ピアノと彼女とぼくの物語

Phantom Cat

1

 それはぼくの親友、細野 隆司ほその りゅうじの一言から始まった。


「なあ、翔太しょうた。お前にミュージカルの脚本を書いてほしいんだ」


 ぼくらの中学で毎年文化祭の恒例行事となっている演劇大会。各クラスが一丸となって一つの劇を上演するのだ。そして、今年ぼくらの2年2組は、ミュージカルをやることになった。


「雨に唄えば」。


 かなり昔の映画だが、クラス担任の中田 和美なかた かずみ先生が好きで、英語と音楽の勉強にもなるから、と、総合学習の時間を使って上映したのだ。


 正直、こんな古い映画なんかつまらないんだろうなと思っていた。だけど、"I' m singing in the rain" っていう歌詞で始まる、誰もが聞いたことのあるあの曲がこの映画から生まれた、ということはちょっとした衝撃だったし、役者たちが披露するタップダンス(もちろんあの有名な雨の中のシーンも!)がとにかくかっこよくて、ぼくは結構楽しんでしまった。そういう生徒はぼくだけじゃなかったらしく、もちろん隆司もそうだった。そして、クラス委員長である隆司は、先生と結託して演劇大会のテーマを、ほとんど強制的にこの作品にしてしまったのだ。


 ところが、演劇大会での一クラスの持ち時間は30分。約100分の映画「雨に唄えば」をそのままやるわけにはいかない。なので、かなりのダイジェスト版にする必要がある。もちろん脚本もセリフも書き直さなくてはならない。その仕事を、隆司はぼくにやらせよう、というのだ。


 なぜ彼がそんな話をぼくに持ってきたのか。実はぼくは去年から二年続けて読書感想文コンクールの学校代表になっていて、今年は一応県代表にまでなったのだ。とにかく文章を書かせたらぼくの右に出る者はいない、というような雰囲気がクラスの中にあった。


 しかし……


 だからと言って、いい脚本が書けるとは限らないと思うんだけどなぁ……


 と、最初はぼくも全く乗り気じゃなかったのだが、


高科たかしなも、お前がシナリオ書くんなら協力する、ってさ」


 という彼のセリフに、大きく心を動かされてしまった。


 高科 瑞貴みずき


 同じクラスの女子生徒だ。腰まであるストレートの黒い髪。かわいいと言うよりも美人タイプの顔立ち。どちらもぼくの好みだった。だけど、1年の時も同じクラスだったのに、ぼくは彼女とあまり話をした記憶がない。いや、そもそも彼女は誰とも話すことがほとんどない。孤高の存在、と言ってもいいだろう。


 昨年の全日本ジュニアピアノコンクール、グランドファイナリスト。


 ぼくとは出身小学校が違うのだが、小学生の時からピアノの天才と言われていて、地元のテレビで紹介されていたのをぼくも何度か見たことがある。


 無表情に、ただひたすら淡々と鍵盤の上に指を踊らせる。その恐ろしく正確な彼女の演奏は、決して大人のそれにも引けを取らない。


 だけど教室ではとても無口で、いつも独りぼっちでポツンと本や楽譜を読んでいたり、机の上でピアノを弾いているように指を動かしていたりする。イメージトレーニングなんだろうか。


 とにかくぼくは彼女が気になっていた。だけど、話しかける理由がないし、話しかけたところでおざなりな返事がかえってくるだけだろう。そんな彼女が、わざわざぼくを指名してくるなんて……


「ほら、ミュージカルって、当然だけど音楽の演奏が必要じゃないか」と、隆司。「それはもう高科の担当で決まりだよ。彼女、『雨に唄えば』のLDが家にあって、もう何度も見たんだって」


「エルディー?」


「レーザーディスク。知らねえのか? DVDが出る前にあった、映画とかが見られるディスクだよ。レコードくらいの大きさだぜ」


 ああ……レーザーディスクなら知ってる。父さんが良く行く中古屋にも結構置いてある。確かにレコードと同じくらいの大きさだ。だけどぼくの家にはレーザーディスクのプレイヤーはない。レコードプレイヤーは三つくらいあるんだけど。父さんがレコード好きだから。


