第36話 イングリット因果律
フレスコが淹れてくれるお茶は砂糖も何も入れなくても甘くて濃ゆい。茶葉がお湯にくぐる直前まで時間を調整し続けて発酵と熟成を進ませているからだ。そしてお茶としてカップに注がれてからも決して温度が下がることはなく、いつまでも飲み頃の温度をキープし続ける。
フレスコが言うには、お茶は時法算術の基本スキルらしい。お茶をこよなく愛するタイムレスワールドの住人らしい研究成果だ。世のため人のためにスキルを活かすわけじゃなくて、幸せなティータイムを過ごすために凄まじくスキルを突き詰める。
今度スチームパンクワールドの燻蒸コーヒーでも持ってきてやろうかな。スチームパンクなコーヒーにどんな反応を示すか見てみたい。
「俺が今ここにいるのが、イングリットさんのため? いや、違うか。時系列を無視して考えれば、イングリットさんのために俺はここにいたってことか」
フレスコは熱く濃いお茶を一口含み、男か女か不明な整った顔立ちを柔らかく緩ませた。こうして笑っているのを見ると妙齢の女性って感じだが、話していると骨太な漢らしい一面を覗かせてくる奴だ。ほんと、わからん。男か女か訊くわけにもいかないし。
「素晴らしい」
「何が?」
時法算術を取り入れた俺の考え方か? それともおまえが淹れたお茶の完成度か?
「スチームパンク技師が繰り出す技術力の高さだよ」
「そっちかよ。って、おまえにスチームパンクワールドのこと話したっけ?」
「これからオマエ自身が話すんだよ。この甘茶からオマエはスチームパンクワールドを思い描いた。それは偶然ではない。必然だ」
確かにスチームパンク燻蒸コーヒーを思い出したが、それって必然か? なんか言いくるめられてる気がしてくる。フレスコはティーカップを傾けながら続けて言う。
「人が絡めば因果が生じて流れは必然となるものだ。オレとオマエの会話でこの世界とスチームパンクな異世界は繋がった」
「大袈裟だな。ただコーヒーを思い出しただけだよ」
「きっかけはいつも小さな物語だ」
フレスコは背もたれに身体を預けて、まるで乾杯するかのように俺にティーカップを向けた。
「オマエは異世界のモノを別次元異世界へ持ち込む触媒となった。時法算術スキルを教えてやるよ。オマエのスキルと掛け合わせれば、どんなに持ち運びに時間がかかるものでも、給料を前借りするみたいに時間を前倒しして異世界間召喚できるようになる。オマエならやれる」
給料前借りだなんて嫌なワードが聞き捨てならないが、別次元異世界への転移なら俺の得意スキルだ。そして異世界間召喚。異世界の物を他の異世界へ持ち込むスキルか? それなら、俺はもう常にフル装備だ。
「俺ってすでに異世界アイテム満載だぞ」
「そういうことだ。オマエはすでに時法算術異世界間召喚をマスターしていたんだ」
「そんな難しいことしてたのかよ、俺って」
「オレとオマエの出会いも無駄ではなかった、というわけだな」
あ、ここで乾杯か。俺は自分のティーカップをフレスコのと軽くぶつけ合わせた。お互いのティーカップはカチンと硬い音を奏でた。さて、甘茶いただきます。
「冷たっ!」
なぜ冷たいし。淹れたてのお茶なはずが、俺のだけ冷蔵庫にしまっていたかのようにキンキンに冷えてる。カップを交わしたフレスコのは温かそうな湯気を立てているというのに。
「熱い戦いのあとは、冷たいお茶で喉を潤すと気持ちいいだろ?」
「だからって冷た過ぎ、ん? ちょっと待て。熱い戦いって、次のバトルは熱系か? 今ちょうど四天王戦に入ってるんだよ」
「四天王戦か。通りで。さすがの異世界を探究する者タナカの勇者カナタも苦戦するわけだ」
「ひょっとして、もう戦いの結果知ってる?」
俺が勝つ。何故なら俺は異世界最強だからだ。それは決定事項だとは言え、隕石人間メテオマンの例もある。もし時法算術で四天王戦の攻略法を調べられるのなら聞いておきたい。念のためだ。念のため。
「結果は知らない。因果は知っている」
フレスコはロングスカートのすらりとした組んだ足をぷらぷら揺らして笑った。何だよ、ちょっと期待しちゃったじゃないか。
「オマエが勝つためにオマエはここにいるんだ。オマエの行動は因果として事象を連結させる。つまり、オマエが勝つことは、愛しのイングリットさんが決めたんだ」
「理屈がぶっ飛んでてわけわかんねえよ」
「それをイングリット因果律とでも呼ぼう」
「イングリット因果律って」
「今はオレにもまだわからない。だが、そのうちわかる。オレもオマエも因果に捉われている世界の部品だ。時法算術とはそういうもんだ」
そういうもんだ。時法算術学者のフレスコがそういうなら仕方がない。そういうもんなんだろう。イングリット因果律とかいう小難しいキーワードの解釈も後回しでいいや。自然と理解できる時が来るはずだ。
「戦う当事者じゃないから気楽なものだな、時法算術学者フレスコ・スピリタス」
「これでも共に闘っているつもりだ、異世界を探究する者タナカ・カナタ」
ともかく、俺はいつのまにやら時法算術異世界間召喚法をマスターしていたようだ。何かで試してみるのもいいな。
さて、どの異世界から何を召喚してみよう。俺も背もたれに身体をぶん投げて高く足を組んで、と思ったら、俺の靴下が見えた。あれ、蹴爪ブーツ、どこに行った?
「うお、ブーツが消えた」
「魔改造のためにスチームパンクワールドから物質召喚されたんだろ」
「気が早いな、俺」
「善は急げ、と教えてくれたのはオマエだ。あ、それとな」
どこからか大型トラックのエンジン音が聞こえてくる。
「お土産は燻蒸コーヒーとやらがいいな。淹れたてを試してみたい」
「わかった。極上のコーヒーを異世界間召喚しとくよ」
どかんと、斜め下から16トンコンボイトラックが現れて、俺は激しく宙に舞い上げられた。
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