第6話 声はごまかしが聞かない
「ハコザキ君の彼女、ってどういうひと?」
食器洗いが一段落したらしく、彼女は水道を止めた。
「どういうひとって」
「んー。ミサキさんから見てどういうひとかなあ、って」
「や、あたしも大して会ったことがある訳ではないけど」
それに。
正直、その二人が本当にちゃんと続いているのか、―――私には断言ができない。
と言うよりも。
「うん、可愛いひとだよ」
「へえ」
「ハコザキ君自体が、そんなに背が高い方じゃないけどさ、少しそれより小さいくらいだから、可愛らしいカップルだなあ、って思ったことがあるけど」
「確かに小柄と言えば小柄だよね。でも声とか大きかったよね」
「まーね。兄貴の奴は声にはうるさいから」
違う。
「声には?」
「そ。奴はねー、ろくでなしだけど、音楽だけには厳しいから」
そう言いながら、違う、と私は自分につぶやいた。
声だけじゃないのだ。
サラダを連れていったライヴの日、私は兄貴に少しばかりの用事があったので、終演後、会いに行った。
彼には私が寄って行くということは言っていなかった。ハコザキ君のために、私のクローゼットからブラウスを貸していたので、それを引き取りに行ったのである。
ハコザキ君の彼女の「のより」さんは、彼より小柄なので、ブラウスのサイズは合わない。
私は学生時代ずっと運動系の部活をやっていたので、筋肉と肩幅が発達している。女物のブラウスとは言え、男の彼が着ることができるサイズとなっていたのだ。
貸すのは構わなかったけれど、ちゃんとクリーニングして返してくれるのかまで保証はない。だったら自分で引き取って洗濯した方がいい。
廊下で楽器ケースを運んでいた、ドラムスのオズさんに出会って、兄貴の居場所を訊ねたら、まだ着替え中だ、と控え室を指さした。じゃあちょうどいい、と私は控え室に向かった。
ノックをしようとしたら、扉の隙間から薄暗い廊下に光が洩れていた。着替えするのに不用心だよなあ、と思いながら、そっと私は中をのぞき込んだ。
そして数回、瞬きをした。
私のブラウスを着た誰かが、兄貴に抱きしめられていた。
それがどういう意味なのか、すぐには理解できなかった。
抱きしめられているだけではない。ギターを弾く長い指が、そのブラウスの襟元から胸に入り込んでいる。悪趣味な長い金髪が、むき出しになった誰かの、汗ばんだ首筋に張り付いている。
その首筋が、動く。顔がこちらを向く。
約二分、私は硬直していた。私のブラウスを着ているのが誰なのか、その時ようやく思い出したのだ。ちょっと待て。
代々のヴォーカルが、兄貴と付き合いがあったことは、私も知っていた。それはよくあることだ、と思っていた。ただ、それまでの代々のヴォーカルは女であることが多かったのだ。それもどれも何処かよく似た声の。
そう言えば、不思議なことに、兄貴には外見の好みというのが存在していなかった。代々のヴォーカルの女達も、何処に共通点があるんだ、というくらい、顔もスタイルも違っていた。
「
なのに皆、声だけは何処か似ていて、そして兄貴と付き合っていた。
男がヴォーカルになった時もあったのだが、私はその時代はよく知らなかった。
ハコザキ君が、私の知るRINGERの最初の男性ヴォーカルだったのだ。
―――男性、だよね。
その時私はその事実を思い出すのに時間がかかった。事実と認めた後が大変だった。扉をそっと閉じて、その事実の意味を何度も何度も頭の中で繰り返した。
私のブラウスを着ている誰かと兄貴はまたそういう関係にある
+私のブラウスを着ているのはハコザキ君である
=ハコザキ君は兄貴とそういう関係にある
つまりはそういうことで。
ということは、兄貴は相手の性別を気にしない人だったということで。
―――さすがに私もそれをきちんと把握した時、驚いた。驚いた、というより混乱した。何で、と思った。私のそれまでの世界に、「そういうこと」は存在しなかった。
いや、中学高校短大時代、何処かにあったことはあったのかもしれない。
ただ私の視界には入って来なかったのだ。無関係の世界だった。意識すらしなかった。
芸能関係でそういう話を聞いても、何処か風変わりなクラスメートがそういう内容のコミックを読んでいたとしても、それはあくまで自分とは関係無い、何処かの世界の出来事だ、と感じていた。
なのに。よりによって、兄貴が。
そしてその一方で、あいつならそれもありだな、という自分が居ることにびっくりしていた。
外見を気にしない兄貴のことだから、性別も関係ないのかもしれない。
兄貴は結構な近眼で、小さな頃からそれを平気で通してきた。彼の視界はいつも不鮮明なのだ。見たいと思うもののためにしか、眼鏡を掛けようとはしない。傲慢な奴だ。
だから音や声の方に敏感になったのだ、と本人から聞いたことがある。
顔や姿は化粧や服でごまかせるけど、声はごまかしが聞かない、とも聞いたことがある。
実際、そうでなければ、「とおこさん」と「藤江さん」をどちらも同じくらいに好きになれる彼の感覚というのは理解できない。「とおこさん」は付けている化粧品のにおいが半径五メートル以内に入ると判るような人だったし、「藤江さん」は普段でもシャンプーリンスは嫌いでせっけん一つで全てを洗ってしまうような人だ、と聞いたことがある。
だから何だろう。
彼にとっては、胸のあるなしも、下のあるなしも、大した問題ではないのかもしれない。かなり呆れたが、一晩寝て起きたら、それもありだよな、と考える自分が居た。
ブラウスはまだ返ってきていない。
だけどそのことを、ハコザキ君の彼女ののよりさんは知っているのだろうか。私の疑問と懸念はそちらへと既に移っていた。
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