9

「ごめん。シナリオ、書き直すよ」


 ぼくはみんなに向かって頭を下げた。だけど、もうスケジュールがいっぱいいっぱいだ。本当は1日だって無駄にしたくない。それは皆同じだろう。


「いや、翔太は良くやったよ」隆司だった。「元々100分の映画を三分の一以下の長さにまでまとめたんだもんな」


「そうだね。私もそう思う」ヒロインの「キャシー」を演じる、瀬川 美玖せがわ みくさんだ。「でも……もう、あまり時間がないよね。あと3週間しかないんだし……」


「分かったよ。それじゃ、明日までに何とかするから」


 ぼくがそう言うと、


「私も手伝うわ」中田先生だった。「許可を出してしまった私にも責任があるからね。翔太君、一緒にシナリオを直しましょう」


「あ、それじゃ高科さんも一緒に、いいですか? ずっと二人でシナリオ考えてたんで」


「もちろんいいわよ」


 先生はニッコリと笑った。


---


 職員室。


 ぼくらは贅沢にも、応接ソファーで作業をしていた。


 念のために今日ノートパソコンを持ってきておいて良かった。先生は先生で、クラウドに置いてあったシナリオのファイルをぼくが共同編集できるように設定したので、自分のノートパソコンでファイルを開いていた。


 ぼくらは場面シーン毎に話し合いながら、ここは削る、ここはイキ、というように決めていった。基本的に削るだけなので、作業は意外にサクサク進んでいった。が、やはり三人とも思い入れのあるシーンが若干違うので、たまには意見が衝突する事もあった。そんな時は基本的に先生が意見をまとめて判断していった。でも、先生も決して自分の意見を最優先にしたりはしなかった。


「それにしても」先生がぼくを見ながら言う。「この、『リナ』が最後、自分で吹き替えをバラしちゃうっていう展開、すごくいいわよね。さすが翔太君だわ」


 ぼくは慌てて首を横に振る。


「い、いえ、それはぼくじゃなくて、高科さんのアイデアなんです」


「へえ! そうなの!」


 先生が高科さんを見ると、彼女はコクンとうなずいた。


「あなたもなかなかやるわね」先生がニコニコしながら高科さんを見ると、彼女の顔が少し赤くなった。


 そして、ようやくシナリオの最後の部分の修正が終わった。


「ふぅっ、こんなもんかしらね」先生が背もたれに身を投げ出して言う。


「そうですね……これなら、歌を入れても、30分に収まりそうです。手伝って下さって、ありがとうございました」


 ぼくは先生に向かって頭を下げる。


「あら、いいのよそんなこと。こういうのも総監督の勤めだからね」そう言って先生は、窓に視線を投げる。「あれま、もう随分暗くなっちゃったわね。二人とも私の車で送っていってあげるわ」


「え、でも、ぼくら、十分歩いて帰れる距離ですよ?」


「ダメよ。君はともかく、高科さんは女の子なんだから。それとも……君が彼女をボディガードして、送っていってあげるつもりだったのかな?」


 先生は、ニヤーと、意味ありげな笑顔を作ってみせる。


「え、えーと……」


 そんな言葉が返ってくるとは予想もしてなかったぼくは、どう応えて良いのかわからずにうろたえる。


「アッハッハッハ!」先生は愉快そうに笑う。「ま、どっちみち、中学生同士でも夜道は危ないからね。いいよ。私の車に乗っていって。二人のお家に私から電話しておくから、ね?」


---


 中田先生の車は真っ赤なスポーツカー。車高が低くて2ドアだった。


「それにしても……高科さん、変わったわね」


 運転席の先生が助手席の高科さんを振り返る。ぼくは高科さんの真後ろの後席に乗っていた。経路的には高科さんの家に先に向かうので、降りやすいようにそうしたのだ。


 車内は香水のような匂いが満ちていた。それも消臭剤のような安っぽい匂いじゃなくて、すごく上品な、いい香りだ。それはいいんだけど……この後席、ちょっと狭すぎないか?……全然足が伸ばせないよ……


「え、わたしが……ですか?」きょとん、とした顔で、彼女が応える。


「ええ。1年の頃は、すごくおとなしくて全然喋らなかったじゃない。だけど今日は、ずいぶんいろいろおしゃべりしてたわよね」


「そ……それは……」高科さんは横顔で、困ったようにうつむく。


「そう。今みたいな困った顔も、なかなか見せてくれなかったよね」


「え?」


「私ね、高科さんって、全然表情が変わらない子だなあ、って思ってたの。この人本当に感情があるのかしら、なんて思ってしまうくらい。あ、気を悪くしたらごめんなさいね」


「いえ」


「でも、はっきり言って、今の高科さんの方が、断然かわいいわよ」


「え……」高科さんが恥ずかしそうにうつむく。


「さ、着いたわ」


 先生の車は高科さんのマンションの玄関前で停まる。彼女が降りるのと入れ代わりで、ぼくは助手席に座る。足が伸ばせるだけでこんなに楽だとは思わなかった。二人で手を振って彼女を見送った後、先生はマニュアルシフトを器用に操って、ぼくの家に向けて車を発進させた。


「ごめんね。後ろ、狭かったでしょ?」先生が申し訳なさそうに言う。「FDの後席なんて、おまけみたいな物だからね」


 この車、エフディって言うんだ……聞いた事ないなあ……


「いえ、一応座れましたから、大丈夫です」


 足は伸ばせなかったけどね……


「中学生の男子にしては、なかなか落ち着いた反応ね。ほんと、君って、よく分からない子よね」


「……どういう意味ですか?」


「まず、物言いからして中学生らしくないし。でも1年の時はもうちょっと子供っぽかったと思うけどね。まあ、今年はちょうど中二だからそういう年頃、ってことなのかもしれないけど」


