第32話 春の嵐 ~ 4 ~


うぅんーと唸り、寝返りをうって目をさますと辺りは暗かった。

ベッド脇のサイドテーブルの燭台が、仄かに周りを照らしている。


ー ー イルヤったら、蝋燭をつけっぱなしで行っちゃたのかしら。


そう思い頭を持ち上げると、窓辺の椅子に黒い人影が見えて、

エミリアはギクリとした。


かすかな彼女の動きに気づいたのか、頭を抱えるように座っていたその影は、

こちらを向き、はっとしたように立ち上がるとベッド脇に駆け寄ってくる。





   「気づいたのか、よかった」




心の底から安堵したように駆け寄ったその人は言ったが、

知らない大人おとなの男の人だ。

でも蝋燭の明かりに照らされた顔は、知っている少年にとてもよく似ている。


ー ー この人は誰かしら?  どうしてここにいるの?


頭の中につぎつぎと疑問が湧き上がり、彼女は怯えて警戒した。

恐い人には見えないが、彼は悩むように眉を寄せ、

何か言いたそうなのに何も言わない。


だけど、大好きな少年と同じ色の優しげな瞳に見つめられているうちに、

なんだか大人になった彼が側に居るみたいに思えてきて、エミリアは急に

恥ずかしくなった。


顔を隠すようにさっと俯けば自分の胸元が見えて、彼女は驚愕に

目を見開き、叫び声をあげた。

ばっと上掛けを勢いよく引っ張りあげる。


ー ー どうしてなの?!


胸元は乱れ、弾け飛んだようにボタンが数個失くなっていて、

あろうことか胸の谷間までが見えていた。





    「見ないで!」





そう叫び、ベッドの上で丸く身体を縮めて、やっとエミリアは自分の身体の

違和感に気づいた。


ー ー なんだか大きくなっているわ、身長もそれに、胸も……。





   「急に身体が変わり始めて…… その、 胸の詰め物のせいで

     ボタンが弾け飛んだんだ。

     …… 私が外したわけではないし、非礼なこともしていない」




拳で口元を押さえ、気まずそうにはっきりしない口調でその男性が言う。

恥ずかしさで頬が焼けるように熱いが、エミリアは、

そぉっと少しだけ顔をだして問いかけた。




   「あなたは誰なの?」

   「え? …… 私は……」




問いかけに驚いたように目を見張り、またその男性は口ごもったが、

すっと表情を引き締めるとはっきりとした声をだした。




   

   「私の名は、アスタリオン=D=リバルド、リバルドの王子だ」





王子…… 。


その言葉に、ぼんやりと膜がかかったような頭の中に記憶が徐々に蘇り、

そしてだんだんと鮮明になっていく、あっ、と声を漏らしエミリアは呟いた。



   「アスター王子」

   「そうだ、エミリオ。 いや、エミリアなのか……?」




ー ー そうだわ、私は、エミリオという名の男だった。


準兵士となって身を隠し、そしてリバルド来てからは侍従として

この人に仕えそして、この人に惹かれた。


すべての記憶が繋がり、エミリアが愕然とした表情でゆっくりと

身を起こすのを、眉を顰め見つめていたアスターは、戸惑いつつも、

もう一度、彼女に問いかけた。

   



     「エミリオなのか、それともエミリア、なのか?」




複雑に揺れる王子の瞳をじっと見つめ、答えが静かに言葉となる。



      

     「私は、エミリアです」




驚きに支配され言葉を無くし、アスターはしばし無表情になって

エミリアを見つめていたが、やがて泣きそうに顔を歪めると、腕を大きく広げ、

彼女の身体を抱きしめた。

” 信じられない “ と何回も口にし、わずかに身体を離してはエミリアの顔を

覗き込んで、” 間違い無いんだな “ と何度も確かめる。




   「薬の力で、性のない身体になっていたの。 

    本当は二ヶ月でもとに戻るはずだったのに…… 

    そう、お父様が亡くなったことを聞いて、そして何もわからなく

    なったのだわ」




顔にはまだ驚きが残っているものの、エミリアの告白に、徐々に喜びが

溢れんばかりになってアスターはまた彼女を強く抱きしめた。



  

