存在Qの速報レポート【発明家アオイ】

001 世界を創る、無限回の問いは可能か?

Q:注釈 あおいさんが友人の未来みくさんから聞いた話も、地の文に入れています。


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 その時、14歳のあおいは、吹雪を前にしていた。無数の白く冷たい粉雪が地上にある全てを追い抜いて先へ先へと飛んでいきながら積もっていく。そこはスキー場の一番下のリフトの近くだったのだけれど、元々が空いていた上に強風でリフトが止まっているため、皆、近くの食堂やロッジに入ってしまっていた。

 吹き付ける強風を背に立つあおいの目に映る動くものの全てが、粉雪であるかのようだ。ハワイ育ちのあおいが初めて目にする純然たる白の圧倒的な光景を前に、あおいは問いを発して戯れはじめた。

 「吹雪の時の、粉雪の典型的な動きを決める式はあののだろうか?」


 あおいのはじめの問いは、粉雪をCGとして表現することを意識してのものだった。その頃のあおいは、父のPCを借りてコンピュータグラフィックスを作って遊びはじめた頃だった。

 「吹雪の中の粉雪が、最も遅く落ちる時と最も早く落ちる時の時間の比率は?」

 ゴーグル越しのあおいの目は、強風の作る奔流の中に、下から浮かび上がってくる粉雪、上から一気に落ちる粉雪を捉えていた。

 「今の私の、何個くらいの粉雪を見続けているのか?」

 「私はこの光景に何を期待しているのか?」

 スキーウェアを通じてでも体温を奪う強風の寒気に負けたあおいは、そうしたさほど意味があったわけではない問いかけをやめ、近くのロッジに向かいはじめた。

 

 その時、あおいに、 『眼前に広がる光景を肯定イエス否定ノーを聞く問いに変換し続ける装置は、無限回の問いを通じて万能の表現者に近づくのだろうか?』という問いが浮かぶ。なぜそうした問いが浮かんできたのか、その時のあおいにはわからなかった。

 しかし、半年後の7月に、あおいは、フィリオクェ数理革新プログラムへの申請を行い、万能の表現者を創り出す取り組みを始めるのだった。彼女の15歳の誕生日の日だった。


 ☆


 9月に入り、首都圏の公立中学校では、多くの学生の高校への推薦合格が決まっていった制度的に早期の推薦合格が認められるようになって以来、公立のいわゆる名門進学校では、中高一貫校に対抗する意味合いで、成績優秀な中学生への推薦試験を9月に終え、10月からは通信プログラムで高校のカリキュラムを予習してきてもらうという入試形態が主流となっている。中学校側にとっても、手のかからない生徒たちに早々に合格してもらうことで、少数の頑張らなければいけない生徒たちへの指導に集中できることはありがたいことたった。

 あおいと共にさいたま市の中学校に通う佐倉未来さくらみくは、進学校に推薦合格を決めた一人だった。9月の最終週、教室に入った未来みくは、黒板脇の大型タブレットをいじる同級生たちが、何やら騒いでいることに見てとった。

 「なに、ケンブリッジ大学って?」

 「附属フィリオクェってことは、附属高校なんじゃないの?」

 「数理、革新って ... じゃあ、理数科ってこと?」

 何やら、不穏なものを感じタブレットを囲む一群に加わった未来みく。彼女が一番探していた名前、牧野葵まきのあおいが目に入る。


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§さいたま市立高砂小中学校 合格実績 2030年9月25日分

中等部3年2組 牧野葵まきのあおい 合格 英国ケンブリッジ大学トリニティカレッジ附属フィリオクェ数理革新プログラム (Passed: the "Filioque Program" for mathematical innovations.assigned in the Trinity College, University of Cambridge, UK.)

