ある日の書店の話(仮)

Day1


「藤春さんって、少女漫画のヒロインが一目惚れする相手の名前っぽいですよね」



猫毛が躍る頭に向かってそう言ってみる。



「まあ実際、その理由で一目惚れされた事が何度かあるよね」


表情を変えもしないで、果てしなく無気力に、興味もなさそうに、答える。




「栞ちゃんもいい名前だよね、名字すごいけど。癸生川(きぶかわ)って、名家とかなの?」


バイトの面接のときも同じことを聞かれた質問だけれど、すっかり覚えていないらしくて、まあそうだろうなと半ば諦めつつ説明する。実際、名家でもなんでもない。

珍しいだけの気取った名字だ。



「栞ちゃん、新刊のポップ作ってくれるかな」



優しくもないし、ぶっきらぼう。面倒くさがりのくせに変なところに細かくて、学生のころのあだ名は偏屈王子だったらしい。

適格なネーミングに拍手を送りたくなる。




藤(ふじ)春(はる) 航(わたる)はこの書店の店長。

わたしはたった一人のバイト書店員だ。




「栞ちゃん、くるり好きなんだっけ」

あ、覚えてたんだ、と驚きつつ急いで頷く。


「その歳で、珍しくない?」



「そんなことありませんよ、ライブでも若い子結構いますから」



少しむっとなりながら、分かってないなあとこぼした。音楽に古いとか新しいとか、そんなことは関係がないのだ。



「〝 さよなら 別れはつらいものだとして 〟って始まる曲あるよね」



生きなければ、と歌うあの曲。




「ありますね」




僕もあの曲好きなんだよね、と隣で笑っている。



いい趣味だと思ったけれど、本人には言わないでおこう。



ポップのデザインを考えながら思い出す、

こんなふうに水底の海藻のように同じ場所でただゆらゆらと生きるようになる前のことを。



どうにもならないことを、どうにかしようとして、思い悩んで涙したりして。


なんだこれ、なんなんだよ毎日、と思いながらも少しずつでも前に進んでいた日々。


あれが「青春」って安っぽい言葉で片付けられるアレなんだろう、と、今ならわかる。




躍るのは好きだったし、たぶんずっと躍っていける人生を自分は歩める人間だとも思っていた。



それがどうやらそうでもないようだと気づいた時、自分はとっくにバレエ以外のものは何も持っていなかった。



怪我をした、そう、周りには言っていた。


もうあんまり激しく踊れないみたいなんだよね、と。




実際のところ、嘘ではないけれどもすぐにやめなければならない状況ではなかったし、休んでいたところで治りもしないような怪我だったものだから、両親からもなんとなくプロは無理なんじゃないかと諭されるのも頷けた。




その事を、何故かためらいもなくこの書店のバイト面接で来歴の説明のために藤春店長に話したとき、藤春店長は怒りはじめた。




「いやそれさ、ご両親、よくないよね。


まだ踊りたそうな娘に、良くないと思うなぁ僕は。


バレエ、好きだったんでしょ、ていうか今も好きなんでしょ、


そっちのレール戻りたくなったらいつでも辞めていいからね」




いきなり何を言ってんだこの人は、と思いながらも、私が腹も立てられなかった複雑な想いに腹を立ててくれたことを何となく感じて、悪い人ではないんだろうな、と思ったのだった。



「ほんとよくない。君はきっとまだ踊ってられただろうにさ。

まだ何にもならなくてよかっただろうにさ」



何にもならなくてよかっただろうに、という言葉が、あの日から未だにぐるぐると、私を取り巻いている。


きっと藤春店長のこともいつからか取り巻き続けているんだろうなとは思いながらも、同時に、巻き込まないでくださいよ、と声が漏れた。



ぬるっと採用され、明日から来れるかな、と聞かれ、お客も少ないし覚えなきゃいけないことも少ないからゆっくり仕事教えてあげられると思う、という言葉と共に、「栞ちゃん、ケーキ食べにいこうか」とまだ閉店時間まで三時間ほどあったにも関わらず、店を閉めて私たちは近所の喫茶店にケーキを食べに行った。




「ちょっとちょっと何をしてるの栞ちゃん」




まったくもう、とフォークをおいて少し寂しそうに私の顔をみる。



「だめでしょ、ケーキは横に倒しちゃだめでしょ」と。


ああそういうことか、と思うと顔に出ていたようで、



「いいかな栞ちゃん、ケーキっていうのはビジュアルも含めた芸術作品なの、バレエしてたんだからそこは分からなくちゃ困るなぁ、“芸術”ていわれるものだけじゃなくて、食べ物も美学があるでしょう、

立ってる状態で食べるのがケーキじゃないか」



そんなの知ったこっちゃないじゃないか、というのが正直なところだ。


悪い人ではないんだろうけどめんどくさいなこの人、と思ったのは当然のことだ。





たぶんいい人だけれどきっと面倒な人、ただ単純にそう印象づけた私は、この店で働き、陰ながらこの人に助けられることになる。

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