青い太陽

四流色夜空

第1話

1.


 どこにも出口がない、と思った。


 私は高校に行くためのバスに乗り、大きな湖に風が通って細かに揺れる水面のさざなみがなぞられていくのを見やりながら、朝食抜きに慣れきった胃の辺りに溜まる憂鬱が喉元までせり上がっているのを感じて目を瞑ると、車体の揺れと独特のシートの臭いが吐き気を増して、それにじっと耐えるからだはいつの間にか魂を手放していて、一時間で着くはずなのに二時間経って目を覚ましたときには、循環式のバスが駅を通って一周するのを完遂しそうで、既に家が近づいてきており、なんとなくやるせなくなってその日の始まりに乗り込んだバス停で下車し、相変わらず嗤う太陽の攻撃を全身に受けながら、眩しいことに舌打ちし、ふと俯いてアスファルトのぎざぎざを醜いと思ったところで今日が祝日であることを思い出した。


 玄関を開け、二階の自室に辿り着くと、ベッドに制服を脱ぎ捨てて、コカコーラを飲んで机に突っ伏した。自分の腕の上に顔を載せると、骨を取り囲む薄い被膜が柔く当たって、自分のものではないような気がした。それは解けない知恵の輪に自分を投げ込むことだ。一度そう思ってしまうと、すべてが裏返ってしまうのだった。何年も使っている自分の部屋も自分の机も自分の肌も自分の顔も、自分の何もかもが自分とは関係のない、冷たく馬鹿馬鹿しいものに見えてきてしまう。何かを誤魔化すように、コカコーラをゴクゴクと胃に流し込んでいると、ほとんど飲み干すといったところで気持ち悪くなって、印象の変わらない部屋を焦点の定まらない視線がさまよった挙げ句、口の中に変な酸っぱさが流れ込んできて、トイレに駆け込んで吐いた。どこにも居場所がない、どこにも私がいない、どこにも出口がない、と思った。




 私の部屋に陽は射し込まない。カーテンの裾から漏れる微かな光が、私に時間を教えてくれるのだった。五月の日中の強い陽射しは蛍光灯を必要としなかったので、部屋は仄暗く世界の遠さに染まっていた。そんなときに寝転がって時間を弄んでいると、まるで自分が空になった水槽の中にいるみたいだった。天気は私の触れられないところで晴れたり曇ったりした。ひとりになった家で、私は気まぐれに母の好きだったオムライスをつくり、ひとりで食べた。このところそんなことをしていれば、一日はたちまちに氷のように溶けて消えた。


「あんたは健康に気をつけるんだよ」


 街中の病院の一室で意識不明に落ち込む前に聞いた、最後の母親の言葉がそれだった。横顔の染みは年月に折り目をつけられて、そこから悲惨さが溢れだしている。


 私は街が嫌いだった。

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