 それはともかく。


「それじゃ、高科さんも『雨に唄えば』好きなんだ」


「ああ。だから、演奏担当の話を持っていったら、速攻で了承だよ。なんか目が輝いてた。あの映画に出てくる曲は、大体自分でも弾けるらしい。ただ、一つだけ条件を付けてきた」


「え?」


「それが、脚本のアレンジはお前がやること、って言うのさ」


「え、なんで?」


「彼女はお前がショートショート教室で作った作品読んで、なんか心に刺さるものがあったらしいぜ。だから、ストーリーならお前が考えるのが一番なんじゃないか、ってさ。ま、実際俺もそう思うけどね」


「……」


 ぼくの顔がちょっと熱くなる。一学期の総合学習の時間に、中田先生が小説家の人を呼んで、その人からみんなでショートショート小説の作り方を学ぶ、ということがあった。その時ぼくは、あえて起承転結も序破急も無視したストーリーを作って発表したら、なぜか小説家の人には大ウケしたのだが、生徒や先生はみなポカンとしたままだった。これは失敗したかな、と思っていたのだが……まさか、それが高科さんの心に深く印象を残していたとは……


「それに、彼女はあの映画を何度も見てるから、シナリオ作成にも協力できる、ってさ。だけど彼女はあくまで演奏担当がメインだから、シナリオをメインで担当するヤツが他に必要だ。それがお前、ってことだな。というわけで、お前に引き受けてもらえないと、シナリオ担当と演奏担当が両方とも消滅する、ってことになるんだが……どうだ?」


 そう言われると、ぼくとしても断りづらくなってしまう。いや、ちょっと待てよ……


 高科さんはシナリオ作成にも協力したいらしい。ということは、シナリオを作るにあたって、彼女といろいろ話をする機会もあるかも……


「……分かったよ」


 とうとうぼくはうなずいてしまった。表面上は、やれやれ、という態度を装っていたが、内心ではワクワクする気持ちを抑えるのがやっとなくらいだった。


「お前ならそう言ってくれると思ってた」隆司がニヤリとする。「そしたらな、あともう一つ、お前に守ってほしいことがあるんだ」


「え?」


「『雨に唄えば』は既に舞台のミュージカルとしても日本で上演されてるけど、その映像は見ないでくれ」


「え……どうして?」


 そんなのが見られれば、シナリオ作るのに絶対役に立つのに。


「中田先生からのお願いなんだよ。俺もよくわからないけど、著作権がどうとか言ってた。映画の『雨に唄えば』は日本では著作権が切れてるから、それだけを参考にするなら自由にミュージカルでもなんでも作っていいんだけど、舞台の映像は著作権が切れてないからマネするのは絶対にダメなんだって。あと、字幕の文章も著作権があるから、それもそのままセリフに使うのはダメだとさ。でもどうせシナリオは大幅なアレンジになるだろうから、どっちみち字幕はそのまま使えないと思うけどな」


 そうなんだ。いろいろめんどくさいなあ……


 中田先生は英語担当、26歳の独身女性。ちょっとぽっちゃり気味で、かわいい感じの顔立ちはあんまりぼくの好みじゃないけど、胸が大きいので男子生徒からはかなり人気がある。特に隆司は彼女の絶大なるファンだ。

 先生は性格は穏やかだけど、時々怒るときはすごく恐い。でも基本的に生徒の味方になってくれる、信頼できる大人だ。ぼくと隆司と高科さんは、1年の時もこの人がクラス担任だった。


 その中田先生からのお願い、とあれば、彼も従わざるを得ないのだろう。めんどくさいけど、しょうがない。


「わかった。それじゃ、映画だけを参考にするよ。字幕もそのまま使わない」


「頼んだぞ。高科にもお前がOKしたこと、伝えておくからな」

 

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