第12話 読本『はじめてのほうき』


 ルイ・マックールのおきて


一つ、師匠から教わったことはひとに話してはいけない。

一つ、魔法を使わなくても出来ることに、魔法は使わない。

一つ、魔法は他人ひとのために。




「掟を破ると、師匠のもとで学んだ魔法はすべて没収される。つまり、使えなくなるんだ。以前、僕のことを学校のおともだちに話してはいけないと、言ったね。それも、掟」




 「掟」だなんて言われると、なんだか怖いイメージ。

 ルナの小さな体はすくんでしまいそうになった。


 けれど、もう、決めたことだ。ルナは決心して「はい」と返事をした。




「いい返事だね、ルナ。僕が教えるのは魔法の基礎きそと、魔法を使う者としての心得こころえだけだから、そう怖がることはないよ。それと……」




 ルイマックールは大きめの封筒から一枚の紙を取り出した。




「これが、きみの弟子証明書。弟子入りが正式に認められたというあかしだよ。君が来た夜に届けを出しておいたのが、今朝、ようやく証明書が送られてきたよ。辞めるときも同じような届けを出せばいいだけだから、嫌になっても黙って逃げだしたりせずに、僕に相談するんだよ」




 これは、姉弟子カーネリア・エイカーのことを言っているのだと、ルナは思った。


 けれど、お師匠さまが言うと、冗談めかして言っているのか、昔のことに傷ついたから、注意深くルナにも言っておくのか、わからない。だから、ルナもうっかりした反応はできなかった。




「さて。時間もないし、始めようか」


「はい!」




 もともと、ほうきの修行から始めていたけれど……。

 ルナはお師匠さまをちらりと見上げて、前の時より張り切って見えるのは気のせいかな、と、心の中でにっこりした。


 ルナはカーネリア・エイカーとの〈約束〉を、迷ったけれど、いちおう報告しておいた。もちろん、お師匠さまが傷つきそうなところは省略して。


 これくらい、カーネリア・エイカーの妹弟子として当然の気遣い。

 報告を聞いたお師匠さまは、やっぱり嬉しそうに笑って、朝食を終えるとすぐに自分のほうきを持って外へ出るよう急かした。

 

 張り切っているのは、ルイ・マックールだけではない。ルナも新品のほうきを握りしめ、手強てごわいお城と向かい合う。

 さっそく城内へ引き返そうとしたところで、声がかかった。




「お掃除はいいよ。そのほうきはもう、きみに馴染なじんでいるようだからね」




 ルナは手元に目を向けた。

 馴染んでいる、なんて言われると、急にほうきが可愛く見えてきた。




流石さすが、カーネリア。だけでなく、きちんと選んでくれたようだ」




 任せてよかった、と笑ってはいるが、ルナは何とも申し訳ない気持ちでいた。



 実はこのほうきのせいで、ルナのお師匠さまは午後から働きに出なければならなくなってしまった。


 カーネリア・エイカーの見立ててくれたほうきは、上等の品だったらしい。


 そのうえ、ルイ・マックールの弟子取りフィーバーで市場が高騰こうとう。ただでさえ、お高いほうきの価格が、ぐんとつり上がった。


 カーネリア・エイカーは小切手やカードは使わず、全額現金で支払いを済ませた。


 理由は簡単。彼女はサインをして自分が〈カーネリア・エイカー〉だと店主に知られたくなかったから。


 ルイ・マックールから逃げ隠れする必要はなくなっても、彼女もルイ・マックールと同じく、むやみに騒がれたくないようだ。


 そして、その請求書はルナの手をて、ルイ・マックールのもとへ渡った。




 ルイ・マックールはルナに、ほうきにまたがるよううながした。

 ルナは、見よう見まねでやってみた。




「ええと、まず肩の力を抜いて……」


「…………」




 ルナはある意味では、上手に肩の力が抜けていた。――と、いうより、少しだけ呆れていた。


 お師匠さまの手に、『はじめてのほうき』という本が開かれていたから。




「上手だよ、ルナ。ええ……次は、視線をまっすぐ、遠くへやって」


「お師匠さま」


「なんだい?」


「お師匠さまが教えてくださるんじゃないんですか? ……その本を読んでいるだけですよね?」




 ルイ・マックールは、まいったなと首の裏をかいた。




「どう教えていいものか、わからなくてね。ほうきなんて、乗れて当たり前のものだと思っていたから、乗れないという感覚がよくわからないんだ」




 ルナは正直、むっとした。

 でも、グッとこらえて、逆に師匠にアドバイスした。




「お師匠さまが習ったときは、どう教えてもらったんですか? わたしにもそのとおりに教えてみてください」


「僕には師匠なんていなかったからなあ……」




 ルナはあんぐりと口を開けた。




(師匠を持ったことがない⁉ それで、世界一の大魔法使いになったの⁉)




