第18話 麗らかな日々 ~ 2 ~



エミリオと庭でわかれ執務室に戻ったアスターは、息を吐くと、

深く椅子にもたれ込んだ。


     

    「あんな風に思っているとは……」



温かい気持ちが胸に満ち、彼の子供のような素直な必死さを思い出せば、

またアスターの口許には笑みが浮かんだ。

準兵士として国境線の砦にいた割には、賢く博識で、落ち着いた上品さのある

エミリオだが、妙に子供っぽいところもある。

それがまた、初恋の少女の面影と重なって、アスターの胸は狂おしく

しめつけられ、彼女とはなんの関係もないとわかっていても、彼の中に

恋しい人の姿が垣間見えて、堪らない気持ちになる。


だが、…… 、なぜだ?  


なぜ彼の言うことと、彼女との思い出がこんなにも重なる?

傷の手当を終えれば、すぐにでもロンドミルに帰れるようにして

やろうと思っていたが、日ごとに彼女の面影が濃くなっていき、

また彼自身にも魅了され、簡単には手放せなくなってしまった。


そして、胸に広がる疑念がある。



   

「やはりなにか、おかしい」




二人を結びつける何かが……きっとある。




ノックの音が執務室に響き、イアソンが入ってきた。



   

   「お呼びでしたか」

   「以前、ノーズ公爵家について調べさせていた者は、まだ

    ロンドミルにいるのか?」

   「はい」

   「すぐにもう一度、調査を依頼したい。

    公爵家についてはさらに詳しく、それから、アンセルの

    ブラン将軍家とエミリオ=デュッソについてもだ」

   「……」

   「イアソン」

   「もう、あの方にも、彼にも、深く係わることは

    おやめになられたほうがいいと思います」




冷めた表情で、イアソンが答えた。



   

   「変な勘ぐりをする者が出てきていますから」

   「変な?」

   「彼はアスター王子の稚児なのかと」

   「なっ……」




その時、アスターがなにかいうより早く、早急なノックの音が部屋に響いた。

弱り切った顔の事務官がドアを開けて宰相の来訪を告げ、

それを押しのけるようにして、宰相ロービスがあらわれる。




   「お久しぶりでございますな。

    お茶会に何度お誘いしても足を運んでいただけず、

    どうしてだろうと思っておりました」




今日も隙のない凝った衣装を身につけ、大げさな身振りで一礼し、

もったいぶった様子で彼が言う。



   

   「申し訳なかった、少々気がかりな案件があり、

    調べるのに時間がかかってね。

    何でも一度にこなせるほど、私は器用ではないから」

   「はて、王子ほどの方を煩わせる気がかりとは? 

    ああ、そういえば、傷を負った美しい少年をお連れになったとか、

    まさか、それが原因ではありますまい」

   「……」

   「王子、まったく信じられないことで、口にものぼらせたくない

    ことなのですが」

   「私がその者を稚児にしようと思っている、ということか?」

   「ご存知でしたか!」




眉をひそめ前かがみになり、ロービスが声を落とす。


 

   

   「そのような不敬なことを申す輩がおります。……

    まさかそのようなことは……」




ふっとアスターが口角をあげ、それを見てロービスは、悪戯坊主を

叱る父親の顔になった。



   

   「火にないところに煙はたたぬ、煙がたつようなことを

    してはいけませんな。

    ましてやあなたは、将来、一国を背負う身。   

    末長い安寧のために然るべき妃を迎え、

    お世継ぎをもうけなければならぬ身。

    それが、あろうことか、男に興味をしめされるなど……」

   「彼は非常に賢く穏やかで、驕ることのない性格だ。

    一緒にいると気持ちが落ち着く」 

   「王子!」

   「私は……」




急に、面白く価値ある考えが頭に浮かび、アスターはにっこりとした。



   