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 他の生徒と同様、ケンブリッジ大学という文言におどろき固まった未来みくだったが、数理革新という文言を見つけたところで、微笑み、思う。

(そうだね、あおい、あなたはそういう子なんだものね。いっちゃっいな、あおい。)

 その夜、未来みくは、2ヶ月ぶりに、あおいからのメッセージを受け取った。

 『みく、長いこと連絡取れなくてごめんね。明後日にさいたまに戻るの。校長先生から連絡があって、土曜日の午後1時から私の進路をプレゼンすることになったの。よかったら、聞きにきてね? その後、日曜日とかにお茶できたらうれしいな。』

 2ヶ月ほど前、二人きりで祝うはずだったあおいの誕生日をドタキャンされた未来みくは、目をつむって言う。

 (あおいの誕生日、私にけっこう準備したんだからね。今度も振ったら許さないんだから...)

 ちょっとだけ怒りながらも、顔は笑っていた。未来みくが高校への推薦入試準備に追われていたここ2ヶ月ほどの間、あおいは日本にいなかった。国籍登録はアメリカの日系ハワイ人四世であるあおいとはもしかしたら二度と会えないのかもしれない、未来みくはそう思いはじめていたのだった。

 

 あおいのフィリオクェ・プログラムへの推薦者、良識の人である高砂小中学校校長は、生徒の英国大学プログラムへの快挙をテレビ局と新聞社にあおいによるプレゼンテーションの報を送った。

 結果、地元のテレビ局のローカル番組『イキイキさいたま』の撮影の元、『高砂小中学校牧野葵あおいさん 英国ケンブリッジ大学トリニティカレッジ附属フィリオクェ数理革新プログラム プレゼンテーション会』が開催された。出席者は、校長先生を含む教員15名ほどと、未来みくを含む生徒40名ほど、父兄・メディア関係者20名ほど。

 約一ヶ月後の昼下がり、『イキイキさいたま』の地元ニュースコーナーでは、あおいのプレゼンテーションの様子が1分弱取り上げられた。番組のナレーションで流れたのは、プログラムのwebサイトのトップページの載っている内容ばかりであったが。

 曰く、トリニティとは古代からのキリスト教神学の三位一体であること。内なる魂である聖霊の解釈を巡りキリスト教世界を二分させた難問がフィリオクェであったこと。そして、ケンブリッジ大学で苦学したアイザック・ニュートンも万有引力の法則などを導く世界の数理的表現に挑戦する傍ら、トリニティとフィリオクェの神学的問題に取り組んだこと。

 ともあれ、あおいが15歳の時に考えていたことは、テレビカメラに撮影されていた。かつて神学的モデルによって解釈されてきた脳機能が、目からの入力と耳からの入力を統合し出力を導くデータとして捉えられるようになっている時代に数理モデルが果たしうる役割は何か。そして、モデルに力を与えるために、生物種の中で人だけが持つ、問いかけの力に注目したい、など。プレゼンテーションを行ったあおい当人を含め、あおいが何を実現しようとしているのかを理解した人はいなかったが。

 『イキイキさいたま』の報道では、あおいのプレゼンテーション音声は、後日、駅から高砂小中学校へと続く商店街に小さく掲げられた『祝・高砂小中学校牧野さん ケンブリッジ大学附属フィリオクェ数理革新プログラム 合格』という横断幕の映像と重ねられて流された。

 

 ☆

 

 その後、ケンブリッジ大のトリニティカレッジから、あおいに、フィリオクェ数理革新プログラムの担当メンターが割り当てられた。あおいは、担当メンターとの定期的なビデオ面談のもとで、高砂小中学校の自習室で英米圏のトリニティ・カレッジ系大学の各種リソースから必要情報へのアクセスを進めつつ、卒業までの日々を過ごした。中学校を卒業してしばらくの後に、カナダの医療情報系企業のレゾ・サノーのスポンサーシップを受けることができたあおいは、研究の大テーマを大脳情報の統合による作業療法支援と定め、フィリオクェ・プログラムの下での博士号取得への挑戦を始めた。

 当初の研究は、父親から譲り受けたノートPCを用いての準備作業であったため、あおいは、高砂小中学校の近くの商店街のカフェで作業にあたることも多かった。プレゼンテーション会の翌日に、無事、お茶することができたあおい未来みくは、未来みくが高校に入学してからのしばらくの間、商店街でのお茶仲間関係は続いた。

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