【読み切り】城主・勘ノ助の一計

天川 七

城主・勘ノ助の一計

 ──丹山城下には桜が舞い、花見を楽しむ民の姿が天守閣から見える。それを眺める男は人々の楽しそうな様子に目を和ませていた。


 その男、霧生勘之助きりゅうかんのすけは御年二十一歳、この丹山城の若き城主であった。温和で端正な顔立ちに的確な采配力、さらに剣の腕もあるとくれば誰もが尊敬の念を抱く理想の城主──とはいかなかった。この男には一つだけ非常にやっかいな悪癖があるのだ。


 じっくりと楽し気な様子で城下を眺める勘之助に、傍に控えていたじいがそっと声をかける。


「殿、そろそろお部屋にお戻りになられませんか?」


「…………」


「まだここにいると、そうおっしゃりたいのですな。しかしながら、一刻が過ぎますぞ。執務もございますし……いえ、そのようにキリリとしたお顔を向けられても、執務は減らせませぬ」


「…………」


「それに明日は年に一度の桜祭りではございませんか。殿は今年も例のことをなさるおつもりでしょう? でしたらなおのこと、執務は片付けておかねばなりますまい。さぁさぁ、行きますぞ!」


「………おう


 ぽつりと穏やかな声が発された。そう、この勘ノ助の唯一の悪癖とは、このとんでもない無口さであった。


 面倒がっているのか、口下手なのか、子供の頃から無口な室であったものが、城主となってからはめったに口を開かなくなったのである。開いたとしても一言、二言で終わる。


 長く放すことが非常にまれなために、その思考を読めるのは、じいのような側近中の側近だけである。しかしながら、その表情は引き締まったものになった。じいの催促に廊下を歩き出す速度は心なしか早いものであった。




「さぁさぁ、よっといで! 風車、風車はいらんかねぇ!」


「こっちはお面だよ! 魔除け・厄除け・縁起のいいお面がずらりとお揃いだぁ!」


「水あめ、水あめはこちらですよ。甘くて美味しい水あめはどうですか!」


 桜祭り当日は満開の桜並木が並ぶ城下の通りは大変な賑わいを見せていた。簡素な屋台に自慢の品を並べた店々が声を張っている。


 子供を連れた夫婦や逢引を楽しむ男女が屋台に足を止めれば、開けた通りでは猿回しや竹馬の芸が歓声をさらう。


 そんな中で質素な着流しを来て、ねじり鉢巻きを巻いた男達が数人で屋台を引っ張っていた。


勘太かんたさぁん、こちらでございますよー」


「…………?」


 屋台をのっそりのっそりと引っ張っていた男─勘ノ助は偽名に使っている名前を呼ばれて顔を上げた。相手は場所取りをしてくれていた手を振る側近、片平鶴吉かたひらつるきちであった。


 屋台をそちらに向かわせた勘ノ助は、鶴吉の肩を労うようにぽんぽんと叩く。それだけで十分に伝わるものがあったのか、側近の男は厳つい顔を面映ゆそうなものに変えて鼻をこする。


