白い夢

千尋

白い夢

白い影が揺れる。開け放たれた窓から入り込む独善的な風に全てを任せて、揺れる。されるがままただ受け入れるその態度は僕に似ていて、僕は少し腹が立つ。真っ白いソレを視界に入れたく無くて、辞めたはずの煙草を口に挟んで火を点ける。煙を逃すことを口実に、部屋の中心から開け放たれた窓に歩み寄り、外を眺めるふりをする。そんな僕の行動は空回りで、侵入を許された風が、自分勝手で掴み所がない風が、執拗に僕の体をなで付けながら部屋に入り込み、中心に垂れ下がる白い天蓋をさらに大きく揺らして僕の視界に押し込んでくる。レースのフリルが何層にも連なった真っ白い天蓋は、風に揺れるために生まれてきたかのように潔く揺れる。無責任な風は、この一人遊びに飽きたら僕たちを置き去りにして勝手にどこかに行ってしまうのだろう。意地悪な風が君だけを連れて行ってしまいそうで不安になる。「行くな」なんて話しかけてみても返事はない。行くあてを失った僕の言葉が風に乗ってさらに君を揺らす。君はこの部屋から飛んで行ってしまいたいだろう。けれど、天井に固く結び付けられた紐は君を捉えて離さない。


―――――アツイ

燃え尽きかけた煙草の熱を人差し指と中指に強く感じて、僕の思考は強制的に中断される。今にも崩れ落ちそうな灰の山を慎重に移動させて、無数にひび割れが入ったガラスの灰皿に落とす。煙草の下半身を押し付けて火を消す。火が消える。簡単にあっけなく。僕はこの煙草の火が消えたことをいつまで覚えていられるだろうか。遅くとも一月後にはまるっきり忘れているだろう。日数がいくらか前後することはあっても、忘れるという事実が大きく変わることは無い。実体が消えてしまうと、大抵は年月を経るごとに薄れ行き、忘れられる。多くの人に語り継がれるに足る何かを残した人を除けば、時の流れと共にその存在はいつの日かほぼ完全に消え去ってしまう。唯一抗う方法は、生きていくことしか無い。これは暴論だろうか。考えを巡らせながら、左腕にしがみついている時計の針の位置を確認する。彼女が部屋に来る時間まではだいぶ余裕がありそうだ。この部屋に来る途中にコンビニで買った煙草はあと十九本残っている。やる気の無さが全面的に態度に出ているのに、手の動きだけは異常に素早い店員から買った煙草。あの店員は僕のことをもう忘れてしまっただろうか。あの店員にとっての僕という実体は、店員から何かを購入し続けない限り消えたと同意義なのだろうか。あの店員は初めてアルバイトした記憶も忘れてしまったのだろうか。緊張だとか愛想だとかそう言った類のものはどこに置いてきてしまったのだろうか。人間は多くのことを忘れてしまう。それは意図的なことも無意識的なこともある。生きるためには時として忘れることが必要になる。ただ今日の僕はそれに逆らわなくてはいけない。新しい煙草を口に挟んで、窓の外に視線を戻す。煙草は一本減る。先ほど消した煙草のことはもう忘れ始める。代わりに僕は君についての記憶を細部まで掘り起こす。その作業はあまりにも簡単で、いつまで経っても君を忘れられないことを自覚殺せられる。僕の意識に居座る君に問う。

”君はこの天蓋に何を重ねていた?”

問い掛けても答えは返ってこない。心の奥に閉じ込めていた君との思い出を探れば答えに近い何かを見つけられるだろうか。苦痛の先に何かを見つけることはできるだろうか。





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