第18話 サラダ力説甘味談義

 ぴんぽんぴんぽん。


 チャイムの音で私は我に返る。そうだサラダが来るんだった。


「用意できたよー。あれー?」


 ひょい、と彼女は玄関から奧をのぞきこんだ。


「あれ、お客さん居たの?」


「ま…… あね。だから一緒に、と思って」

「ふうん」


 両眉がひょい、と上がる。


「あ、見覚えあるひとだー」

「ほら、あんたも知ってるでしょ、兄貴のバンドの、ヴォーカルの」

「元ヴォーカルだよ」


 彼は即座に訂正した。


「ふうん。何だか判らないけど、まあいいか。とにかく行くなら行こうよ。あんまりお昼に近くなると、混むよー」


 それはそうだ。彼女は正しい。



 三人分の場所をキープしてから、私達はカウンターに注文しに行った。コーヒー豆とスコーンを幾つかテイクアウトにして、ブランチ代わりのベーグルサンドを、「今日のコーヒー」と一緒に頼む。ミルクをたくさん、が私の趣味だ。


「おまたせー」


 サラダはシナモンのスコーンと、ハコザキ君があまりの甘さに参ったラテをトレイに載せていた。その彼、こんな店なのに、リーフティだった。


「ちょっと昨夜飲み過ぎたからね」


 そう言って笑う。あまりこのひとを昼間に見たことは無かったが、改めて見ると、結構整った顔をしている。顔も小さいし、全体的にこぢんまりとまとまってるんだなあ、と感心する。兄貴のバンドのヴォーカリストとしてしか認識していなかったから何だが、そのバンドの続きで身につけているTシャツと皮パンが、馬鹿馬鹿しい程似合わない。うーむ。


「それでサラダ、ペンキ塗りは済んだの?」

「うんだいたい。どうせこれで乾かさなくちゃならなかったから、ちょーど良かった」


 言いながら、両手に持ったスコーンにさく、とかぶりつく。


「あたしはブルーベリーの方が好きだな」

「あたしもどっちも好きだよ。チョコチップもいいよね」

「あれはちょっと甘過ぎ」

「菓子なんだもん。甘すぎるくらいの方がいいよ」


 そういうものかな、とハコザキ君は半ば呆れたようにつぶやいた。そーだよ、とサラダはほとんど初対面の彼に、あっさりと答えた。


「よく『甘さひかえめ』とか言うじゃない、TVのグルメ番組とか、ローカルなお店情報でさ。『甘味を抑えたヘルシーなデサートです』とかさ」

「それが気にくわないの?」

「くわない」


 どん、と彼女はテープルを叩いた。


「だって菓子って別に健康のために食ってるんじゃないもん。美味しいから、楽しいから食ってるんだよ。なのにそこにいちいちそんなリクツ付け加えて何が楽しいんだって言うの?」

「甘すぎるのが好きじゃないひとだって居るじゃない」

「でも菓子の基本は甘いことなのよっ」


 おお、ほとんど拳を握りしめている。


「ミサキさんほら、銀座のあのデパートのモンブラン、食べたことある?」

「あんたが言うから、一度行ったけど」

「どおだった?」


 果たして何処まで本気なのか判らないが、口調は怖いくらいだ。


「どぉって…… うん、確かに一口二口は美味しいのよね。だけど半分でいい、と思った」


 そう。確かに私は半分でリタイヤした。銀座のあるデパートの中にある喫茶店のモンブランが、すごく美味しい、という彼女のすすめで、私も一度、会社の子と連れだった時に食べてみたのだ。

 結構その喫茶店は混んでいた。まあ銀座のど真ん中で、なおかつ一階入り口に面した場所、ならば当然なのだが。仕事が退けてからの夜だったからまだましだった、と言えよう。これがこんな休日の昼間だったら、一体どれだけ待つのやら。

 皿に乗せられてきたモンブランは、ちょん、と決して大きくなくて、これでこの値段かあ? と地方出身の私など、一瞬眉を寄せたものだった。だが、一口食べた時、うっ、と思わず私はうめきそうになった。

 強烈な甘さと、強烈な幸福感が一気に口に広がったのだ。甘さと幸福感を横並びにするのはおかしい、というかもしれない。だけど、その時私が感じたのは確かに幸福感だったのだ。たとえば練乳をスープ・スプーンで一匙だけ口にした時の、あの強烈な甘味と、同時に広がる感覚。それとよく似ていて、いや、それ以上に強烈だった。

 だが練乳は一匙だから幸福なのである。モンブランも同様だ。一口、二口、……紅茶がストレートで良かった、とこれほど思ったことはない。辛いカレーを食べる時の、あの白いラッシーのように、一瞬であの味を消してしまうくらいのものでないと、このモンブランを全部食するのは難しい、と思ったものだった。一緒に来た会社の子が甘いもの好きで本当に助かった、と思った。無論「自分のものは自分で」なのだが、普段「甘味あっさり」ものを好んで食べているひとだったら、さすがにこれはきついだろう、と思った。


「でも菓子ってのはそういうものであるべきだと思うのよ」


 サラダは力説する。


「和菓子って結構そうだと思わない? あれって結構純粋に甘味、よね」

「でも色々種類はあるよ」


 ハコザキ君も彼女の熱意にあてられたのか、会話に加わってくる。


「ううん、確かに種類はあるけれどさあ、和菓子って基本的に砂糖の甘味一つで勝負するって思わない?」

「砂糖の甘味一つ?」

「だって色や形は違っても、だいたい材料は豆じゃない。そりゃあういろうだのすあまだの団子だの、そういうのはあるけとさあ、練りきりとか」

「ああ」


 私もハコザキ君もうなづく。コーヒーショップでする話題だろうか、と思いつつ、ついつい引き込まれていた。


「味がほとんど一緒だから、外見にこだわったんだと思うのよ。春には春の形、秋には秋の形」

「くわしいね、君」


 ミルクをたっぷり入れたリーフティをすすりながら、ハコザキ君は目を丸くする。でかい目だなあ。


「ううん別にこんなの、くわしいうちには入らないよ。でも好きだったら、結構いろいろ、覚えるものじゃない?」

「好きなら」


 彼は少し首をかしげた。


「そうか、好きなら、か」


 そして目を伏せる。あ、まつげ、長い。


「そうだよな、好きだったら、いろいろ覚えてしまうものだよな。あ、美咲ちゃん、俺、オーダー追加していい? サーモンとクリームチーズのサンド」

「いいけど?」


 彼はありがと、と言ってにっこりと笑った。

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