   「私は、彼を私付きの侍従にしようと思っている。

    長く仕えてくれたハグサムは高齢になり、

    後継者が欲しいと言っていたからね、ちょうどいい」

   「王子!」

   「一国を背負って立つ者こそ、優秀な者を側に置くべきだと

    教えてくれたのは君だったろう?」

   「それは、よき妃を迎えるための心構え、として言ったことで」

   「ちょうど今、イアソンが新しい侍従の手続きを

    してきてくれたところだよ。

    宰相の教えをちゃんと実践している私は、褒めてもらえるだろうね」




うぬぬと喉の奥で声を漏らし、ロービスは上目遣いにアスターを睨めつけた。


だが、そんな彼の目の前でアスターは涼しい顔で一枚の紙にさっさっと署名し、さもその紙が公な書類であるように、イアソンに渡す。



    

   「侍従長と共に、エミリオに通達を」

    「はい」




紙を手にイアソンが部屋を出て行くと、ロービスはそれまでの仮面など、

かなぐり捨てて、つかつかと執務机に近づき、ばん!と両手をついた。



   

   「リバルドの王子が男色家だという噂が流れば、

    お妃選びが難しいものになりますぞ」

   「私は決して男色家などではないし、彼を用いるのも

    そんな理由ではない。

    それに、本当に国を思い私に嫁いでくる妃なら、そんな噂

    など気にしないと思うが」




机についた手をわなわなと震わせ、彼はしばらく王子を睨みつけていたが、

やがて喉の奥から絞り出すような声でいった。



   

   「春には妃選びを終える、という話は変わりませんな」

   



目の前の血走った目を静かに見つめ、アスターは答えた。



   「ああ、遅くとも春が終わるまでには。それは陛下とも

    お約束したことだから」





その頃エミリオは、一人部屋で頬を桜色に染め、脱力気味で座っていた。

心の中はふわふわしたピンク色の雲みたいなもので一杯で、

それは途切れることなく湧き上がり、むくむくと膨らんでいく。


ー ー 王子、アスター王子 。


心に浮かぶのは彼の名前、彼の顔、彼の声、彼の言葉、それから...... 。

幸せなのに切なく、苦しいのに笑みで口元が緩む。


彼の腕、彼の抱擁 ......。

思い出せば頬の熱が増し、いや、ダメだ!と否定するが、またすぐに、

王子の姿を思い出して、うなされる熱病患者のように思考は正しく働かない。


ー ー どうして、こんな風になってしまうんだろう。男として育ったのに。


やっぱり女でもあるからだろうか?


王子は身体のことを知っているようだが、それでも男として生活している人間に好きになられても困るだけだろう。


第一、身分が違いすぎる。


ー ー バカだな僕は、意味もなく、こんなに舞い上がったりして。


だが外套を着たまま、ぼーっとなって考えているエミリオの耳に、

突然、強いノックの音が飛びこんできた。


ー ー 王子!?ー。


さっき庭でわかれたばかりなのに、また王子が?と思うと頬が熱を持ち、

紅い頬を押さえ、あたふたとする。

するとまたすぐドアが鋭く連打され、追い詰められたエミリオは、

おもわず ”ひゃいっ! “ と間抜けた声をあげた。


ガチャ、とドアが開く。

が、入ってきたのはアスター王子ではなく、女官たちに歩く気品と

言われている白髪の侍従長と、同じく女官たちに鉄仮面と言われ

恐れられている、王子の執務補佐官、イアソン=モロー子爵だった。


思いもしない二人の来訪に驚きかたまっているエミリオの前へ、

カツカツと靴の音を響かせ、姿勢正しくて歩いてきたイアソン子爵が、

手に持っていた紙をバサリっと広げ読み上げる。



   

   「本日、ここに ” エミリオ=デュッソ “ を、アスタリオン殿下

    付き侍従に任命する」

   「は?」

   「これから、職務内容、規約、また侍従の心構えなどについて、

    侍従長の特別講義を受けてもらう。

    そしてその間に、女官たちがあなたの私物を新しい部屋へ運ぶ、以上」

   「ちょっ……!」




……と待ってください ! という間もなく、イアソンの合図で、

わらわらと入ってきた女官たちがクローゼットの衣類や棚の本を

運び出しはじめ、唖然としているエミリオの前に、すすすっと侍従長が

進み出た。



侍従長は、エミリオを見て目を細める。

そしてにっこりと上品に微笑みながら、決して拒否できない声で言った。



    

   「では、始めましょうか」


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