【酒精の魔女】サクラ=メルクオーテへのご依頼

奈名瀬

【酒精の魔女】サクラ=メルクオーテへのご依頼

「『酩酊めいてい』」

 蠱惑的な女性の声で紡がれたそれは――魔術だった。


 『酩酊』……。

 対象者を文字通りひどく酔わせることのできる酒を用いた初歩的な魔術。

 また、使いようによっては『眠り』や『拘束』といった魔術と同じく、相手の自由を奪うことのできる恐ろしい術なのだが。


「これで、依頼は完了ね」


 手に持っていた果実酒に「Chu」っとキスをして、そのまま酒を呷ろうとしていた黒衣の魔女――もとい、自分の師であるサクラさんから酒瓶をひったくる。


「あっ! 私のお酒ぇ!」


 取り返そうと手を伸ばして駄々っ子のようにわめくサクラさんに、僕は呆れと怒りを半々にして口を開いた。


「『私のお酒ぇ』じゃないですよっ! なんですかっ! この依頼は!」

「何って……ギルドから受けた真っ当な依頼じゃない?」

「『どれだけ酒を飲んでも酔えないから『酩酊』の魔術をかけてくれ』なんてのは依頼じゃないでしょっ!」

「あっははー☆」

「『あっははー☆』じゃないですよっ! 笑って誤魔化さないでくださいっ」


 屈託のない笑顔を見せられ、わなわなと止めようもなく手が震える。


「あら? どうしたのよ怖い顔しちゃって? 手、震えてるじゃない。あっ! もしかしてお酒が切れちゃった?」


 直後、ぷつんと一本の糸が切れた。


「ああもうっ! だから貴女は【酒精の魔女】なんて呼ばれてるんですよっ!」

「あっははー☆」


 怒鳴ってみせてもなんのその……。

 サクラさんは気にした様子もなく、どこからか取り出した二本目の酒瓶に口をつける。 


「笑い事じゃないですよっ、恥ずかしくないんですかあんな二つ名って! どこから出したんだしたんですか、その酒! ああもうっ、口飲みしないっ! 行儀悪いっ、威厳がないっ! せめて工房に帰ってからにしてくださいよおっ!」


