第4話 「何とかまだ生きてるじゃない」
昨日ではなく、その前の土曜日、ライヴハウスに彼女を連れて行った。
私は滅多に行かないのだが、兄貴からチケットを押しつけられていたのだから仕方がない。
兄貴は
いや、自分がギターを弾くためのバンドを彼は作った、という方が正しいかもしれない。
中学高校と音楽にはまってはいたが、ここまで行くとはさすがに私は思っていなかった。何せ高校卒業と同時に、家を飛び出したのだ。
それから約四年、行方が知れなかった。
当初は怒って焦った両親も、私が短大を卒業したあたりには、既に何も言わなくなっていた。
仕方ない、と思ったのかもしれない。
しかし私には仕方なくなんてなかった。だから東京に出たらすぐに彼を捜した。
音楽を、バンドをするために家を飛び出した訳だから、探す方向は限られてくる。
彼が聞いていた音楽から、方向性は何となく判っていた。そこからだんだんと捜索の輪を縮めていったのだ。伊達に高校時代、学年で毎度ベスト5の成績を取っていた訳ではない。短大に行くと言ったら担任は嘆いたものだ。
そしてある春の日、ライヴハウスで突き止めた彼の部屋を訪ねた。
驚いたことに、私の今のこの部屋とそう遠くなかった。
私がこの部屋を選んだのは、駅からそう遠くない距離と、家賃と広さの関係、それに日当たりだった。
彼の部屋は、私より、サラダの部屋より小さい。
1Kは1Kなのだが、マンションではなく、アパートの1Kなのだ。鉄筋ではなく鉄骨なのだ。
隣の部屋の音が露骨に響いてくるような、気を付けないと、扉の木の端で棘をさしてしまうとか、開けたら部屋が丸見え、とか、六畳にそのままキッチンがくっついているような、そんな部屋だった。
さすがに彼は驚いた。もっとも私も驚いた。
私の記憶の中の彼も髪は長かったが、少なくとも腰まであるような男ではなかったはずだ。しかも金髪だ。悪趣味だ。
もう少し何とかしようがないのか、と思ったが、子供の頃から彼が私のいうことに本当の意味で耳を貸したことなんて無いので、言わなかった。代わりに言ったのは、こんな言葉だった。
「何とかまだ生きてるじゃない」
私の本音だった。
死んでいて欲しい、と思ったことがある訳ではないが、ロクでもない生活をしているだろう、とは思っていた。
たぶんそうしていて欲しい、と思っていた。
*
「今のヴォーカルは確か、ハコザキ君って言ったかな」
「ハコダテ君?」
「ハコザキ君。どういう耳をしてるんだあんた」
「彼女居るのかなあ?」
「何よそれ」
その時ようやく彼女はくるりとこちらを向いた。皿とふきんがそれぞれ手にある。その皿とふきんを胸の前で抱えて、目線は天井を向く。
「だって結構恰好よかったしー。声いい男って、あたし好きだよ」
「残念でした。ハコザキ君には彼女が居ます」
私はへへへ、と笑って彼女に答える。
本当に残念でした。この女は惚れっぽい。そしてそのたびにちゃんとアタックして、―――勝率は30パーセントだという。
ちなみに私は、と言えば。勝率は50パーセントだ。―――過去に二人好きになって、一人と付き合ったことがあるのを言うのなら。
ただし今は誰も居ない。故郷を出てくる時に、ケンカ別れして、それっきりだ。忙しい日々の中、思い出すこともなかったのだから、本当に好きだったのかも疑わしい。
正直、何をもって「付き合う」というのか、私にはよく判らないところがある。
短大の時のクラスメートの中には、その定義を「時間とSEXを共有する」とした子も居たが(もっともその子はそんな言葉で表現はしなかったが)、私は首をひねった。何故首をひねったのかは未だに判らない。
ただこれだけは言える。
恋愛は苦手だ。
クラスメートがよく口にする、別れたのくっついたの、浮気したのコンパで見つけようだの、はっきり言って、面倒くさい。
けど口にしたことはない。
そう言ってしまえば、それこそクラスメートの間では、自転車にわざわざ乗ってきた子同様、同情と優越感と、そして一抹の不安を感じさせる視線で見られる。そんなことを私はつい読んでしまうからだ。
そう、優越感というのは確実にある。
自転車の子に対しても、だいたい皆まずこう言うのだ、雨風の日には。
「こんな日には大変よね」
すると自転車の子は首を傾げた。
何故そう言われているのか判らないのだ。すると問う方も期待はずれで困った顔をする。問いかけた方は、心配を全くしていない訳ではないだろうが、そうだね大変だよ、という答えを期待しているのだ。
そう言われて安心するのだ。自分達の行動は正しいんだ、と。だが、彼女達の期待通りの答えはまず返って来ない。
自転車に乗って来る子にとって、雨も風も、下手すると台風も雪も、それは予想されていることだし、そんなこと承知で走っているのだ。
確かに大変かもしれないが、言われる程のことではないのだ。
本人に聞いたのだから間違いない。彼女はその時にはその時仕様の恰好と時間を用意していたし、台風になど巡り会った日には、追い風で馬鹿みたいに進む、とはしゃいでいたものだ。
ただ私は彼女と違って、そんな視線の意味をつい読んでしまうので、自分がその立場になることはできない。だから一応口は合わせてきた。
それでも一応「付き合って」きた男は居たのだから。その誰かの定義の様に。
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