DaysMaking
瑛志朗
第1話
髪型一つで与える印象は大きく変わる。
その人の個性や好みが反映されており性格が滲み出る。
合わせるシーンによって演出もしてくれる。
そしてイメージに近づけば、気分も連なって変化する。
まるで魔法をかけられたように。
より強い魔法は輝きを与える。
自信を、興奮を、笑顔を。
人が宝石のように惹きつける光を帯びるのだ。
俺はそんな魔法に魅了された。
魔法をかけられた主人公にではなく、
――魔法使いにだ。
ずっと誰かのアシスタントとして道具の準備、シャンプーやブローなどの補助ばかりだった見習い時代。それがようやく終わりを告げる。筈だったのに。
「お得意様は自分で口説かなきゃな」
店長の言葉の意味を一瞬計りかねた。
俺が働く『Restifully』は決して大きくはないが従業員にも客にも愛され繁盛している美容室だ。
特にチラシを配ったりはしていない。顧客や常連の口コミでの紹介でお店がきちんと回っている。美容室が乱立している現代で有難い話だ。
自身の手で店を持ち、ここまで育て上げた店長だが新規の客を増やそうとか事業を拡大しようとかは考えていない。
今ご愛顧してくださっているお客様一人一人を大切にし、長い付き合いが出来れば良い。そういう考えの持ち主。そんな店長の思想に共感したからこそ数ある美容室の中でここで働きたいと決めた。
だからこそだ。一人前として認めるべく課せられた最後の課題。
それが「自分指名のお客様を50人。自分の力で見つけて満足させろ」
店に初めて来る客や紹介で来た客を俺に任せてくれれば良いものを店長はそれを許してはくれなかった。
「新規のお客様は『Restifully』の評判や技術を見込んで足を運んでくださる。それを新米のお前に任せられる訳ないだろう」
軽く一蹴。己の足で、目で、言葉で探し見つけて来い。
「…どうすりゃいいんだよ」
俺は駅前の広場で今日何度目かのため息を吐く。
美容師が町中で自ら声を掛け、客を捕まえるのは珍しい話ではない。都心や洒落た美容室が多い地区ではよくある話だ。
長い髪した女性なんか恰好の餌食だ。
せっかく綺麗にセットしてもらった後だというのに駅までの通りを歩いただけで五人もの美容師に声を掛けられてうんざりしたなんて話を聞かされたこともある。
ついさっき美容室に行ったのに行くわけないでしょ、分かってよ。と彼女は怒っていたが、こちらも必死なのだ。分かってくれ。
しかし俺はそんな言い訳も言える壇上に上がれていない。
勤務外の時間に課題をクリアすべく町中に繰り出してはいるものの、未だ誰一人声を掛けられずにいるからだ。
「50人は多すぎだろ」
俺のぼやきなど賑やかな町の喧噪に掻き消される。
50人なんて数をゆうに超えた人々が駅前を行き交う。
目の前の人間が全員来てくれればあっさり課題など終わるのにな。
こんな調子では永遠に俺は見習いのまま雑用ばかりをして働くことになってしまう。
カットやカラー、シャンプーだって自信はある。
店長を除けば店内で誰よりも一番技術が秀でていると胸を張れる。
一度任せてもらえれば絶対客を満足させられる。そう思うのに。
何故店長は俺にこんな課題を課した。思い当たる節が無いわけではないが。
道行く人達をぼんやりと眺める。
時間帯が夜のせいか帰路へと急ぐ人が目立つ。
もはや物置みたいに突っ立っている俺は世界に置き去りにされたみたいだ。
美容室に興味を持つ多くは若い女性だ。
やはり外見や美容に気を遣うのは女性である。
勿論男にだって見た目に気を遣う者はいるが、美容室となると難しい。
多くの男性は金と時間に厳しい。
美容室は料金が高い、髪を切るだけで何故うん千円以上払う必要がある。
一時間を越える拘束時間が長すぎる。
対して女性は綺麗になれるならばと時間も金も男性程は気にしない。
あくまで個人差はある。人は簡単に物差しででは測れない。
けれど傾向とは確かにあるもので。