「中二病、ってヤツですか?」


 あんまりそういう自覚はないんだけど。


「そこまでとは言わないけど、ま、大人ぶってみたい年頃なのかな、ってね。私にも覚えがあるなあ。だけど、君はそれだけでもないのよね」


「え?」


「文系なのか理系なのか、よく分からないのよ」


「文系? 理系?」


「あ、そうか、分からないか。ええとね、文系って言うのは、文学とか哲学、語学、法律、政治、経済……という、人文とか社会系の分野の事。理系は数学とか物理、化学、生物、地学……っていう、いわゆる自然科学や工学の分野。それぞれどっちに向いているかで、文系人間、理系人間って大まかに分類されるのよ」


「そうなんですか」


「ええ。それで……君は電子工作が得意中の得意なんでしょ? パソコンもすごく使えるみたいだし。だから、それらだけを見たら確かに理系なんだけど……読書感想文も、結構すごいもの書いてくるしねぇ。今回のシナリオだって、なかなかの物だったし。そうなると、文系の才能もある、ってことになる。だから……君は理系と文系のどっちなのか、よくわかんないのよ」


「……はぁ」


 そんなこと、考えてもみなかった。


「ま、理系、文系なんてのも人間が勝手に線引きして決めた枠組みに過ぎないからね。そんなものにとらわれない人間がいたとしてもおかしくはない、ってことよね。でも、君が珍しいタイプなのは間違いないと思うわ。やっぱり、高科さんが変わったのも……君のせいかな?」


 また、ニヤーとした、意味ありげな笑顔。


「ぼくのせい……ですか?」


「ええ。彼女と、付き合ってるんでしょ?」


「ええっ!」ぼくはあわてて首を横に振る。「そんなんじゃないですよ! いや、たまたま一緒にシナリオ書く事になっただけで……ぼくと彼女は……そんな……」


「それじゃ翔太君、彼女の事は好きじゃないの? お付き合いしたい、とか、思ったりしないの?」


「え……」


 ぼくは何も言えなくなってしまう。


 そういうことについては、ぼくは深く考えないようにしてきた。でも……


 正直言って、高科さんは女性としてぼくの好みなのは間違いない。特にピアノを弾いているときの彼女は、本当に魅力的だ。見とれてしまう事が良くある。


 それに、彼女と一緒にいると楽しい。最近は音楽の話で盛り上がる事が多い。彼女は本当にいろんな音楽を知っていて、彼女が勧める曲はほぼ間違いなくぼくの好みだった。


 そのお返しと言っては何だが、ぼくも彼女のオーディオ環境を整えてあげている。例のアンプのゼロボルト調整もちゃんと済ませたし、この前も、スピーカーケーブルの長さがかなり余っていたので、思い切って半分の長さにしてみたところ、音質が格段に良くなった。銅線と言っても電気抵抗はゼロじゃないし、抵抗は長さに比例するから、ケーブルの長さはできるだけ短くするのに越した事はないのだ。


 その音を聞いて、高科さんは目をまん丸にして「すごい!」を連発していた。彼女の喜んだ顔を見られたのが、ぼくには素直に嬉しかった。


 だけど……


 彼女はぼくのことを、どう思っているんだろう。


 実際のところ、ぼくはモテるタイプではない、と自分でも思う。別に太りすぎでもやせすぎでもないけど、スポーツマンではない事は確かだ。体を動かすより、本を読んだり映画を見たり機械をいじったりする方が好きなインドア派。モテるタイプからはほど遠い、と思う。事実、今まで一度も女子から告白された事はない。


 ……。


 やっぱ、高科さんに好かれるなんて、ありえないよな……


「そんなことはないわよ」いきなり中田先生が言った。


「!」ぼくはギクリとする。


「今、自分は彼女にふさわしくないとか思ったでしょ?」


 すごい。まるでぼくの心の中を見透かしているみたいだ。


「図星、ってとこかな。ね、翔太君……やっぱり君は高科さんの事、好きなんでしょ?」


「……」


 バレバレか。ぼくは無言で、かすかにうなずいた。


 いつの間にか先生の車は、ぼくの家の前に停まっていた。


「今日の様子を見る限りでは、私はね、彼女もまんざらでもないんじゃないかな……って思うんだけどなぁ……」


「ええっ?」ぼくは思わず先生の顔を見上げた。「どうして、そう思うんですか?」


「なんとなく、よ。女のカン、ってヤツかな」


「でも……ぼく、女子から告白された事、全くないくらいモテないヤツですよ」


「バカねえ」先生が呆れ顔になる。「女の子の方から告白するだなんて、中学生くらいの年齢としじゃ難易度高すぎるわ。そんなことができるのは、よほど勇気がある子か、絶対上手くいく、って勝算がある子だけよ」


「そうなんですか……」


「そうよ。だから、君の方から告白してあげないと。彼女、待ってるかもしれないわよ?」


「う……」


 そんな事言われても……どうしても勇気が出ない…… 


「まごまごしてると、彼女、他の男子に取られちゃうかもよ?」先生がいたずらっぽく笑う。


「!」ぼくは思わず目をむく。


「ふふふっ。分かりやすい反応ね。でも、冗談じゃなく、最近の彼女は昔に比べて表情豊かになったから、惹きつけられる男の子も増えてくるんじゃないかな。だから、ホントに告白は早いほうがいいかもね」


「……はぁ」


「いけない。随分遅くなっちゃったね」先生が車内時計を見ながら言う。「じゃあね、翔太君。明日からまた読み合わせ、頑張ろうね!」


「はい。今日は色々ありがとうございました。お休みなさい」


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