008 リアリテス内フルダイブ戦、らしきもの。

 年明けから始まる仮想現実支援機器リアリティ・クリエイターリアリテスの第Ⅰ相治験。その最終試験として、リアリテスからの持続的な医療的レーザーの照射がはじまった。治験機器としてのリアリテスの見た目は、医療用脳検査を行うニューロイメージング用fMRIこと、functionalMagneticResonanceImaging機器の近年のものの小型版といえば、だいたいのところ合っている。まぁ、健常者では予防検査に熱心な人くらいしかfMRI機器を経験しないだろうし、近年のとか言われてもイメージつきにくいだろうけどね。

 今の私を使って説明しておくと、ゴーグルをした私の頭は、丸いニューロイメージング機器にすっぽりと覆われている。リアリテスの場合、ニューロイメージング機器が黒色なので、まぁ私の頭は巨大アフロ状態と思っておけば良い。後は、べットの上には白衣のボタンを外してリラックスした私の身体が横たわっているだけなんだけど、実験データ取得目的で両足裏にセンサー機器を貼り付けている。足裏は第2の心臓というくらいなので、fMRIの脳血流量の変化と合わせて、足裏の血流変化もリアリテスAIへの入力とされるのだとか。

 脳の血流と足裏の血流をAIがどう相関解析していくのかは、根っこのところは文系脳の私は理解できていないのだけれど。あと、そのままだと白衣でオッパイボローンな変態先生みたいなので、おねえさんの胸のところにはちゃんとバスタオルをかけているから、良い子のみんなは安心してね。

☆ 


 アントニン・ドヴォルザークの『新世界より』が流れ続ける中、私は目を瞑ったままである。

 レーザー照射が続く中、予定通りに2回『新世界より』が流れた後には、私はいつしか眠り込んでいた。

 

 大丈夫。それは問題ないのである。理論的には、リアリテスの仮想現実化機能リアリティ・クリエイトは、覚醒者にも睡眠者にも同様に働くのだから。どのような仮想現実がクリエイトされるかは、装置使用者ダイブシャのイマジネーションが試されるところである。そう、リアリテスが支援を受け精神医学的ダイブに臨む私は、イマジンが如きイマジネーション力が解き放つはずなのだった。

 

 ☆


「プラナリアはプラナリアだ。プラナリアを知らないだって?」


 どこからとなく、どこかの男から、どこかで目にしたようなフレーズが聞こえてきた。

 もちろん、私はプラナリアを知っている。医学生として生物医学を学び、尊敬する精神科医中井久夫先生に習い、分子薬理学分野で医学博士号を取っている私が生物医学分野で知らないことはそう多くはない。


 ただ、ここは既に異世界。そう、そのプラナリアは巨大なのだった。さらにいうならば、人よりも遥かに未知の巨大な生物のあれ、と言いたくなるような程の形状だった。そう、それは、地面に大きく根を張った巨大なプラナリアなのであった。


 「あぁ、そういう設定なのね。」

 と私は醒めた声で言った。これは、リアリテスの設定ではない。リアリテスから網膜へのレーザー刺激を継続され、基底自我エスに関わる脳内領域を活性化された私が、生みだしたリアルなのである。

 

 確かにリアルといえば超リアル。

 しかし、最新の医療機器の治験に向けての最終試験を行っている私の脳が、いきなりどこぞの魔物か何かの超リアルな男性のあれの真似事をしているプラナリアもどきを超リアルに思い浮かべたことをかなり不快に思った。そんな即物的なもの、一人前の精神科医としても一人前の腐女子としても負けな気がしたのだ。

 強いていえば、既にその超リアルな巨大なのが二本あることが腐女子的には救いであろうか。そうこれは異世界の魔物たちの繰り広げるボーイズラブ。魔物にボーイがいるのかどうかは知らないが、そんな魔物たちが祀っているそんな類のまぐわいの宗教的な何かのご本尊。とりあえず、私はそのプラナリアもどきのことをそんなもんだと考えることにした。

 

 その時、

 「サイトウハル匕よ。精神科医が威を見せよ。」

 という重々しい声が聞こえた。

 

