10
読み合わせが終わって帰り仕度をしていた高科さんが、
「……どうしたの?」
「!」目が合ってしまった。ぼくはあわてて彼女から顔をそらす。
しまった。いつの間にか、彼女の顔を見つめ続けてしまっていた……
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昨日、先生の車が走り去っていくのを見送り、家に入ったところで、不意にぼくは重大な事に気づいた。
これでシナリオは本当に完成した。ということは……ぼくはもう、高科さんの家に行く理由がなくなってしまったのだ。
今まではもう毎日のように彼女の家に行っていた。そして、彼女が弾くピアノを聴いたり、レコードやCDを一緒に聴いたりして、楽しい時間を過ごしていた。最近はシナリオを書くよりもそのような時間の方が長いくらいだった。でも……シナリオができてしまった今、もう彼女の家に行く必要はない。
なんてことだ。
今になって、それに気づくなんて。
さらに。
ぼくは昨日の先生との会話を思い出していた。
"君の方から告白してあげないと。彼女、待ってるかもしれないわよ?"
高村さんの家に行く理由がない、ってだけでも心がかき乱されるのに、その上こんなふうに言われると、どうしても高科さんの事を意識してしまう。その結果がこれだ。
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「ご、ごめん。なんでもないよ」
「そう」
彼女は納得してないようだったが、それ以上は何も聞こうとしなかった。だが。
「今日は……うちには来ないの?」
そう言われて、思わずぼくは高科さんの顔をのぞき込む。
「……え?」
彼女は少し恥ずかしそうにうつむいていた。
「翔太君と一緒に聴きたいな、って思うCDが手に入ったんだけど……聴きに来ない?」
「え……でも、行ってもいいの?」
「何言ってんのよ。もう何度も来てるじゃない」
「……」
そうか。
ぼくは嬉しくなった。やっぱり彼女も、同じ気持ちなんだ。一緒にいたい、って思ってくれてるんだ。
「それじゃ、聴きに行くよ」
高科さんは嬉しそうに微笑みながらうなずく。こうしてみると、確かに先生の言うとおり、以前に比べたら彼女もずいぶん表情豊かになったなぁ……
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高科さんはいつものようにぼくを自分の部屋に招いた。だけど、ぼくはなぜか、いつものように落ち着いていることができなかった。もう彼女の家に行く理由がない、と思った時は切なくて仕方なかったはずなのに、行けるとなったらなったで、なんだかすごくぎこちない態度になってしまう。
中田先生に言われたことが、ぼくの頭の中をぐるぐる回っていた。
"君の方から告白してあげないと。彼女、待ってるかもしれないわよ?"
本当に、そうなんだろうか……
だけど、ぼくのそんな気持ちを知ってか知らずか、彼女はCDのジャケットを取り出して、ぼくに見せた。
「ほら、これ。探してたんだ。べニーズのファーストCD」
「え……」
意外だった。べニーズと言えば、3年位前から有名になった日本のバンドだ。ロックだけじゃなくジャズやファンク、ボサノバからも影響を受けたおしゃれな感じの曲が多い。
そもそもバンドの名前の由来も、有名なジャズミュージシャンのベニー・グッドマンから来ている。ぼくも、いわゆるアイドル的なJポップはほとんど聴かないんだけど、べニーズは嫌いじゃない。最近のヒット曲「アスタリスク」は動画サイトで何度も聞いたことがある。
「まだ有名になる前のCDだから、中古でもなかなかなくてさ。でもようやく見つけたよ」
高科さんは嬉しそうにニコニコしていた。
「高科さん、べニーズ聴くんだ……」
ぼくがそう言うと、彼女はうなずく。
「うん。Jポップの中では一番好きかな。お父さんと一緒にライブにも行ったことあるよ」
「ええっ!」
全く想像ができなかった。バンドのライブに行って、はしゃいでる高科さん……
しかも、お父さんと一緒に……ていうか、高科さんのお父さん、べニーズなんか聴くんだ……
「お父さんと一緒に?」
「うん。実は、お父さんの方が先にハマったんだよ。なんか、お父さんが若い頃によく聴いていた音楽にすごく近いんだって」
「へぇ」
確かに、べニーズの曲は「古くさい」と言われることもよくある。でも、ぼくにしてみれば逆にそういうのが新鮮に思えたりするんだけど。
「べニーズって結構大人っぽい音楽だから、翔太君も割と好きなんじゃないのかな、って思ってさ。どう?」
「いや……そのとおりだよ。よくわかったね。ぼく、『アスタリスク』とか、結構好きなんだよ」
「やっぱり」
嬉しそうに高科さんが何度もうなずく。
「ファーストアルバムは、聴いたことある?」
「ううん」
「それじゃ、一緒に聴こうよ」
彼女はCDプレイヤーのトレイにCDを乗せて、再生ボタンを押す。トレイがゆっくりと飲み込まれていき、しばらくして、スピーカーから曲が流れ始めた。
あまり聴きなれない曲だけど、べニーズらしさはそのままだった。とてもクールでかっこいいサウンド。フローリングに敷かれた絨毯の上に座るぼくの隣に腰を下ろし、高科さんも小さくリズムを取りながら聴いている。
今まであまり意識してなかったけど、ぼくと彼女、結構距離が近いよな……そして、少なくとも、彼女がそれを嫌がっていないのも確かだ。
でも、これ以上距離を詰める勇気は、今のぼくにはなかった。できればその手を握りたい。そして……キスも……
いけない。曲に集中できなくなってきた。ちゃんと聴かないと……
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ぼくが自分の家に帰ろうと玄関で靴を履いている時だった。見送りに来た彼女が、いきなり言ったのだ。
「こ、今度、べニーズが全国ツアーで市民ホールに来るんだけど、一緒に行かない?」
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