残念ながら『Restifully』は早さは売りにしていないので巷で話題の20、10分やらのスピードカットは不可能。
大型チェーンでも無いし、従業員も多くないので低価格での提供は出来ない。
ならば狙うは男性よりも女性だ。そして年齢は10か20代が理想。
家庭がある女性はやはり値段を気にするし、洒落た独身女性は既に心に決めた店がある場合が多い。
結論、新規の客を手にする為には若い女性に声を掛けるほうが成功確率は高い。
この確率論に揺るぎはないのだ。
まあ他にも服装や髪型で美容室に興味を持ちそうな人物を予想出来なくはないが、俺はとにかく少ない回数で成功を収めたい。
何故候補にご年配を含めないか。
ご年配の人は髪型よりも服や化粧に重きを置く傾向がある。
髪も含めてトータルの洒落だと思うが――なんてそれは言い訳だ。
彼女たちは美容室を喋り場と勘違いしている人が多い。
いや、そんなの個人の自由なのだからどんな意図で美容室を利用しようが構わないのだが。俺には止めて欲しいのだ。
そう、店長が俺に課した課題、誰一人声を掛けられずにいる現状。
容易に察していただけるだろう。
俺、椎名和真は社交性が恐ろしく低い。
人と喋るのが嫌いなのだ。
興味の無いことにへらへらと愛想笑いを浮かべるのも疲弊する一方だし、特に関心のない相手の話題を広げる努力も辛い。
相手の機嫌を窺いながら自ら喋るなど地獄の極みだ。
喋るという行為はとにかく気を遣う、疲れる。
会話など必要最低限、意思の疎通が取れる程度で充分だろう。
それなのに接客業とやらはやたら会話を重視する。
美容室は客の満足いく髪型を提供できればそれで問題ないだろう。
しかし、その過程で雰囲気づくりや信頼関係を築く為にも会話は重要だと何度も叱られた。
そんなもの施術を間近で見、体感しているのだから理解しろよ。
何より最終的な髪型でその美容師の技術や信頼に足る人物かは簡単に判断できるだろう。
俺の言っていることは極論だとは理解している。
それでも美容師としての自身の知識をベラベラと語るのは厚かましく思うし、または相手を知ろうと施術には関係のない話をし、他人の領域に土足で入り込む行為。不用意な喋りは受け入れがたいのだ。
そんなものは回数を重ね、自然と興味が持てるようになればお互い話せばいいことだ。初対面の相手にいきなり多くを話すのはどうにも抵抗がある。
こんな屈折した性格の俺にとって近い距離で人と相対する美容師という職は不向きと言える。
それでも俺は美容師を辞めたいとは思わないし、嫌いにはならない。
そしてこんな俺でもクビにせず可愛がってくれる店長や偏見の目を向けず、個性として受け入れてくれる同僚には感謝している。
だから俺にとって無理難題なこの課題も頑張りたいとは思う。
けれど、町中で急に赤の他人に話しかけるのは決して快い行為だと思わない。
俺なら絶対嫌な顔をする。
そう思うからこそ、自ら声を掛けに行くのがより億劫になる。
「…今日はもう帰るか」
時刻は夜9時を回り、駅近くの商店街の店が閉まり始めた。
この町は都心から少し外れた居住区の多い場所だ。
土地柄、駅へ向かう者より駅から出て行く者が多い。
その波に抗うよう駅へ向かおう。そう思ったのだが、ふと横でショーウインドウを眺める女が視界に入った。
この女いつから居たか。
駅前を行き交う人々ばかりに目を向けていて、自分の周囲を一切気にしてなどいなかった。
五歩程離れた場所に立っていたとはいえこの距離感の人間を視認できていなかったとは。
疲れているのか、それとも周囲に気を回せない程考え込んでいたのか。
自分の余裕の無さに情けなくなった。
女の視線の先には20代女性を中心に人気のブランドの服を着たマネキンが居る。
そういえばここならば標的の通りが多いだろうかなんて安易な発想で来たな。
結局待ち合わせ場所にここを利用する奴が多くて話しかけることは出来なかった訳だが。
違う、問題なのは場所ではない、俺自身だ。
未だにぼんやりとマネキンを眺める女に話しかけてみるか?
