第63話 「こんなお茶で、満足してるんだ」
「迎えに来たって」
床に座ったまま、サラダは私を出迎えた。
「遊びに来てくれたのは、ミサキさん、うれしいよ。だけど、からかっちゃいけないよ」
彼女は首を横に振る。窓の外には雪が降っていた。
「今のあたしに、何ができる?」
*
私はサラダの実家にやってきていた。
確かに田舎だ。
思いっきり田舎だ。
ここに来るまで結構苦労した。
車でなかったら、どれだけかかったことだろう?
道路でちら、と見かけたバス停の時刻表は、三時間に一本くらいしか止まらない。
横を過ぎていく中学生達は、皆自転車だ。高校生の姿は見あたらない。
もしかしたら、近い学校が無いので、高校は下宿しているとか、寮に入るとか、そういう地域なのかもしれない。
山がどん、と目の前に迫っている。自然は好きだが、この大きさは、圧迫感しか感じない。
サラダはこんなところで育ったのか、と私は空を見上げて目を細めた。
確かにこの田舎だったら、私や彼女、それにまりえさんの様な人間は、息が詰まる思いだろう。私はまだそれに比べれば良かった。一応名古屋に近かったから、「都市の空気」はある程度味わって育った。息抜きができた。
だけどこの自然は、それすらもさせてくれないような気がする。大きすぎる。
確かに自然で癒されるひとも多いだろう。ただ私達はそうではない。それだけだ。
*
サラダはあの病院でしばらく入院したあと、実家にそのまま移った。
完全に歩けなくなるという訳ではないが、神経だか何処かのバランスが崩れてしまったのは確かのようで、つかまり立ちや手すりがあれば歩くことができるが、それはひどくゆっくりしたもので、しかも長続きはしない。
荷物をまりえさんが取りに来た。残念ね、と彼女は言い残した。本当に残念だと。
「これでまた、振り出しに戻ってしまうのかな」
ぽつりと彼女は荷物を車に積みながら言った。元々多くは無かった彼女の荷物は、まりえさんがレンタルしたワゴン車に楽々積み込むことができた。乗り切らないものは、私に持っていて欲しい、と彼女は言った。
荷物が無くなった部屋は、ひどく広くなった。一年と少しを二人で過ごした部屋。手作りのボックスをどかしたあとのカーペットは、そこだけ色が元のままだ。ああ、広すぎる。
私はまた、引っ越した。ただ、今度の場所は、マンションでも一軒家でもなかった。
*
「あたしがそういうことで、あんたをからかったこと、あった?」
無いけど、と彼女はまた首を横に振る。でしょ、とあたしは返す。
ふとぐるり、と彼女の部屋を見渡す。決して狭くはない。田舎の家だけあって、敷地が元々大きいし、天井も高い。
そして和室だ。彼女はその和室にべったりと座り込んでいた。時々物を取ろうとする時には、ほとんど這って行くようだった。それでも全く動けない訳ではない、ということに私はほっとした。
「あたしはあんたを迎えに来たのよ。約束したじゃない。一緒にカフェをやろうって」
「何言ってんのよ。あたしがこの身体でできると思ってるの?」
「別に前に言ったような役割分担しなければいいじゃない。あたしが客の間をくるくる回ればいいのよ。あんたはカウンターに居てくれればいい。時々そこからゆっくり出てきて、作ったカードを貼ればいい。ディスプレイやコンセプトやら、できることは幾らだってあるじゃない」
「そんなこと」
できる訳ないでしょ、と彼女は吐き捨てるように言う。
「ふうん」
私は出されたお茶を一口飲んで、ソーサーの上に下ろす。
「こんなお茶で、満足してるんだ」
それは彼女の母親が、私が来てすぐに出したものだった。塗りのお盆の上に、近所のスーパーで買ったのだろうソフトクッキーを盛った皿と、レモンのついた紅茶が出された。
一口飲んで、ポットの湯でティーバッグをカップに入れたお茶だな、ということが判った。
「何もあんたのご両親を馬鹿にする訳じゃあないけど、ここで、あんたが気持ちよくやっているとは思えないわよ、あたしは」
「だってそれは、仕方ないでしょ」
サラダは目を伏せた。
「ふうん。それでまた、引きこもってしまうんだ」
「ミサキさん!」
顔を上げる。その言葉にはさすがに反応が早かった。
「だって、そうじゃない。あんたが昔言ってた、状態みたいなものじゃない。生きにくい、息苦しい、窒息しそうだって言うのに、守られなくては生きてゆけない子供だったから、仕方なく居た、って感じの。それでもそこで生きていかなくちゃいけないから、引きこもるしかなかったっての」
「だってどうすればいいって言うのよ! この足が上手く動かないっていうのに!」
ぴたぴた、と彼女は自分の膝を叩く。
長いスカートに隠された足は筋肉も落ちて、きっと最後に見た時よりひどく細くなっていることだろう。
あの頃きびきびとアルバイトで客の間をすり抜けていった、筋肉が綺麗についた足では無くなっているだろう。
それだけではない。運動不足のせいで食欲が落ちてるのだろうか。食事が合わないのかもしれない。上半身の肉もずいぶん落ちていた。
正直、彼女の部屋の扉を開けて、その姿を見た時、思わず目を見張った。
私のその視線の意味に気づいたのだろうか、彼女は少し目をそらした。だけど驚いたことは、間違っていないと思う。私は確かに驚いたのだ。
あのぽちゃぽちゃとした丸い肩は何処に行った? どうして首筋にあんなに線が浮く?
何となく、私はその状況に怒りに近いものを覚えた。それは彼女が事故に遭った、動けなくなった、と聞いた時以上のものだった。
「リハビリはしたわよ! あたしだって前みたいにするする動きたいとどんだけ思ったか判らないわよ! だけど駄目だった。確かに車椅子にはならないで済みそうだけど、それ以上に治る方法が判らない、って言われたもの!」
「そうだねそれが今のあんただね」
容赦なく、私は言葉を投げつけた。
「だけどあんたが居て欲しい」
「嘘」
「こういう時に嘘なんかついたことある?」
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