「ちっとも苦労ではありません。私、いえ、俺もこの日を楽しみにしていました」


「…………」


 勘ノ助は柔和な表情で頷くと、さっそく屋台の中に被せていた木の板を取った。とたんにふわりとダシのいい香りが周囲に漂う。


「……おでん」


 呼び込みのつもりか、勘之助が一言だけ声を発した。


 しかしながら、当然客足を止める声にはならない。それを見て側近達が我先に客を呼び込もうと声を張る。鍛えられた武士達の腹からの発声は通りに大変よく響くものである。


「おでん、おでんはいらんかねぇ!」


「こちらのお方、いや、名人が作られた絶品のおでんをぜひご賞味あれ!」


「ほかほかのじゃがいもに、味のよぉくしみた大根があるよ!」


 時折、口の滑りそうになった声もあったが、その甲斐あってか、興味を持った客が寄って来る。


「美味そうじゃないか。それじゃあ、玉子と鶏肉と大根を一つずつおくれ」


「……だく!」


「あん? だくぅ?」


「おっとっ、こちらの名人は口下手でしてねぇ。味は保証しますんで!」


「そうです、そうです。どうぞ気にせずに食べてください!」


「そ、そうかい? まぁ、美味けりゃいいさ」


 喜々として器に盛りつける勘ノ助を助けるようにずずいっと屈強な武士達が男に詰め寄る。


 その迫力にちょっとばかり身を引いた男であったが、そっと差し出されたおでんを見ると表情が和らいだ。そしてまずは大根に箸を入れる。力を入れずともすんなりと割れて、じわりと汁が滴った。口に含めば苦みのない大根のうまみに目を丸くして笑みを浮かべる。


「こりゃあ美味い! いやぁ、こんなに柔らかい大根は初めて食ったよ。あんた本当に名人なんだなぁ」


 この声を聞いて、怖いもの見たさのように遠巻きに様子を窺っていた客が二人、三人と寄ってくる。


「俺も大根をくんな」


「私はちくわと玉子をお願い」


「わしははんぺんとジャガイモがええのぅ」


「…………!」


 こくこくと注文の数だけ頷いた勘ノ助は、笑顔でお玉を動かした。




 夕暮れが通りを染める頃になると、ようやくおでんが売り切れた。勘ノ助は額に巻いていたねじり鉢巻きを取ると提灯がぽつぽつと灯された通りに目を向ける。


 夕焼けに染まって桜の花弁が金色に輝き、酒を楽しみ歌を歌う民の賑わいがここまで届く。


 振り返れば、疲れた顔に満足そうな笑みを乗せた年若い武士達が笑い合っていた。勘ノ助は成果を感じて、口を開いた。


「皆の者、ご苦労であった。おでんの屋台屋として民と接し、そなた達はなにを思っただろうか? 買ってくれた人々の美味いという言葉。そして皆に向けられたあの笑顔は、そなた達の努力によって作り出されたものだ。どうか忘れないでほしい。あれこそが私達が守るべき民の姿なのだと」


【はっ】


「今日の売り上げは皆で分けてくれ。では、後は任せたぞ、鶴吉」


「しかし、お一人では……」


「……護衛」


「そういうことですか。承知いたしました。では、気をつけてお帰りくださいませ」


 勘ノ助は口調を元に戻すと、鶴吉にコクリと頷いて背を向けた。ゆるりと城に向かって歩き出す。


 影に護衛がいるので、実際は一人ではないが、年に一度の祭りの余韻を楽しみたかったのである。


 三年前より始めた桜祭りのこの催しは、部下の意識を変えるためのものであったが、比較的上手くいっているようだ。


 勘ノ助が城主となった当初、末端の武士と民の間でいざこざが相次いだ。原因を調べると、そのほとんどがすれ違い様に肩が当たったことや、武士に対する礼儀を欠いているなど、些細な事から起こっていたのだ。おそらくは、武士達の矜持の高さが悪い面に作用したためであろう。


 そこで、勘ノ助は一計を案じた。まず、もとより無口だった自らを利用し、とことんまで言葉を発さなくしたのである。


 こうなると側近たちは勘ノ助の機微を気にするようになり、自分で考えることが増えた。そのことにより他人の内面を見通す力を得て、部下の様子により目が向くようになったのだ。


 部下は目を向けられていることを意識して、理性的な行動を心がけるようになった。そこでさらにもうひと押しだ。それが桜祭りにおでんの屋台をひくことにあった。


「努力した結果が喜ばれれば嬉しく感じるものだ。笑顔を向けられて快く思わない者などいない」


 民も武士も城主も全て等しく人である。そう意識が変われば人は寛容になれるものだ。勘ノ助は人々の笑い声を聞きながら、穏やかな微笑みを浮かべた。


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