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「ライブ、どうだった?」


 高科さんが問いかける。


 ぼくと彼女は並んで手をつなぎ、バス停から彼女の家までの道のりを歩いていた。もう日が暮れる寸前。辺りはどんどん暗くなっている。


「すごく良かったよ!」ぼくは興奮が未だに冷めていなかった。「クラシックでもそうだけど、やっぱり生の演奏は迫力が違うよね! ベニーズ、ほんとすごかった……MCも楽しかったし」


 MCではヴォーカル担当が喋る事が多かった。お笑い芸人みたいな面白い事を言って、会場全体が大爆笑するのもしばしばだった。


「最後の『シング・シング・シング』ね、わたしがお父さんと一緒に行ったときもアンコールで演ってたよ。その時は最初のアンコール曲だったけど」


「へえ。そうなんだ。オリジナルのベニー・グッドマンのバージョンよりも、すごくかっこよくなってたね」


「翔太君、ベニー・グッドマン聴くの?」


「いや、ぼくはジャズはそんなに聴かないよ。だけど、ベニーズの名前の元になった人だから、ネットで調べて動画サイトで聴いたんだ。『シング・シング・シング』は有名だからもともと聞き覚えはあったんだけど、ベニー・グッドマンの曲だとは知らなくてさ」


「そうなの。わたしはね、時々ジャズも聴いたりするよ。と言っても、ベニー・グッドマンみたいなビッグバンドよりも、ピアノトリオが多いかな。オスカー・ピーターソンとか、バド・パウエルとか……」


 全然知らない名前だ……


「うーん。聞いた事ない名前だなぁ……」


「ジャズの演奏って、クラシックと違って基本的に即興インプロヴィゼーションなんだよね。だからすごく自由って感じがする」


「え、えーと……インプロ……なんだって?」


「インプロヴィゼーション。分かりやすく言うと、アドリブってこと」


「アドリブかぁ」


 そう言われれば、なんとなく分かる。あれ?……もしかして……


「そう言えば演劇の練習の時にさ、ぼくが軽音の古いキーボードを直して、高科さんがそれでなんだかものすごく雰囲気の変わった"Singing in the rain"を弾いたことがあったけど……あれもその、インプロなんとかなの?」


「ああ、そんなことあったね。そうだよ。あれがインプロヴィゼーション……と言いたいところだけど、違うの」


「ええっ?」


「あれはね、実はちょっと練習してたんだ。と言っても、結果的にホントにインプロヴィゼーションになっちゃったところもあったけどね。わたしもまだまだ最初から最後までインプロヴィゼーションでは、なかなか弾けないかな」


 そうなんだ……


「ほら、ベニーズのライブでも、ギターソロとかCDと全然違ったりするでしょ? あれは確かに完璧なインプロヴィゼーションだよね」


「なるほど」


「ビバップ形式のジャズはね、基本的に最初と最後だけ元のメロディーを演って、中間はコード進行だけは元のメロディーそのままだけど、もう延々とインプロヴィゼーションが続くんだよ。わたしも時々そういうの、やってみたいなあ、と思う。クラシックではなかなかそういうのできないからね」


 高科さんのジャズピアノ……どんな感じなんだろう。ジャズって難しそうだけど、彼女はJポップでも洋楽でも結構耳コピで弾いちゃったりするから、案外あっさり演れちゃうかも。


「それじゃ今度、何かジャズを弾いてみてよ。ぼく、高科さんがジャズピアノ演奏するの、聴いてみたい」


「わかった。じゃ、そのうちね」


 そこで会話が途切れる。


「……」


「……」


 ちょっとぎこちない雰囲気。告白して正式にお付き合いを始めたばかりだけど、なんだか妙に二人ともお互いを意識しすぎている気がする。


 つないだ手が、やけにあったかい。高科さんの家はもう目の前だ。


「……きゃっ!」


 いきなり手が引っ張られる。足下が何かにつまづいたのか、高科さんがバランスを崩して転びそうになったのだ。


「危ない!」


 とっさにぼくは彼女の手を強く引っ張り、辛うじて彼女の体を抱き留める。


「……大丈夫?」


「うん……ありがと」


 そこでぼくは、彼女の顔が目の前にある事に気づき、ギョッとする。


「あ……ごめん……」


 あわててぼくは彼女の体から離れようとする……が、高科さんはぼくの手を握ったまま、目の前でぼくの顔を見つめ続けていた。


「……」


 やがて、高科さんが、両眼を閉じる。


 さすがにぼくだって、これが何を意味するかは分かる。


 心臓の鼓動が高鳴る。ぼくは周りを素早く見渡した。誰もいない。


 ごくり、と唾を飲み込む。ゆっくりと彼女の顔に自分の顔を近づけていく。鼻の頭がぶつからないように気をつけながら、ぼくは息を止め、彼女の唇に自分のそれを触れさせた。


 柔らかい感触。ぼくはそのまま息を吸う。唇同士が密着する。


 頭の中が、ぼうっ、と麻痺しているような……不思議な感覚。


 ……。


 ええと。


 これ、いつまで続けていればいいんだ?


 やばい。息が続かなくなってきた。


「ぷふぁーっ!」


 限界だった。とうとうぼくは唇を離し、荒く呼吸する。


「はぁ……はぁ……」


 見ると、高科さんも同じ状況だったようだ。しまった。彼女に無理させてしまった……


 目が合うと、高科さんは恥ずかしそうに目を伏せる。そして、ぱっと身を翻し、


「おやすみ!」


 そう言い残して、マンションの玄関に向かって駆けていった。


 とうとうやっちゃった……


 これ、ファーストキス……だったんだよな……?


---


 翌日。


 学校に行くと、なんだかみんな、気が抜けたようになっていた。文化祭ロス、とでも言うんだろうか……とにかく、目先の楽しみがなくなってしまった空しさが、教室全体を支配しているようだった。


 その中でも、隆司の落ち込み方は酷かった。話を聞くと、どうやら彼は、文化祭が終わった後に先生のところに行って、告白したらしい。


 結果は……見事に玉砕。ま、そりゃそうだろうなあ……


 でも、先生には今彼氏はいないらしい。だから、もっと大人になったらもう一度アタックするんだ、なんて彼は息巻いていた。


 ぼくは少し、彼に対して申し訳ない気持ちになる。ぼくも彼と同じように、文化祭の後に意中の人に告白したわけだけど、ぼくはOKされちゃったからなあ……しかも、その後デートして、キスまでしちゃった……


 こんなこと、彼には絶対に言えないよな……


 だけど、この時のぼくは知らなかった。


 自分が、隆司よりも遥かにひどい、どん底の状態に陥ることに。


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