 あちゃー、来やがった。


 はいはい。1995年生まれの私、平成ヒトケタ世代の私の本名は斎藤ハルヒなのですよ。

 中学生に入った頃、私は超恥ずかしかった。なんせ、世のオタクな皆さんの多くが、ハルヒとか長門とかミックルンルンといった名前に夢中なのだから。そう、あの、まぁ名作であろうアニメが放送されていたのだった。その後、まさしく中学2年にして、厨二病と腐女子を発症した私は、校外ではハルヒという名を隠し、ただのサイトウとして活動していた。別にハルヒはハルヒで良い作品なのだが、私はあのアニメではかなりのところ長門派なのである。斎藤ハルヒが長門を好きだなんて、何か変ではないか。思春期の私はそう思い、悶絶した。

 その後、2010年代になり、ハルヒブームがすっかり落ち着いた後も、しばらくはハルヒがリバイバルしてくるのではないかとドキドキしていた。いや、長門の活躍は正直もっと見たかったのたが、それとこれとは別で、ハルヒものがブームになってしまうと、と私はめちゃくちゃ恥ずかしいこと間違いなしのである。

 そして、1年の留年経験を経て研修医となった2020年代以降の私はサイトウ先生と呼ばれ続けている。区役所で住民票を取得する時くらいしか、「サイトウハル匕さん」とは呼ばれないのである。腐女子仲間からは、腐女子サイトウは不動のトップブランドになってるしね。

 

 そのサイトウハル匕の名が呼ばれた。しかも、どこぞの声優男子が語ったがごとき、いかにもな、あの声色で。

 なるほど。ここは成り切るしかないようだ。

 

 「プラナリアめ。」


 憎々しげにそういい捨てた後、私は、フライと、低くつぶやいた。


 私は、予想通り宙に浮いた。子供の頃からドラゴンなんちゃらとかのアニメで主人公が空中浮遊しているのを見てる時には何の感慨も抱かず、空を飛びたいといった類の願望を抱いたこともない私だった。

 が、リアリテスからの刺激を受け続ける中での夢の中での私は、文字通り空中浮遊し、そのことに恐怖していた。

 

 (いやぁ、怖いもんは怖いもんですやん。)

 私は腐女子医大生の頃に使いまくったエセ関西弁っぽく心の中でつぶやき、気持ちを落ち着けようとした。今の私が浮遊しているのは、そうこの精神科病棟が入っている12階建てのビルの屋上くらいの高さ。精神科ということもあり、数年に一度ではあるが、屋上から飛び降り自殺を企図される患者さんや元患者さんがいらっしゃる。もちろん、屋上に続く扉は施錠しているのだが、ここで飛び降りるのだ、と決意を固めた彼らは文字通り命がけである。本当に屋上に立ってしまう患者さんはいらっしゃるのだ。


 しかし、当院の屋上から飛び降りた方は一人としていない。屋上への入り口には当然ながら防犯カメラが設置されており、屋上に立った患者さんが飛び降りる前に、警備員さんと先程のマッチョ看護師君たちのようなうちのスタッフたちが駆けつける段取りとなっているのだ。そう、警備員さんたちが駆けつける数分の間に、屋上に上がるなり一気にフェンスをよじのぼってダイブする、なんて真似をできるようには人の精神構造はできていない。

 本当に飛び降りるつもりであっても屋上から下を見下ろすと、まずは足がすくむように人の心はできているのだ。それは中井先生がいうところの心のうぶ毛ともつながる、人としての大切な感性なのだ。

 

 来週の年明けの初日の出。私は、当直のスタッフの皆さんたちと一緒に精神科病棟の屋上から見る予定だ。みんなで手を合わせた後は、屋上をぐるりと一周する。警備員さんも同行してもらい何か不審なものが落ちていないか、年に一度確認する、という意味合いもないではないが、それよりも、いざ、という時に警備員さんもスタッフの皆さんも足をすくめず迅速に救命活動を行えるように、という意味合いの方が強い。

 ぐるりと廻った最後にもう一度、朝日の方に向かって、今年も1年、患者さんの飛び降りがありませんように、と皆で祈る。そんな病院の屋上からの初日の出の儀式を私サイトウはこれまで3回経験している。

 

 その言ってしまえば、勝手知ったる高さに今の私は浮いているのだが、足の方がめっちゃスースーする。

 (あぁ、介護用オムツいっちょで、リアリテスにダイブするんじゃなかった。)

 と私は後悔した。せめて、白衣の下も履いていれば、ここまでおしもがスースーすることはなかろう。完全に身体が固まってしまっている空中の私は、かの異世界のお約束のメイド服をちきんと着ているかどうかをこれまで確認できていなかった。

