イノリは硝子の子

 イノリは硝子の女の子だった。


 私がイノリと初めて出会ったのは小学3年の夏だ。猛暑の夏でクーラーも壊れていた日のことだった。


 私は、本当に綺麗なものを見た。


 夏休み明けに転入してきたイノリは全身が硝子で出来ていて、夏の強い陽射しが体に差し込み、中で反射してイノリを輝かす。

 眩しがって嫌がる子もいたけれど私はイノリの煌めきに心が奪われて話しかける。友達になる。

 どちらかというと私たちと違って硝子で出来たイノリのことを遠ざける人が多かったし、都会からやってきたイノリが心細かったのもあって私たちはあっという間に仲良くなる。

 遊んでいてふと会話に間があった時に、私はイノリの美しさについて話してしまう。


「イノリはとても綺麗だね……」

「そうかな、何でも透けちゃって、恥ずかしいよ私」

「ううん、綺麗。私たちみたいに濁っていないんだよ」


 イノリの美しさは私にとって唯一無二のもので、近くの川のきらきらと光る水面よりも、夏の空の果てに見える青空よりも、ずっとずっと大切なものだった。私がいくら汚れても、イノリの美しさだけは守っていたい、そのために私は生まれてきたのだ。そうとすら思った。




 でも、イノリは同級生の男の子に恋をする。イノリの心が柔い赤色に染まって、透明だったイノリの体に色がつく。


「どうして、こんなのひどいよ……イノリは、とても綺麗だったのに。ほかの人なんかと違ったのに」

「ごめんね……」


 イノリはそう言った。私に謝ったイノリの体に、青が混じっていく。胸のあたりからじわり、じわりと青が拡がり、赤色と混ざり合っていく。

 私は、私自身もイノリの不純物なのだと知る。




 私とイノリがそうして疎遠になって、仲直りをする前に私は引っ越すことになる。

 都会へ行く電車に乗って、生まれ育った場所を離れる。

 そして自転車でイノリが電車を追いかけてくる。


「ダメだよイノリ、もしも倒れたら壊れちゃう、そんなのダメだよ」

「壊れない! 壊れないよ絶対!」


 電車に追い付こうと運動を普段しなかったイノリが自転車を飛ばしてくる。

 そんなイノリの運転は未熟で、さよならを言う前にイノリは転んでしまう。硝子のイノリが倒れてしまう。


「イノリ!」


 ああ、イノリが割れてしまう。砕け散ってしまう。

 でも、イノリは砕けない。

地面に倒れこんで、それでも顔を上げて、あんなに美しかった顔を砂利の黒と血の赤でぐちゃぐちゃにして私に別れの言葉を叫ぶ。

 私は涙を流したまま、窓から外をいつまでも見つめていた。




 それから、十数年の時が過ぎる。

 イノリから結婚の報告が来る。私は結婚式に出席する。

 イノリはもう硝子ではなくなっていて、多くの色が交じり合ってもう普通の人と見分けがつかない。

 あんなに繊細な作りだったイノリが、血の通った笑顔を振りまいている。私や他の人とも何にも変わらない、笑顔を。

 私はイノリが、とても綺麗だと思う。


  イノリは硝子の女の子だった。〈了〉

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