    「やっと逢えた」




心地よく温かな腕の中で、エミリアも深く頷く。

でもまだ頭の芯がぼうっとして、信じられない気持ちの方が大きい。



   

   「もう、離さない、もう二度と君を失ったりしない。」




自分に言い聞かせるように強い声でアスターはそう繰り返し、

エミリアの瞳を覗き込んだ。



   

   「貴方のすべてが欲しい、今、ここで」




だがそう言って、アスターは苦しげに息をついた。



   

   「王太子妃にはできない。

    だが私の側妃として、今度こそ私はあなたを守り、幸せにする。

    側妃は持たないと思ってきた、要らぬ争いを生むと思ったからだ。

    でも私はメリアナを愛せないし、宰相に力も与えたくない。

    それに私が唯一愛する女性は、エミリア、一人なのだから」




嬉しい言葉に心が震え、涙が盛りあがりそうになる。


失ったと思っていたものは、実はすぐ側にあった、

信じられないほど近くに、手を伸ばせば届くところに!

でも、簡単にできはしない。


王太子妃の宣旨は明後日だし、リバルドの者ではないどころか、

敵対していたロンドミルの人間である自分をどう側妃にできるというのだろう。

それにエミリアに戻った自分は死者で、生者の中には居場所など、どこにもない。


でも 。


ー ー 彼ほど愛しい人は、他にはいないの。 


自分はエミリアとしてもエミリオとしても、彼に惹かれ、恋に落ち、

そして愛した。


記憶を失っていても、瞳に映るのは彼一人。

それは恋い焦がれて 苦しいほどに…… 。

今も本当は愛されたいと、自分の全てが望んでいる。


迷いながらもエミリアは手を伸ばし、アスターの身体を抱きしめた。



    

    「愛してください、今宵だけでも」




震える声でそう言って、エミリアは、心の中で何度もつぶやいた。

一度だけ、たった一度だけ......。

   



口づけは熱く、まるで焼けるようだった 。

互いの息は絡みあい溶け合ってひとつになり、吐息となって滴り落ちた。


こめかみに、頬に、耳にアスターは順にキスをして、首筋に、

そして覗いている胸の谷間にも愛をしるす。


優しいキスの合間にボタンは全て外されて、王子の手がドレスの胸元を開く。


詰め物のせいでコルセットはつけていなかったので、素肌がひんやりと

夜気に触れて、エミリアは両手で胸を隠した。


   

    

    「やっぱりダメよ、恥ずかしいわ」




その言葉にアスターは動きを止めたが、企むような笑みを

口端しに浮かべ、囁く。



  

    「隠さないで、見たいんだ」




ふるふると首を振ったのに、アスターはエミリアの両手首を捉え、左右に開く。


強く握られているわけではないのに抗うことができなくて、頬を染めてエミリアは顔をそらし、アスターは熱い吐息とともに感嘆の声を漏らした。



  

    「美しい……」




もうなにも、二人をとどめることはできなかった。


恥ずかしさは、燃え上がるような情熱の炎の前にいつしか溶け消えて、

衣服を取り去り肌と肌をあわせれば、愛しさはさらに満ち歓びが身体を貫く。



   

   「エミリア」

   「王子」




そう呼ぶとアスターは、はにかんで微笑んだ。



   

   「デューと呼んでくれないか」




エミリアが驚いたように見返すと、頬を赤くし、彼は気まずそうに

目を逸らしたが、その少年のような表情にエミリアは思わず腕を伸ばし、

自分から唇をよせた。



  

    「デュー」




触れ合ったままの唇に甘い吐息を絡めてそう呼ぶと、王子は太陽のように

明るく笑い、息が止まるほどエミリアを抱きしめる。


この上ない幸せが二人を柔らかく包んだ。



   

   「愛している」

   「私も、愛しているわ、デュー」




甘い囁きと溜め息に彩られた夜は、深く永遠に続くように思えたが、

やはりそれは儚い夢。


星明かりはいつしか微かになり、現実を覆い隠していた暗い夜のとばりは、広がりはじめた朝陽の中に消えていき、夢のときは終わりを迎えた。

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