いや、これからプラナリアの怪異みたいなのと戦って精神科医の威を示そうというのだ。あるべき姿としては、完全体の戦闘メイド服で良いはずだ。

 しかし、その瞬間、私は気がついてしまった。私はやはり、リアリテスのスイッチを入れる前の白衣姿のままであることに。そして、フライした際に落ちてしまったのであろう。私のおっぱいあたりの前を覆っていたバスタオルはない。そして、さらには、穿いていたはずの介護用オムツも、オムツの上に一応女子的な意味で穿いておいたつもりの、おパンティも、なぜだか今の私は身につけていないのである。そう、私はいつの間にか右手に介護用オムツを、左手に普段のおパンティを持って、高度100メートル近くの空間をフライしていたのである。この介護用オムツとおパンティを使って、どうやってプラナリアを倒すのか、そうした実務的なことに頭をめぐらせる前に、私は、

 (こりゃぁおもらししたら、リアリテス装置のべットが大変なことになりそうだな。)

 と、国立大学法人の研究施設の一管理者らしい視線で懸念をしていた。

 

 何にせよ。


 精神科医としてもっとも懸念しなければならないことの一つ、患者さんが飛び降りを企図してしまうことの現場を、なぜだか私は、今、身体を張って経験しているわけである。しかも、このリアリティ。仮想現実支援機器リアリティ・クリエイターリアリテスが生み出したこの仮想現実の中で、私がここから落ちて地面に激突したらどうなるのかは、もちろん、分からない。元の私は無事かもしれないし、あるいは目が醒めてもひどいトラウマの中にあるのかもしれない。とにかく、リアリテスの中で危険を伴う行為を行うことは、精神医学的な意味から避けるべきである。

 

 私は、テレポートとつぶやいた。そう、設定通りならば、私はあのプラナリアもどきの後ろに降り立つはずだ。

 そう思った瞬間、私はまさしく、プラナリアもどきの裏側に、おパンティと介護用オムツを両の手に持ち、降り立っていた。

 ここで、仮に、おパンティかオムツかがよく切れそうな剣に変身したとしても、それで即座にプラナリアもどきを叩き斬ってはならない。何しろ相手は元がプラナリアなのだ。バッサリと切ると、どうせどんどん分裂して増えていくに違いはない。

 

 ビシュッッ。プラナリアもどきのあたりから神速に近い速度で何かが私に斬りかかってきたのだ。私は、ジャンプして飛んでそれを避けた。それは、黒いムチのようなものだった。少し離れた地点から診ると、両方のプラナリアの足元というか根本には、数百本の黒いムチが生えている。フロイト先生のエディプスコンプレックス的にはあたりまえ、男子にも女子にも普通は生えてくる、あの黒い毛たちのことである。しかし、リアリテスが生み出したこの世界のそれは、別格の攻撃力を持っているようだった。


それを 見た私は、

 「サディステック・ムチ子。」

 と、昨日、鴨志田家がメイドのイープから教えられたSMプレイ専門店の通り名っぽい呼び名で、思わず呼びかけていた。そう、それは御本尊を守るために、しもべらしき者たちが打ち出す醜悪なそのむち打ちは、私にとってSMプレイヤーの権化のようなものに思えたのだった。

 

 とにかく、ここで引くわけにはいかない。リアリテスの中に生じた異世界らしきものから元の世界に戻るためには、何らかの形でこのプラナリアプレイをクリアしなければならないはず。それは必ずしもプラナリアを倒すこととは限らない。この異世界の醜悪に見える御本尊のような奴を信奉する奴らは、魔物ながら意外と美男子だったりするかもしれないのだ。


 それに私は、フライとテレポートの呪文は覚えていたが、その後の設定で行うことになるはずの電撃メイドの必殺の高階位のエレクトロ攻撃を行うための呪文は覚えてないない。そう、巨大なプラナリアもどきの御本尊様を倒すための決定打かもしれない電撃攻撃を、今の私は放つことができないのだ。


ビシュッッッ。

再び、ムチ子からムチが来て、今度は左手をかすってしまい、思わず、おパンティを落としてしまった。


「チッ。」

はだけた白衣姿とはいえ、設定上は戦闘メイドであろう私は、そのままの声色で声を出した。


残る武器は右手の介護用オムツのみ。


どうする、今の私。白衣なメイド姿のサイトウハルヒはどうすれば良いのだ?

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