 その後――。

 いくら取り上げてもサクラさんは次から次に酒を出し……このやり取りは、僕達が工房に戻るまで続いた。


 しかし。


◆◆◆


 翌朝、サクラさんは報いを受けることになる。


「頭……痛い……」


 そう、二日酔いだ。

 ベッドの上でだらんと脱力し、アンデッドみたいなうめき声を出す彼女を見ると……。

 ああ、この人でも二日酔いになるんだな、と。安堵した。


「サクラさんみたいな飲兵衛でも、ちゃんと二日酔いになれるんですね」

「なによ、その言い草ぁ」

「いえ。ただ、サクラさんって血液にまでアルコールが含まれてそうなので」


 直後、サクラさんはふいっと視線を逸らし。


「…………」


 まるで、不味いことに気付かれたと言わんばかりに口を閉ざした。


「いやっ! 否定してくださいよっ!」

「なによお! おっきい声、出さないでってばぁ! うっ……こう、もう少し師匠を敬えないものかしら」

「敬ってますよ。ただ、呆れさせられることが圧倒帝に多いだけです。ていうか『師匠』って呼ばせるわりには魔術らしい魔術を教えてくれないじゃないですか」


 じぃっと責めるような眼差しを送ると、彼女は不思議そうにきょとんと首を傾げる。


「あら? ちゃあんと『酩酊』の魔術を教えてあげたじゃない。それに『消毒』に『火吹き』まで……」

「消毒って! 口に含んだ酒を吹きかけることのどこが魔術なんですか! 火吹きだって、あんなのただの宴会芸でしたよっ!」

「だ、だからっ――大きい声出さないでってばぁ」


 この世の終わりみたいな顔をしながら頭を抱えたサクラさんに、それ以上なにも言う気は起きなかった。


「はぁ……もういいですよ」


 ため息を吐きながら枕元に酔い薬を置き、部屋の出口へ向かう。


「じゃあ、僕。ギルドへ依頼達成の報告をしてきます。ついでに……! 依頼があったら受けてきますけど、いいですよね?」


 だが、ドアを開いた途端――。


「待ちなさい」


 ――と、急にサクラさんは落ち着いた声色で引き止めた。


。名指しの依頼があったのなら、それは絶対に断ってはダメよ?」


 ゾッと背筋が冷える。

 恐ろしくはないが、どこか逆らえない強制力を感じた。


「…………それって、昨日みたいな酔っ払いからの依頼でも、ですか?」

「勿論。むしろ【お酒】に関する依頼なら、どんなものでも断ってはいけない。だって、私は【酒精の魔女】だもの」

「……わかりました」


 それから、サクラさんは唇を細めて静かに笑うと黙って僕を見送った。



「……サクラさん。サクラさんってすごい大魔女様なんですよね?」

「まあ、そう持ち上げる人もいるわね」

「だったらなんで『村人に最高のお酒を振る舞ってほしい』なんて依頼が名指しで来るんですかっ!」

「あっははー☆」

「笑い事じゃないですっ!」


 大量の荷物を背負う僕の先を歩きながら、サクラさんは最初笑って誤魔化した。

 けど、くるりと振り返るなりニタリと笑うと得意げに口を開く。


「やぁねぇ、怒ってばっかりで。安心なさい。これ、正確には『神酒を用意してほしい』という真っ当な依頼よ」

「えっ? 神酒? け、けど、依頼書にはそんなこと書いてませんでしたけど?」

「そりゃだって、今から行く村はいわゆる『異端の神』を信仰しているのだもの。まさか『異端の神に捧げるための神酒を用意してほしい』なんて書ける訳ないでしょ?」

「そりゃまあ……ああ、だから『村人に最高のお酒を振る舞ってほしい』って――異端の神に捧げる神酒って、それ絶対にじゃないでしょっ!」

「あっははー☆」


 サクラさんは僕の反応を見てひとしきり笑った後「でもね」と続けた。


「二大宗教の権威が強くなった今でこそ『異端の神』とされているけど、元々はこの辺り一帯で古くから信仰されている神様なのよ?」

「そう、なんですか?」


 異端の神と聞くと構えてしまったが、元々古くからいた神と聞かされると印象が変わった気がした。


「まあ『自分こそが正当な神の教えに従っている』と思っている者には、古いも新しいも関係ないのでしょうけどね。ねぇ、依頼の内容は覚えている?」

「えっと……いえ――」


 サクラさんに問われて、僕は首を振りながら荷物にしまっていた依頼書を取り出す。


「――『【酒精の魔女】様へ。夜の長い季節となり、貴女様におかれましては月夜を肴に美酒を呷っていることと存じます。』……」


 ……この時点では、既知の飲み仲間からの遠慮のない手紙にしか見えない。

 いや、そう見えることこそ重要なんだろうか?


「『私共の村では例年通り、お祭りを開くことになっております。村をあげての年に一度の催しです。つきましては、また貴女様から村人に最高のお酒を振る舞ってほしく、ご依頼させていただきます。もちろんお酒だけでなく料理も最高のものを揃え、村人一同、貴女様を歓待させていただくつもりです。では、最高のお祭りとなりますよう、どうかよろしくお願いします』……と」


「ね?」

「いや、何が『ね?』なんですか……」


「だからほら、一言も『祭事だ』なんて書かれていないでしょう? わざわざ『最高のお祭り』だなんて」

「それはまあ……でも、なんでわざわざ『最高のお祭り』なんて書いたんでしょう」


「うん? それは『収穫祭』と書くには時期が外れているし『祝祭』と書くわけにも――」

「そのなんていうか、そうじゃなくて……これ、読みようによってはバレバレというか。あんまり隠す気なくないですか?」


「…………そうね。そうかもしれない」


 サクラさんは楽しそうな顔が一変し、物憂げな表情を浮かべる。


「本当は、隠したり、隠れたくないのかもしれないわね」

「サクラさん……」

「さあ、見えてきたわよ」


 サクラさんがまた、くるりと前を向く。

 それがまるで、今は顔を見せたくないという意思表示のように感じた。


◆◆◆


 前言撤回。


「「「「「カンパーイ」」」」」


 物憂げな表情はどこへやら……。

 隠したり、隠れたりしたくないどころか……村の中は『隠す気がない』といった様子だった。


 まさしく『最高のお祭り』というに相応しい雰囲気だ。


「あのっ! 表立って、神事はできないんじゃなかったんですか?」


 村のいたる所には異端の神と思われる木像が乱立し、大勢の村人が特異な化粧をしている。

 しかし、サクラさんは「ぷはっー☆」とジョッキを干した後、満面の笑みで答えた。


「らいじょーぶ! これ『神事』じゃないからっ☆ お祭りらからっ♪ ねーっ?」

「そうだそうだっ!」

「シンジじゃあねぇぞ!」

「ぶわっははははっ! 祭りだ祭りぃっ! なんの祭りかわからんが、とにかく祭りだあっ!」

「お祭り、最高っ!!! 神様、ありがとーっ!」


 今、言うまでもなくサクラさんは酔っぱらっている。

 村に入るなり、どこからともなく現れた村人達と一緒に酒を呷り、気持ちよさそうに酔っぱらっている。


「ねえ! サクラさんってばあ、依頼はいいんですかっ! 『神酒』届けに来たんですよねっ?」

「ばかでしぃ♪ 『神酒』なんて言っちゃらめじゃなーい☆ だってこれ、神事じゃないんらからぁ~♪」

「そうだぞ! 神酒なんてねえっ!」

「あるのはただの酒だけだあっ!」

「ねー☆」

「「「「ねー」」」」


「……このっ、この――」


 わなわなと指が震える。


「――この酔っ払いっ!」


 怒鳴っても、酔っ払い共は楽し気に笑うだけだ。

 何がだ……何がだ。


「こんなの……ただのサバトじゃないですか」


 果実酒の匂いが蔓延する中、ちいさなつぶやきは煙のように消えて行ってしまった。

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