 ルイ・マックールは、いわば生まれながらの天才なのだ。ルナはすっかり自信を無くしてしまった。


 ルナがと、うなだれていく様子を見て、ルイ・マックールは少し考えるような素振そぶりをした。




「魔法の中でもほうきは特に感覚的なものだから、実践じっせんが一番だと思ったんだけどなあ。試しに、僕の後ろに乗った時の感覚を思い出してみてごらん」


「……思い出すだけでいいんですか?」




 チラと目だけで見上げる新弟子からは、師匠へ不信感が伝わってくる。ルイ・マックールは、つとめて笑顔で「大丈夫」と、なだめた。




「すぐに飛ばなくていい。まずは思い出すだけでいいから、やってごらん」




 ルナは半信半疑ながら、お師匠さまに言われたとおりに大バザールへ連れて行ってもらった時、後ろに乗せてもらったほうきの感覚を思い出した。


 しかし、ほうきもルナも、飛ぶ気配はない。




「ようく、思い出してごらん。空を飛んだ時、どんな気持がしたか覚えているかい?」


「……最初は、少し怖くて、落ちないようにお師匠さまにしっかりつかまっていました」


「そうだね。ルナは、初めてほうきに乗せてもらったと言っていたね」




 ルナの国では、ほうきに後ろに乗せて飛ぶ、いわゆる二人乗りは危険だからと禁止されていた。魔法使い同士はもちろん、〈魔法使わない〉を乗せるなんて警察沙汰だ。




「はい……。怖かったけど、お師匠さまはそっと飛んでくれました」




 目をつむって思い出すルナの口元が、可愛らしく、にこりとした。

 ルイ・マックールは、その様子を優しいまなざしで見守っている。




「それから、あっという間に雲の上に出て……。下は雲だから怖くありませんでした。怖くなくなったら、風がとても気持ちいいって気がついて……。わたし、ほうきに乗せてもらうのが好きになりました!」




 パチリと目を開けると、ルナはお師匠さまの背の高さくらいまで浮いていた。




「わあ!!」




 ルナが驚いた拍子に、ほうきは一気に浮力ふりょくくした。

 お師匠さまは抱っこでルナを受け止めて、おかげでルナは、腰を打ちつけずに済んだ。


 ほうきはというと、自分で上手に着地していた。




「さあ、今日はここまで」




 ルイ・マックールは、ルナを地面におろした。

 ルナは、もう大きいのに抱っこされた気恥ずかしさも忘れて、お師匠さまに食い下がった。




「もう少しだけ、お願いします! コツがつかめそうなんです!」


「ルナ、気持ちはわかるけど、焦ってはいけないよ」


「でも……!」


「カーネリアもすぐにとは、言わなかったのだろう? かして妹弟子が怪我でもしたら悲しむ。そういう女性ひとだからね」




 確かに、カーネリア・エイカーは、そこまで急いでいないのかもしれない。

 ルナが宅急便の方が早いとか、いつになるかわからないと言っても、ゆずらなかった。


 少しでも早く、を届けたかったけれど、ルナはこれ以上お師匠さまを引き留める言葉が見つからなかった。


 そんなルナに、お師匠さまは一冊の本を手渡した。

 タイトルは『はじめてのほうき』。




「読んでみるといいよ。他にも知りたいことがあれば、地下図書室にも行ってごらん。だけど、僕のいないときにほうきに乗ってはいけないよ。まだ、危ないからね」




 最後のは、ルナとほうきのに言って聞かせた。


 そうして、ルイ・マックールは、ぼわん、という音を立て、小さな星屑ほしくずの飛び散る白煙はくえんとともに、自分用のほうきを出した。




「今日は初出勤はつしゅっきんだから遅刻するわけにはいかないんだ。どうも僕は悠々自適ゆうゆうじてきの生活が長かった分、世間の感覚とズレがあるようだ。早めに出たほうがいいと、エレンに言われてね」


(エレンって誰!?)




 聞き覚えのない女性の名前に、カーネリア・エイカーの言葉がよぎる。


 ルナが聞き返すひまもなく、ルイ・マックールは、大空へ飛び去っていた。



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