第13話 得体の知れない化け物

 さてそれからしばらく、何があったのか私は知らない。

 私にばれたところで、あの兄貴がどうこうするとは思えない。

 まあハコザキ君は多少動揺したとは思うが、……兄貴と付き合ってるくらいだ。感化はされているだろう。

 気が付くと、兄貴の回りの人間は、兄貴のペースに流されているのだ。良くも悪くも。

 近くに居ながら流されなかったのは、私くらいではないか、と自負してしまうくらいだ。

 うちの親にしたところで、逆の意味で彼には振り回されていた訳だ。

 ああいう人間には始めからある程度距離を置いた方がいい、ということを、どうして気づけないのかな、と思ったりもしたのだが、彼等は自分と血がつながっている以上、自分の理解できない人間ではないだろう、と思っていたのだろう。

 いや、思いたかったに違いない。

 無論全く理解できない訳ではないだろう。いくら何だって、人間だ。野生の動物ではない。

 ただ、それ以上ではないのだ。

 いくら血がつながっていたところで、結局は他人だ。それを割り切らないと、やっていけない人間というのは確かに居るのだ。家族だからこそ、特にそうなのだ。



 私が彼に関して、それを割り切ったのは、もう結構小さい頃だったような気がする。兄貴が中学かそこらの頃だ。

 その頃から彼はあまり学校には行かない奴だった。私はその反対で、皆勤賞ものの優等生という奴をやっていたので、彼の行動には首を傾げると同時に、どうしてそんなことができるのか不思議だった。

 私にとって、学校とは「行くもの」であって、それ以外の何ものでもなかった。

 大人が仕事に行くのが義務であるように、子供は学校に行くのが義務だ、と信じていた。

 いや、信じているとかそういう意識も無かったかもしれない。学校というところが自分にとって面白いとか面白くない、とかいうのは関係なく、「行くもの」だ、と考えていた。仕事だったのだ。

 なのに兄貴は、と言えば、何故か私が学校に行く時にまだ寝床に居ることもあったし、帰ってもまだ居ることもあった。

 かと言って、今で言うひきこもりや登校拒否生徒、という訳でもなければ、ぐれている訳でもなかった。

 さすがに当時の私は苛立った。彼が中三の時には、私ももう小学校六年だったので、ある程度以上の頭は回るようになっていた。小生意気な口もきけた訳だ。

 だから彼に聞いてみた。いや、詰問した、と言ってもいい。


 何で兄貴、学校に行かないのよ!?


 すると彼は答えた。


 じゃあ何でお前学校に行くの?


 そう問い返されるとは思っていなかった。


 俺はそれがよく判らないのよ。


 彼は真面目な顔でそう言った。


 確かに俺を行かせるのは親の義務だけどさ、俺が行くのは義務じゃあないんだぜ。


 屁理屈だ、と言ってしまえばそれで終わりだ。


 だから親父やお袋が俺に行け行けって言うのは正しいよな。それがあのひと達の義務なんだから。だけどお前が言うのは俺は良く判らないぜ。お前学校別に好きでも何でもないだろ? 何でそれでも行く訳? 友達が多い訳でも会いたい訳でもないだろ。


 ……こういう所が嫌なのだ。何でそういうことは判ってしまうのか。

 それでも私もそれで引き下がるのは非常に嫌だったから。


 だったら兄貴はここで何やってるのよ?


 すると彼はこう答えた。


 俺は俺を押さえてるんだよ。


 意味が判らなかった。


 俺の中には、何か得体の知れない化け物の様なものがあってさ。それを何とかしないことには、ああいう俺の理解しにくい俺を理解しにくい場所には出て行けないんだよ。


 意味が判らない、と私は言った。

 判らないでいいよ、と兄貴は言った。奇妙に優しい声で、言った。

 思えば、そのあたりで、彼はその「化け物」を何とかする方法が、音楽にある、と掴み掛けていたのかもしれない。

 彼がギターを手にしたのが正確にいつなのか、なんてのは私も知らない。

 彼は学校に行かないだけであって、家の外にはよくふらふら出ていた。

 何処に行っていたのかは知らない。後で聞くと、隣町の楽器屋とか、音楽好きの先輩のところとか、言われてみれば、という場所だったりするのだが、当時の私にそんなこと判る訳もない。

 そして無論「化け物」がどういう意味なのかも、判らなかったのだ。

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