だが、目の前の女はニット帽を深めに被り、目が隠れてしまう程の長い前髪に手入れをしていなさそうなボサボサの長髪。
身体の大きさに合わないだぼだぼのケープに地面に着きそうな長さのロングスカート、肌色は顔からしか伺えない。
地味な色合いの服装で全体像はまるで雪だるまだ。
いくら冬で寒い季節とはいえ山ごもりする訳じゃあるまいし。
良い言い方をすればスタイリングしがいのある髪とも言えるだろうか。
化粧一つしていなさそうだし洒落どころか自身に無頓着なタイプの人間に見えた。
…声を掛けるだけ無駄か。
ところがほんの一瞬。白い息を吐く女の瞳の輝きがショーウインドウ越しに見えてしまった。
前髪の隙間から覗く輝きはどんな宝石にも負けない人を惹き付ける光。
俺はあの輝きを知っている。あれは―――
答えが出そうになった途端、横を向いた女と目が合ってしまった。
誰かと視線が合うと思っていなかったのだろう、女は驚いて身体をびくっと震わせた。
俺がずっとこの女を見ていたという事実が本人にバレてしまい罪悪感が湧く。
変な誤解をされたくはないから何か弁解するべきなのだろうけど、咄嗟に言葉が出なかった。
そんな明らかに不審な俺など構わずにその場から立ち去れば良いものの、女は瞬きひとつせず固まっていた。
俺達の間に妙な静寂が生まれる。
可笑しな奴だな。言いたいことがあるならとっとと言えば言いだろう。
用が無ければ早く居なくなれよ。
変な意地が生まれた俺はそこから動けなくなった。
「……私、変ですか?」
「ああ」
ようやく開いた口から何が語られるかと思えばそんな質問だった。
俺はポロッと本音が零れた。
「すぐ本音を言っちゃうのは和真の悪い癖だよ」など同僚からよく窘められるが、「嘘で取り繕うなどそれこそ誠意の無い行為ではないか?」と反論すると、「悪戯に本心で傷つける位なら嘘で誤魔化すのも大切なの。特に女の子相手には!」とあしらわれる。
偽りなく伝えることこそ大切だと思えるが、接客をしていると同僚の意見も一理あるとは思えるようになった。
女相手には俺の誠意はよくないのだろう。
いくら初対面の相手とはいえ失礼だったか。
泣かれでもしたら面倒だな、そんな心配をしたが女は泣きはしなかったが、やはり落ち込んだ様子だった。
「そうですよね、私みたいな野暮ったい女には似合わないですよね…縁の遠いお洋服です」
そう言って女はショーウインドウを手袋の手でそっと撫で、マネキンを手の届かない空でも見るかのように見上げていた。
「誰も似合わないとは言っていない」
「…え?」
「たしかに今のお前では似合わない。けどきちんと手入れすれば問題ないだろ」
「私でも着こなせるようになるんですか!?」
「ああ」
世辞は一切言っていない。
俺は自分の本音を告げただけなのに、女はまた瞳を強く輝かせた。
「言っとくが今のままなら全く似合わないからな。着られる服が可哀そうだ」
付け加えたら女は大袈裟にガクッと項垂れた。
それでも瞳の輝きは消え失せていなかった。
「これを着こなしたいのか?」
「…お恥ずかしながら」
俺がマネキンの着ている服を指さすと女は下がり眉で頬をかいた。
何が恥ずかしいんだ。恥ずかしく思うポイントが分からない。
服などある程度工夫をすれば大体着こなせる。
「お前、着こなす努力はしているのか?」
「努力ですか?」
「恥ずべきはまずお前の今の格好だ。お前は着ぐるみにでもなりたいのか?女性らしさどころか人間らしさが皆無だ。特に髪。四方八方跳ねてる、まともに手入れしていないだろ?放置してる伸び散らかった雑草と同じだ」
「ざ、雑草!?」
俺の言葉に女は口をぽかんと開け絶句していた。
「お前のその努力できない根性まではどうにもできないが、見てくれくらいならどうにかしてやれる」
俺は取り出したメモ用紙に走り書きで店と自身の名前、店の住所を書いた。
そして女に千切ったメモを突き出す。
女は用紙を手に取ると俺と交互に見比べていた。
「美容師さん?」
「変わる気があるなら来てみろ」
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