第25話 帰れなかった場所
「はい……? 母さんって……突然何言ってるんですかあなたは……」
僕がつぶやき、再び数秒お互いが沈黙。そして母さんは何だこの人は……といった感じに振り返りながらそう言った。
当然の反応だ、予想していた反応とも言えるだろう。しかしこの人は間違いなく僕の母さんだ。
まだ……かすかに感じていた、もしかして人違いなのではないかという不安が、今の言葉で完全に払拭された。
もちろんここで引き下がるわけもない。僕は財布を奪うように取り上げバッグへとしまって立ち去ろうとする母さんの肩を押さえ、道を塞ぐように前に回り込んだ。
「待って母さん!」
「しつこいですよ! 私の息子だったレンは七年前に交通事故で……」
「だから……僕はそのレンだって……」
「いい加減にしてください! もうレンは死んだんです……あなたのような人は知りません!」
「それは……えっと……」
ああ、駄目だ。いくつか考えていたはずの言葉が出てこない。それにもうだいぶ母さんは警戒している。
もうこのまま言葉で説得は難しいかもしれない。魔術で無理やり落ち着いてもらうか? いや流石にいきなりそれはちょっと……
こうなったら……
「っ……!」
「!?…………」
さっきセシルさんに言われたように、母さんに抱きついた。正直、道端でこんなことするなんてやや強引かとも一瞬考えたが、身体が先に動いてしまった。
背中に手を回し、肩の方に顔を寄せる。懐かしいにおいがする……前は僕の方が大きかったのに、今はほんの少しの身長差しかない、思わず感情が高ぶり、手に力がこもる。
そのまま十秒ほど経った……母さんのほうから引き剥がすような様子はない。
それに……何もせずともわかる、母さんが僕に心を許していること、それどころか僕がレンだということを信じ始めてくれていることが。
「もしかして……本当に……レンなの?」
「……そうだって……言ってるじゃん……」
さらに数秒経ち、お互い手を離した僕と母さんは目を合わせて、そう言い合った。僕は自然と出てしまった涙を拭い、会話を続ける。
「でも、よくわかったね、どうして? もしまだ信じられないなら何だって質問してよ」
「そんな……必要ないわよ。だって……あなた昔は何度こうやってきたと思ってるの? 中学、高校に上がってからも何回か泣きついてきて……」
「へえ~」
「あ、ストップストップ。僕もこういう見た目でも、もう一応大人だから……母さんそれ以上は……」
後ろから追いついてきたセシルさんが、僕と母さんの会話をニヤニヤして聞いていた……
むう……まあいいか。
「もうあなたがレンだってことはわかったけど……いろいろどうしたの? それに……すっごく可愛いんだけど」
「ん~とこれは話すと長くなって……」
「ちょっとすいません、私が代わりに話しましょう」
「えっと……あなたは?」
これまでのことをどうやって説明するか迷っていると、セシルさんが話に割り込んできた。
母さんは謎の人物の突然の登場にちょっと緊張しているようだ。フォロー入れてあげないと。
「申し遅れました。私はセシル・ラグレーンといいます。あ、日本語でよろしいですよ」
「はあ……」
「大丈夫、この人は少し怪しい感じかもしれないけど、ちゃんと信用できる人だから」
「私もお母さんにはお会いしたかったです。まあ立ち話もなんですので、どこかに座って……」
「お母さん、お綺麗ですね~若く見えるって言われるでしょ」
「そんなことありませんよ~」
僕たち三人は近場の喫茶店に入り、ゆっくりと話すことにした。
僕がセシルさんと親しげに話していたのもあり、母さんはすっかり打ち解けているようだ。まるで古くからの友人のように話している。
だけど、セシルさんは若く見えるの究極とも言えるのに……この会話はなんかな~
「それよりもたくさん聞きたいことがあるんですけど……」
「わかってますよ、まずは私たちがどこから来たか、それからですかね」
それから三十分ほど、母さんは食い入るようにセシルさんの話を聞いていた。
僕たちが来た世界のこと、少女の身体になってる理由、魔術のこと、その他いろいろ……
それにしてもセシルさんはこういうとき、特に人に何かを信じこませるというのが実に上手い。
いくら僕が自分の子供だとわかってもらった状況だとしても、こんな非現実なことを言われて、全てを信じてもらうのは厳しいだろう。
それに元々母さんは結構用心深い人だ。
だけど母さんは現実として、初対面であるセシルさんを完全に信用して話を聞いている。
その話し方か、声か、雰囲気か、あるいはそれら全てか、とにかく暗示をかけているといった様子はない。
まさに驚異の話術といった感じだ。今思えば僕自身も初対面のとき、魔術だの、魂だのの話をすんなりと信じてしまったことを思い出す。
「……私が話すことは以上ですかね。何かほかに聞きたいことありますか?」
「大丈夫です。わかりました……」
「どう、母さん? わかった……かな?」
「レン……」
「へ……? むぐっ!?」
話が終わり、うつむいていた母さんに声をかけたとき、再び今度は母さんの方から僕を抱き寄せてきた。
思いっきり頭を押さえ抱きしめてくる……ちょっと苦しい……ん?
