第7話 ハンバーグの味

 容子は不信感を露わにした顔でタマモを見詰める。翠子は半歩、前に出た。

「私はタマモちゃんの隣人ですが、あなたは誰ですか」

「ただの部外者ですね。引っ込んでいてくれませんか」

 穏やかな口調で目を吊り上げる。翠子は受けて立つように背筋を伸ばす。

「幼い子供を置き去りにして、旅行を楽しむような人に言われたくはないですね。ねえ、タマモちゃん。昨晩のお鍋、美味しかったよね」

 急に笑顔で話を振られたタマモはビクッとして大きく頷く。

「う、うん」

「……どういうことですか、タマモちゃん」

 容子の声が急速に硬くなる。身体を斜めにした。前に出した脚の膝を僅かに曲げて、後ろに引いた右の指がすっと伸びて手刀を形作かたちづくる。

「え、えっと、翠子お姉ちゃんの家で、お鍋を食べただけだよ」

「皆でお泊りもしたよね」

「あ、うん。お泊りもした」

「玉藻、どういうこと」

 呼び捨てになった。揃えた指の爪が迫り出す。右手は槍の形状と等しく、翠子の死角で鋭い爪を光らせた。目の当たりにしたタマモはぎこちない笑顔で小刻みに顎を突き出す。下ろしていた手も同じようにちょこちょこと動かした。

「今から翠子お姉ちゃんと、お食事だから」

「……まさか、我等を裏切るつもりなのか」

「な、ななんのことかな! 他に誰もいないし、意味わかんない!」

「玉藻ォォォォ!」

 絶叫の中、容子は跳んだ。右手を突き出し、タマモの額を狙う。

「また、怪異の類いなのね」

 繋いでいた手を離し、翠子は容子の爪を纏めて握った。鋭い尖端はタマモの額には届かず、ぴぇぇ~、と涙目の状態に追い込んだ。

「全く物騒ね」

 翠子は握った爪を容易くし折る。容子が飛び退る間に道端に捨てた。

「な、何なんだ、この化け物は! 玉藻、説明しろ!」

「誰が化け物よ。そっちこそ……ん、何だろう? 少し待っていて」

 スーツのポケットを探って平たい長方形の物体を取り出す。先端のレンズを容子に向けてなだらかな突起を指で押し込んだ。側面にある画面を見て、へー、と感心したような声を漏らす。

「あんた、妖狐なんだ。懸賞金は150万と。まあまあの大物みたいね」

「え、なんで」

 驚いたのは容子ではなく、タマモであった。きょとんとした顔で翠子を見ている。

「これ、天才児の発明品で意外と便利なのよ。まあ、私はバウンティハンターではないから、退治してもお金にはならないけど」

「……そんなのが、あるんだ。それって誰でも、わかっちゃうの?」

「どうだろう。はい、タマモちゃん、パシャ」

 にこやかな顔でレンズを向けた。タマモは澄ました顔をしたが、ちがーう、と慌てて声を上げる。

 翠子は画面に目を落とす。渋い表情を目にしたタマモは全身で震えた。

「なーんてね。該当者なしだって」

「は、はは」

 汗に塗れた顔でタマモは笑って、瞬時に表情が固まった。容子は両手の爪を伸ばし、翠子の背後から飛び掛かろうと腰を低くした。

「タマモちゃん、少し目を閉じていて。すぐに済むから」

「……うん、わかった」

 両手を揃えて顔に当てる。翠子の目が離れると僅かに指を開いた。

「よく踏み止まったわね」

「……なんだ、お前は」

「少し場所を変えましょうか」

 翠子は右腕をだらりと下げた。肩口から赤銅色の腕を抜き出し、瞬時に金色こんじきに変えた。

 何もない空間に拳の一撃を加える。すると鈍色の穴が空いた。

「あんたが先に入って」

「この力は……」

 声が掠れる。容子は震える自身に気付いて、一度、大きく足を踏み鳴らす。羞恥と怒気を孕んだ顔で口角を上げた。

「もしかして、怖気づいた?」

「受けて立つ!」

 容子は目を吊り上げた。口は裂け、鋭い乱杭歯らんくいばが覗く。容子は妖狐に変容しながら穴に入る。速やかに翠子が続いた。

 タマモは指を大きく開いて穴を見詰める。

「異空間の穴まで、空けられるのね……」

 恐々と近づき、すぐに後退あとずさる。駄々をねる子供のように何度も顔を左右に振った。

「……無理、絶対に無理だよ~」

 思い悩む時間は僅かであった。容子が腕を押さえた状態で戻ってきた。片方の足を引きずり、口の端に付いた血を手の甲で拭った。

 タマモの姿を目にした途端、鼻筋に皺を寄せる。

「……玉藻、覚えていろよ」

「落ち着いて。これには訳が」

「まだ、やるつもり?」

 後から出てきた翠子に容子は視線を下げた。項垂れるような姿で離れていく。

「タマモちゃん、安心して。付き纏っていた怪異は撃退したわ」

「あの、ありがとう」

「いいのよ、別に。少し遅くなったけど、ご飯を食べに行こうね」

「あのね、それならね、ハンバーグが食べたい!」

 タマモは元気な声で言った。遠ざかる容子の背中を視野に入れながら翠子に明るく接した。完全に姿が見えなくなると、ほっとした表情を見せた。

「早く行こうよ」

 自ら翠子の手を握って横手の道に引っ張る。もう一方の手はコートのポケットに入れてスマートフォンをしっかりと握り締めた。

「ハンバーグなら、あそこかな」

 片方の眉を微妙に上げて翠子は頭を傾ける。

 タマモはちらりと後ろに目を向けて、ごめん、と唇を動かした。


 その日、食べたハンバーグは少しほろ苦かった。

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