ミチルのカーネーション

 ミチルがカーネーションになってしまう。


 私と同じ高校の友人のミチルの母親は私の伝え聞く限りまったくミチルのことを大切にしていなくて、朝の機嫌が悪い時に目覚まし時計をミチルに投げつけるなんてしょっちゅうで、ミチルが学校から上機嫌で帰った日にはそんなミチルの楽しそうな様子が気に入らなくて暴力を振るう。

 幼少期から果てしなく続くそういう罵倒と暴力にミチルはすっかり過剰適応をしてしまっていて、母親からの愛情をそういうものだと誤認してしまっていて「まぁでもお母さんなりにやさしい時あるし」なんてエヘヘと笑うけれどミチルの夏でも着ている冬服の袖の下にはタバコを押し付けられて出来た火傷の後がいくつもある。


 ミチルは母親から愛されたいばかりにそんな媚びた笑顔と態度を頑なにしていくし、そういうミチルの様子を見て加虐心を刺激されてミチルの母親は更にやることなすことをエスカレートさせるし、ミチルはそれに迎合していく。

 そんなミチルの様子が小学校からの同級生の私は見ていられなくて事あるごとにミチルに言う。


「ミチルさ、おかしいって、絶対。だから一緒に相談所とか行こうよ、ね」

「うーん、大丈夫だよ。昨日はお母さん泣いて謝ってくれたんだよ。ごめんね、本当に愛しているのに、ごめんねって。だから大丈夫だよ」

「だってそれもう何回もじゃん、ずっとじゃん、ずっとその繰り返しじゃん」


 ミチルはそう言って、エヘヘと笑うだけで私の言葉は届かない。結局のところ、人は本人が変わろうと思わなければ変わらないのだ。裏を返せば、本人が変わろうと思えば変われるのだ。

 だから、ミチルは母親に「ああ、あんたがカーネーションにでもなってくれたら愛せるのになぁ。母の日にミチルのカーネーションもらえたらなあ」なんてミチルをひっぱたいた後に言った言葉を真に受けてカーネーションに変わることにした。

 最初に変化が現れたのはうなじのところからで、学校で座席が後ろの私がミチルの背中を見ると首筋から緑がちらりと見える。最初はどこかで落ち葉か何かが付いたのかと思ったのだけど、授業中の暇つぶしにじっと見ているとそれは確かにミチルから生えている。


「あ、変わってきたんだ、うれしいなぁ」


 そう言って、ミチルは笑う、カーネーションになったら母親が喜ぶかな、なんて無邪気に。

 徐々にミチルは生活が困難になっていく。全身から棘が出てきて、制服は滅茶苦茶になっていくし、足もだんだんと植物になっていくものだから歩きにくい。

 私は手を引いたり、おぶったりしていたけど、だんだんミチルの全身の棘が刺さるので連れていけなくなる。

 やがてミチルは学校に来なくなる。ミチルの家に行っても母親に追い返される。

 

 そうして母の日の前日に、ミチルが私に電話をしてくる。


『あ、もしもし』

「ミチル! 大丈夫なの!?」

『うん、全然大丈夫だよ。もうちょっとでね、なれるの。立派なカーネーションに』

「全然大丈夫じゃない……」

『ううん、これでいいの。でも最後にちょっとおしゃべりしたいなと思って』


 ミチルと私は色々話す。私は必至にミチルを引き留めようとしたり、泣いて懇願したり、色々するけれど結局ミチルの意思は変わらない。泣いた後、せめてミチルと少しでも話せたらと思って、くだらない話をする。クラスの話、部活の話、テレビの話、ネットの話、趣味の話。話していて、付き合いは長いはずなのに案外ミチルのことを良く知っていなかったことを知る。


 いくらでもあるじゃないか、母親以外のことだって。

 なのに、なんで。


「ミチル、もう一度だけ」

『あ、もうダメかも。意識が遠くなってきちゃった』

「ミチル!」

『本当はね、昨日ぐらい頑張ればね、学校にも行けたかなって思うんだけど、未練になりそうで休んでいたの。ごめんね、もっと早く話していたらね。未練になるって思ったのに、結局電話しちゃったし、本当に』


 ごめんね、そう紡がれそうな言葉が途中で終わる。ガタン、とスマホが床に落ちる音がする。

 私は電話を切って、また泣く。





 翌日、ミチルの家の近くのごみ捨て場に、一輪のカーネーションが捨てられていた。受け取ったものをそのまま捨てられたような無造作さで。

 それを私が拾う。

 棘がチクリ、と刺さって、私の指に血が伝う。

 私にはそれがミチルの涙に見えた。〈了〉

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