SkyDriver in the Rain

紫蛇 ノア

01 空の運び屋シエロ

 ザアザアと雨が降る朝。自室で目を覚ました青年シエロは、雨で霧がふやむやと浮いた窓の外を眺めて嘆息した。

 ため息をつくにも理由がある。

 低気圧。偏頭痛。気分が下がる。以上の理由から、彼は雨が嫌いなのだ。

 シエロは痛み始めたこめかみを骨ばった指先で押さえて、やむ気配のない雨を睨む。視界の少し上にもくもくと広がる黒雲は、見渡す限りに広がっていて途切れを知らない。

 ひょいひょいと武骨な右手人差し指を振って、家の主ならいつでもどこでも開くことのできるホログラム式端末を呼び出し、スケジューラーを起動させる。

 今日は二一一〇年六月七日。予定欄には「臨時勤務日」と記されている。

 結構ハードな――ちまたでブラックと呼ばれる他社と比べれば、福利厚生のしっかりしているホワイトなシエロの職場で、誰かが休んだときにヘルプに入らなければならないシフト表示の印だ。

 幸いまだヘルプ要請はなく、今の地点では一日休みなのだが、この仕事の性質上、身体に支障をきたす人間が多いのも事実で……。


「~~~♪”♪”♪”」


 事実で。

 職場からの着信であることを示す有名クラッシック家の奏でる運命を知らす音楽がダダダダーン”と鳴り響く。

 うっと顔をしかめてシエロは通話ボタンをタップした。


運び屋ミュールNO. 46シエロ・アルバン。代理出勤を願います。繰り返します。運び屋ミュールNO.……」


 はぁぁぁ……。盛大な溜息をついて通話終了ボタンを乱暴にタップする。そして開けっ放しにしていたスケジューラーの「臨時勤務日」のテキストを半ばやけくそ気味にザッと削除し、「出勤」の文字を入力する。別段意味はないのだが。どうでもいいことを挟まないとやるせない気持ちでいっぱいになるのだ。

 そうして用済みのスケジューラーを落とし、続けて家事アプリを起動した。家事ロボットに洗濯物と朝食づくりを代替わりしてもらうのだ。

 そのあいだにシエロは地下ガレージに降り、愛車を引っ張り出す。今朝シエロに送られた無機質な機械音声が言ったとおり、シエロの職は「運び屋ミュール」だ。より荷物を安全に運ぶためには日々の点検は欠かせない。

 まぁ、それを日々の日課とし、月一で大規模な精密検査を行うので出勤日は軽くでいいのだが、それでもシエロは油を差したり、車輪を回したりと念入りに確かめる。

 それからわずか五分ほど。一通り見終わってから、シエロは一息ついて全体を俯瞰する。

 少しだけ傷の残る流線形を描いたメタリックボディ。きりりと胸を張ったような凛々しいハンドル。長時間使用を想定した柔らかく優しいサドル。そして少し力を入れるだけで軽く回るペダル。油を注されたチェーン。そして溝がしっかり刻まれたスマートなタイヤ。

 そう、シエロの愛車は自転車「型」である。

 わざわざどうして「型」などという表現を使うのか。

 それはシエロの愛車がただの自転車ではないからだ。

 四つある車輪の中心。そこには小さな丸い袋のようなものが二輪の両側に一つずつくっついている。

 シエロは最後の点検のため、それに跨って広いガレージ内でペダルを漕ぎながら右手でグリップを握り、少しずつ手前に引いていく。車輪についた小さな球に熱気級の原理のようなエネルギーが湧き、膨らみ、ふわりとタイヤが地面から離れる。

 人間が自力では絶対に味わえない浮遊感。この感覚に慣れない者は、この乗り物を嫌い、地を走る。しかしそれとは逆に、空に憧れた者にとっては羽が生えていなくても自由に空を飛ぶ鳥のような感覚に魅了され、心を揺り動かされる。

