第55話 訳のない不安
そしてカナイ君のヴォーカルは、と言えば。
私は何度か見に行った。確かに、すごい。
一応これでも、RINGERの持ち曲はそれなりに知っていたのだが、それがまるで形を変えてしまっている。知らない曲も数曲あった。
それは兄貴がカナイ君ヴォーカルのために書き下ろしたものもあったし、一曲、カナイ君が作ったという曲もあった。SSでやっていた曲はその曲以外、全てギターのミナト君というひとが作っていたらしい。
ついでに言うなら、そのミナト君のアレンジを、兄貴は全く無視して、このバンドならではのアレンジにすっかり変えてしまった。兄貴にしては珍しく、この曲に関しては、その奇妙な展開に惚れ込んだらしい。一見さわやかな曲なのだが、新生RINGERでは、それは轟音に変わった。
正直、私はこのバンドでそういう音が出せるとは思っていなかった。けどそれは間違いだった。
今までのヴォーカルは結局、皆同じ声だったのだ。
カナイ君は違う。声質的には確かに似ているが、まるで違う。彼の歌には、伝えたい何か、があるのだ。
例えばその新しい、カナイ君の作ったという曲。兄貴はこう言った。聞いた瞬間、頭の中に花畑がぱーっと広がった、と。
じゃあ何でああいうアレンジになるんだ、と聞いたら、こう言いやがったのである。
「その花畑を思い切り踏み荒らしてやったら楽しそうじゃないか?」
ふてぶてしい程の笑顔で、兄貴はそう言ったのである。この野郎、と私がその時舌打ちしたのは言うまでもない。
そしてこれが驚いたのだが、オズさんとマキノ君の競作で、二曲、出来上がっていたのである。歌詞はオズさんの原型に、カナイ君が自分の歌いよい様に修正した、という感じだった。
正直、オズさんが曲を作るなどということは聞いたことが無かったので、私は驚いた。そしてそれがマキノ君との競作ということに、二度、驚かされた。
マキノ君単品で、だったら私は逆に驚かなかっただろう。彼はピアノをやっていたということだから、そういう曲の作り方とかには長けているのではないかと思う。しかし違った。おおもとはオズさんが作ったのだ、という。
「俺はその手助けをしただけ」
とマキノ君は言った。
「俺にはそういうものは、浮かばないの」
にっこりと笑って彼は言った。そういうこともあるのだな、と私は思った。そしてオズさんは音階がある楽器は基本的にできない。だったらいい組み合わせなのかもしれないな、と私にもうなづけるところだった。
彼等が作った曲は、一つは割と明るめな――― ポップな曲だったが、もう一つが、バラードだった。と言うか、ワルツだった。三拍子の、不安定なものを持った、綺麗な曲だった。
「まあ俺だったら絶対作らないだろうなあ」
と兄貴はそれを二人から披露された時、呆れ半分、感心半分で言ったそうである。
いずれにせよ、メンバー全員が何らかの形で原曲を作ることができる、というのは強い。
そして立場として有効である。まだ売れもしないうちから言っては何だが、印税の問題、というのもある。メンバーの誰かに収入が偏る、というのはあまりいい気はしないのではないだろうか。
何だかんだ言って、原曲はほぼ全部兄貴のものだったのがそれまでのRINGERだ。
その状態だといつか来るかもしれない袋小路という奴も、違う色合いの曲が常に用意されているならば、はまらないで済むかもしれない。
無論すぐにそのデビウ曲への反応は出なかった。正直、全く無視されていたと言ってもいい。そんなものだよなあ、と皆顔を合わせて笑ったが、本心からの笑いではないことは、すぐに判った。
「そういう時には美味しいものを差入れしてやらなくちゃあ」
とサラダが言うので、私はカフェごはんのために、と試作しているあれこれを彼等に回していた。
また菓子かよ、と兄貴は言ったが、高校生組、オズさんやその友達の紗里さん、ローディのハシモト君やフェザーズ事務所の事務員嬢達には好評だった。
「ちゃんと感想聞かせてくださいねっ」
そう笑顔を振りまいておいたおかげで、焼き菓子の類は、結構どんなものがいいのかめどがついてきている。
焼き菓子以外のものは、テイクアウトできるメニューで試してみた。例えばサンドウイッチ。普通のサンドから、そこに備え付けのオーブントースターで温めると美味しいホットサンド、ベーグルサンドの時もあれば、パニーニにすることもあった。
兄貴とオズさんはあまりこじゃれた物は好きではない。というか、どうでもいいらしい。そういうものが結構好きなのはやっぱり高校生組だったりする。
「甘いのもいいけどさー、さすがにミスドでバイトしていた時には参ったよなー」
とカナイ君は言っていた。
「そういうもの?」
少し強めにスパイスを効かせた、厚手のクッキーを口にしながらマキノ君は友人に問いかける。
「おう。だってさ、油使ってるんだぜ? 油と砂糖。甘ったるいにおいがなあ」
「そぉ? 俺は結構あの前に通るとする匂いって好きだけど」
「お前はそういうけどなー、それが毎日、になってみろよ。しばらく甘いものは見たくなかったぜ?」
道理で当時、彼がスナック菓子に目を輝かせたものだ。
しかしそれを考えると、単に甘いものだけのデザートというのも何だかな、という気もする……
「とりあえず、大きな店はできないよ」
とサラダは言った。そりゃそうだ、とテーブルの向こう側で私もうなづいた。
「それと、あくまでカフェ…… 飲み物とゆっくりできる時間を中心にするのか、それともごはんできる場所、というのがいいのか、そのあたりをきっちり考えないとね」
「ごはんができるのが理想だけど」
「ただキッチンの大きさにもよるよね」
あ、と私は顔を上げた。
「例えばあたし達で借りることができた物件が、たまたまキッチンの設備が小さくて、凝った料理はできない、とか素早く料理はできない、って場合もあるじゃない。その時には、あくまでお茶と、数絞ったお菓子が中心ってことになるよね」
「うん。確かに」
サラダは昼間のバイトの他に、最近はカフェでバイトも入れるようになった。夜だ。昼間のバイトが9時-5時のものだとすると、その後、ちょっとごはん入れて、6時-10時くらいでカフェのバイトを入れている。
「体には気を付けてよ」
そう言ったら、あたしの方にも残業が多いじゃない、と彼女は切り返した。
それはそうだけど。
「でも緊張の度合いってものが」
「やーだ、バイトだもん。っていう目で向こうもある程度見てくれてるから、大丈夫大丈夫」
そうは言うけれど。
そうは言うけれど、サラダは決して「バイト」だからって手を抜くことが無いことを私は知っている。自分のやっていることに、後悔をしたくないのだ。
それは判っている。そしてそれは正しいことだ。
だけど、サラダは一つだけ計算に入れていない。自分の体のことだけば。
結構無茶やっても平気な程の体力を持っていることは知っている。それに私より若い。だから多少の無理もきく。
だけど。
訳なく、私の中では不安があった。
*
そしてその不安が的中した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます