ありときりぎりす
戯男
ありときりぎりす
ありがせっせと食べ物を巣へ運んでいます。その横で、きりぎりすがバイオリンを弾いていました。
「やあ、ありの諸君。精が出るね。ちょっと休んだらどうだい」
ありは言い返します。
「きりぎりすさん。良いんですか、そんなに遊び呆けていて。今は良いかもしれませんが、そのうち辛い冬がやってきますよ。貯えがなかったら、大変なことになりますよ」
しかし、きりぎりすはバイオリンの手を止めもしません。
「なに、そうなればその時考えれば良いよ」
ありは呆れたように息をついて、自分の仕事に戻ります。きりぎりすはうっとりした顔でバイオリンの演奏を続けます。
「本当に仕事が好きだね。そんなに溜め込んで、いったいどうするつもりなんだい」
きりぎりすが木の実のお酒を飲んでいます。
「とれたての木の実酒は本当にうまい。これは今しか味わえないからね、どうだい、あり君も少し」
「ありがとうございます」
ありは受け取りましたが、口にはせず、そのまま巣穴へと持って帰ってしまいました。
「おいおい、どうして飲まないんだ。せっかく今が美味しい季節なのに」
「いえ、いいんです。今は他に食べるものが沢山ありますから。食べるものがなくなったときに、大事にいただきます」
「ふうん。そうかね。まあ好きにしたまえ」
きりぎりすはお酒に口をつけます。
「もったいない。こんなに新鮮で美味しいのに」
きりぎりすが悲しい曲を演奏しています。
「よう、あり君。最近めっきり寒いねえ。食べ物も減ってきて、困ったもんだ」
「そうですね。僕達は貯えがあるから平気ですけど」
ありは少し意地の悪い笑みを浮かべています。
「そうかい。でも貯えるのも大変だろう、こう食べ物が少ないんじゃあ」
「そうですね。でもきりぎりすさんよりはましですよ」
「言うねえ」
きりぎりすは高らかにバイオリンを鳴らします。
いよいよ冬がやって来ました。木の葉はことごとく落ち、木の実は尽き果てて、見渡す限り雪に閉じ込められた世界には、食べ物なんてどこにも見あたりません。
雪の下の地面のまた下、深い巣穴の奥の方で、ありたちが話し合いをしています。
「あのきりぎりすのやつ、今ごろ寒さで震えているに違いない」
「ひもじいひもじいと言って、うずくまっているだろう」
「もうバイオリンどころじゃないな。どうだ、ひとつ見に行ってやろうか」
「そうだ。『食い物が欲しければ一曲やってもらおう』って命令して、やつが寒さとひもじさに堪えながらバイオリンを弾くところを、みんなで笑ってやろう」
「それはいい。じゃあ木の実を持っていくとしよう。これを見ながら、きっと涎を流して演奏するぞ」
ありたちは腹を抱えながら、木の実一つを持って、きりぎりすの巣へと向かいました。
巣の中で、きりぎりすは小枝の椅子に深く腰かけていました。かなり痩せてはいましたが、手にはまだバイオリンを持っています。
「……やあ、ありの諸君。そろってどうしたんだい。外は寒いぞ。もう貯える食い物もないだろう」
「いえ、今日は仕事ではないんです。ただ僕達、ちょっときりぎりすさんのバイオリンが聞きたくなったものだから」
ありの一匹がにやにやしながら言います。その後ろで仲間たちが身をよじっています。
「そうか。いいとも」
思いがけなくきりぎりすが元気そうに立ち上がったものだから、ありたちはちょっと驚いてしまいます。
「さあ、どんな曲がいい? 楽しい曲が、それとも悲しいのか」
「……楽しいやつで。とびきり楽しいやつをお願いします」
ありは嗜虐的に笑いながら言いました。
「よしきた」
きりぎりすが演奏を始めました。
その見事さに、次第にありの顔から笑みが消えていきます。体は痩せ細っていましたが、きりぎりすの演奏は実に力強く、美しい音は聞く者の体を痺れさせるほどでした。ありは思わず持っていた木の実を取り落としましたが、そのことにも気付かないほどに演奏に聴き入っていました。
やがて曲が終わりました。きりぎりすはバイオリンを置くと、再び椅子に腰を下ろしました。そして深く息を吐きました。ありたちは立ち尽くしたままです。
「……素晴らしい演奏でした」
ありの一匹が言いました。馬鹿にしたような笑みはとうに消えています。
「ありがとう」
きりぎりすはにっこり笑います。
「でも、だめなんだ。以前ほど良い演奏ができなくなってしまった。思ったように体が動かないんだ」
「そんなことありません。感動しました」
きりぎりすはまた笑顔でお礼を言いましたが、しかし首を横に振ります。
「私にはわかるんだ。以前のような演奏は、二度とできない」
きりぎりすはまた息を吐きます。
「だから終わりだ。私はもう、バイオリンを弾くことはない」
「そんな……だったらこれを食べてください」
ありは木の実を拾って差し出しました。
「巣に帰れば、もっと沢山食べ物があります。それを食べて元気になれば、まだまだ演奏できるはずです」
「ありがとう。でもそういうことじゃないんだよ。すまないね」
きりぎりすはバイオリンのさおを手に取りました。
「体がよくなればいいってことだけじゃない。バイオリンができなくなったのは、もっと別のことからなんだ」
そう言うと、きりぎりすはさおを両手で掴み、一気に真ん中からへし折りました。
「さらばだ、あり諸君。最後に演奏を聴いてくれて、ありがとう」
言って、折れたさおの尖った断面を自らの喉に突き立てました。
ありたちは巣へ帰っていきました。きりぎりすをあざ笑うために使うはずだった、木の実を持って。
きりぎりすは自ら死んでいきましたが、たとえそうしなかったとしても、貯えのない彼には、厳しい冬を越すことはできなかったでしょう。
ありたちは貯えた食料を食べて冬を乗り越え、次の春を迎えます。そしてまた貯蓄を増やし、次の冬に備えます。そんなふうにして彼らはいくつもの季節を生き抜いていくのでしょうが、その先に、一体何があるのでしょうか。
ありときりぎりす 戯男 @tawareo
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