 〈SKY DRIVE〉

 それに乗って自由自在に飛び回る大人を見、キラキラとした羨望の眼差しを向ける子どもたち曰く、空飛ぶ車。

 二〇九八年。世界地図で言う東端の国、ここアメリカから日付変更線を越えたすぐそば、ジャパンで三社の有名企業が合同で開発し、自転車型〈SKY DRIVE〉が初の空飛ぶ車として発表された。そのときの盛り上がりたるや、世界中お祭り騒ぎで、それに後追いする形で様々な国がルール作りに追われた。激しい議論が行われ、国民が固唾を呑んで見守った末、免許制となった〈SKY DRIVER〉の資格は、先に有識者が集まるトウキョウで、開発に携わった研究者たちにより少人数にβ教習と称して伝授され、二〇九九年に生産・発売され始めたばかりだ。まさに人類が夢にまで憧れた乗り物の最骨頂と言えるだろう。

 あれから二二年経った今では、全世界に〈SKY DRIVE〉ドライビングスクールができあがり、日々多くの〈SKY DRIVER〉を輩出している。

 開発が進んだ今では、自転車型の次にバイク型も生産され、〈SKY DRIVE〉は瞬く間に主要な乗り物の仲間入りを果たした。

 なので、自転車型を今でも乗りこなすシエロは少し時代遅れという。特に荷物を運ぶ業種としては、荷台が多いバイク型の方が断然得である。

 しかし、彼は彼なりにとある理由でその車種に愛着を持ち、真面目に職務を全うしているので職場仲間からからかいはされども馬鹿にはされない。

 そんな変わり者シエロが本業とする、空を駆ける運び屋は正式名称を〈 青空宅急便 〉、愛称は〈 空宅 〉と呼ばれていた。まるで百年前に流行ったジャパニーズアニメーションムービーの略称さながらの呼び名だが、言いやすいうえに分かりやすいので、シエロも普段その呼び名を使っている。

 シエロは、無事に〈SKY DRIVE〉が浮き上がり空を飛ぶことができるのを確かめると、ゆっくりと着陸させ、ガレージのシャッター前に止めた。

 エンジンを切って鍵を抜き、シエロは一階へと戻る。食べるより先に風呂場に入ってシャワーを浴び、汗を流してさっぱりする。


「相変わらず、気の抜けた顔、だな」


 鏡に映る自分の顔。猫っ毛な金よりの茶髪は濡らして乾かしても、みょんみょんと跳ね、収まることを知らない。紺碧色の瞳は、どれだけ頑張って開いても細められていて、たまに閉じているとまで思われがちだ。

 この顔、いつの日かを境にどうしてものんびりしているとしか見られない。

 まぁ、シエロ本人もたまにのんびりしているところがあるので全て顔のせいにはできないのだが……。

 浴室から出て来たシエロの目の前に、着替えの下着とライダースーツがずいと差し出される。

 家族でも恋人でもない。ただの金属質な硬く冷たい手。家事ロボットだ。

 忙しいシエロがいつもお世話になっている便利道具の手である。

 乾燥機から出したてなのか、少し温かみのあるライダースーツを着込み、台所の家事ロボットがダイニングの机に作って置いてくれている、こんがり焼かれた食パンとハム&エッグをちゃちゃっと完食し、歯を磨いて仕事の準備をする。

 耳にイヤホンジャックを差し込み、ポケットには線の元になっている無線機を入れ、備え付けのホルスターに回転式弾倉シリンダー内の弾数を確認してから銃を差す。

 弾が六発入り、武骨な準黒色の重心を持つ回転式拳銃リボルバー

 それは、運び屋である彼が護身のために、この現代社会においても身につけなければならないほどの危険物を届けることを意味している。この国は国民が銃を携帯することが認められている。政治家がいつか、いつかと言って、いつまでも禁止ができていない負の象徴である。

 更に弾を十二発分、ホルスターの小ポケットにしまい、シエロは雨が激しくなった音を背中で聴きながら、また地下のガレージに向かって歩き出した。

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