小学校へ入学することになる。

 おや?と思う。ランドセルを背負う息子に既視感がある。あの日の男の子だ。

 しかし息子は何も話さない。俺も不思議に思うが数年前の話なので気のせいだと思い、聞いたりしない。

 息子が小学校に入学して、帰りに児童館に寄るようになるのでだいぶ仕事をしやすくなる。息子の将来の学費などを考えると一人で稼ぐのは大変だがその分あくせく働くことにする。

 残業をたくさんして、給料が増える。シッターに任せてその分どんどん働く。それでも、息子の急な体調不良の早退の連絡を受けると不安が増していく。どうか何も起きませんように。

 そんなある日、満員電車に乗っていると高校生に席を譲られる。電車がトンネルに入った時に少しよろけてしまったのだ。

 そんなに歳を取ったかな?なんて考えていると高校生が話かけてくる。


「とても疲れている表情だったので、つい」

「ああいえ、ありがとうございます。最近忙しいもので。高校生ですか?」

「はい、三年生です。そろそろ受験で」

「ああ、ご立派ですね。がんばってください」

「はい。そう言っていただけて、とても嬉しい」


 そうして少しの間が空く。

 ごう、っと音がして電車がトンネルを抜けて一瞬、外に視線が向いてしまう。


「息子さんのために、無理し過ぎないでくださいね」

「えっ」


 そう言われた時にはもう目の前に高校生はいない。満員電車で移動なんて出来ないはずなのに少年がいたスペースには別の人がいる。


 家に帰り、夕飯を食べる息子を見ながら考える。

 あれは未来の息子なのではないだろうか?どういうわけだが未来から過去へ飛ぶ超能力のようなものを身につけてそれで俺に会いに来たのではないか。

 小学生の時は初めてのタイムリープのため、何もわからず俺に話しかけたのかもしれない。

 高校生の時は状況がある程度掴めたからちゃんと話しかけたのでは……と考える。

 たまたま仕事が早く終わって息子と食事ができたある日、息子に聞いてみる。

「なぁ。昔の父さんと会ったりしたことはあるかい?」

「しらなーい」

 息子は目の前のオムライスに夢中だ。今の考えが正しかったとしてもまだ息子は一回しかタイムリープをしていないだろうし、俺と公園で会ったことは何かの夢だと思っているだろう。

 では高校生の息子は?

 そう考えた時に俺は思う。


「もしかしたら、そろそろ俺は死んでしまうのかもしれないな」


 ある種の警告なのかもしれない。最近の働き方は結構オーバーワークだ。

 もしかするとそれで体を壊して、息子の近くにいないのかも……


 そう思って仕事の量を調整する。体を壊すこともなく息子は高校生になる。

 あの時の少年にとても似ている。


「なぁ、どっか変なところにいったりしなかったか?」

「父さん何言ってるの?」


 息子にそれとなく聞いてみるが、知らない様子だ。


▲▲▲


 そうして更に時が過ぎる。息子が大学へ入学して一人暮らしをしてしばらく経った夏のある日、また息子が訪ねてくる。


「やあ、父さん」

「やあ」


 今度はもう間違いようがない。俺の知る息子よりもやや大人びているが、息子そのものだということがわかる。


「俺、結婚するよ。今も元気でやってるよ」

「おめでとう」


 そう伝えると、息子は涙を滲ませる。その滲みが空気に溶けて蜃気楼のように息子の全身を滲ませる。


「俺は、もうお前の近くにいないのか?」


 手を息子へと伸ばすが、もうそこには誰もいない。


「紹介したい人がいるんだ」


 少しして、今の息子がそう言って俺に恋人を紹介する。

 結婚までの話がするすると進む。俺は自らの死がいつ訪れるのだろうと、日々後悔を残さないように生きるが一向に死ぬ気配がない。


「はて、狐に化かされでもしたのかな?」


 そう思う。息子に聞くが「何の話?」としか言わない。

 ただゆるやかに日々が過ぎていく。

 それ以来、未来の息子と思われる青年はやってこなかった。


▲▲▲


 病室で静かに俺は呼吸する。意識があやふやになっていく。

 もうそろそろだな、と自分の命が終わると感じている。

 息子は間に合わないかもしれないな、と他人事のように思う。息子は今出張中なのだ。


「こんにちは」


 ふと気がつくとベッドの近くの椅子に老人が座っている。俺よりも年上に見える老人だ。

 だが、俺はそれが誰だかわかる。妻に似た目元は老人になっても変わらない。


「ああ、来てくれたのか……」


 言葉はいらない。ただ、視線を合わせるだけで息子のこれからが良い人生であったことがわかる。


「幸せだったかい?」

「とても」


 そう未来の息子が言う。

 思えば、ただただ息子へ構える時間が少なかったのから未来から息子はやってきたのかもしれない。ただ、俺と会話をしたりしたかったのかもしれない。

 そんな時、息子が口を開く。


「こんなにじいさんになるまで僕は生きているよ」


 そう言われて気がつく。

 ああ、息子は俺にただ自分の健在を伝えたかったのか。昔、俺がひたすらに息子の健康を気に病んでいたものだから。

 そう思い、息子を見る。


「今、これなくてごめんなぁ」


 息子の瞳に涙が滲んでいる。泣き虫なのは変わらないなぁと思う。


「これたじゃないか」


 最後に心残りがなくなってよかった。これからも、息子は大丈夫だ。


「ああ、長生きしていて良かったなぁ」


 俺より歳上の息子を見て、そう呟いて、俺の意識はゆるやかに消えていく。〈了〉

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