「ふうっ、苦しいって……母さん?」
「レン……ありがとう……」
腕を放され、顔を上げてみると、母さんは大粒の涙を流していた。
今まで何がどうなっているのかわからなかったが、具体的な説明を聞いて溜まっていたものが溢れてきたのだろう。
………それを見て、声をかけるでもなく僕もしばらくそっとしてあげることにした。
「どうぞ……」
「すいません……」
少しして、絶妙のタイミングでセシルさんが母さんにハンカチを差し出した。受け取った母さんはそれで涙を拭くが……ちょっとカッコよすぎやしない?
「レン……私はずっとあなたがもし生きていたらって考えていた……」
「…………」
「女の子になってたとしても、あなたはあなただよ……また、会えるなんてね……」
「母さん……」
涙ぐんだ声で母さんはそう言った。僕も……一度はここにはこないことを選んだとはいえ、こうしているとまた会えて本当に良かったと心から思う。
「セシルさんもありがとうございます。すごく良くしてくれているみたいで……」
「あっ、はい。こちらこそ」
「レン、あなた二週間はこっちにいるんでしょ。これから家に来る?」
「もちろんだよ」
即答だった。家には元々行くつもりだし、断る理由は無い。
「レンちゃん、今日ぐらい泊まっていけば?」
「そうですね。母さん……いいよね?」
「いいもなにも、あなたの家なんだから。何ならずっと……」
「……ごめん、さっきも言ったけど……僕はこの人といるって」
「そうね……私は何も言わないわ。こうやってまた会えただけでも、嬉しいもの……でも今日はいいでしょ、お願い」
僕は母さんの言葉に何も言わず、笑ってうなずいた。
「ところで父さんは?」
「今でも一緒に暮らしてるよ。でも、あなたが死んでからしばらくは本当に落ち込んでて……」
「そう……なんだ」
僕たちは先ほどの道を歩いている、当然セシルさんも一緒だ。この人がいなければ父さんに説明するのが大変になる
「何年かしてようやく割りきって元気になってきて……今日はたまたま休日出勤だから今は家にいないけど、会ったら絶対喜ぶよ」
「そう……だね。セシルさん、また説明お願いしますよ」
「はいはい、任せて」
三人でそんな会話をしながら道を進み、やがて家に到着した。
「……」
本当に懐かしい光景だ……玄関、物置、車、何一つ変わらない……僕が生まれるとほぼ同時に建てられた思い出の家だ。
自然と会話も止まり、母さんから無言で手渡された鍵を受け取って二人より前に出て早足で歩き出した。そしてきれいに掃除された白いドアの前に行き、鍵を開けてドアノブを強く掴む。
一呼吸置いた後、あの日……帰ることのできなかった玄関をゆっくりと開け、小さく呟いた。
────ただいま、と
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