海容を乞う為の供物

水上雪之丞

第1話

 雲のない午後の晴天から強い日差しが降り注ぎ、夏ミカンと潮の匂いが香る。

 簡単な着替えだけが入った小さなトランクを転がしながら歩く。高校卒業以来の島の空気だ。

「ただいまぁ。帰ってきたで」

 鍵のかかってない引き戸をガラガラと開け、靴を脱ぎながら奥に声をかける。

「ようちゃん。もう帰ってきたんか。電話くれたら港まで迎えに行ったのに」

 前掛けで手をふきふき台所からバタバタとおばちゃんが出迎えてくれた。

「いや、おばちゃんもおじちゃんもお祭り前で忙しいやん。いいよそんなん」

「なにいうとんのよ、水臭いなぁ。なにをそんなん気にしとん」

 自分が使っていた部屋に車輪を拭いたトランクを置く。

 台所に行って冷蔵庫からビン入りのソーダを開ける。

「おじちゃんはどこ行ったん?」

「お祭りの準備のための会合。まぁお酒飲んで帰ってくるだけやけど」

 そうかぁと返す。部屋に戻り、畳の上に横になる。

 懐かしい。畳の匂い、島にいたころのいろいろなことを鮮明に思い出しそうになる。

 瞼がゆっくりと落ちる。


――――


「ようちゃんまぁ別嬪になったなぁ!」

 夜に帰ってきたおじちゃんはその時からもうほんのり顔は桜色だったが帰ってきてからも刺身を肴にビールを飲んでいる。

 おじちゃんとおばちゃんは私が島に帰ってきたからとごちそうを用意してくれている。こんなにいっぱいは食べられないというような量だ。おじちゃんはにこにこして私の肩をバンバン叩きながら、私が帰ってきてくれたことを喜んでいる。

「ようちゃんはちゃんとお祭りの年にちゃんと、このうちに、帰って来てくれるもんなぁ、うんうんうれしいなぁ」

「わたしの帰ってくるところはここやもん、そら帰ってくるよ」

 おじちゃんは一層破顔して

「ほんまにようちゃんはええ子やなぁ。ほかの村の奴らなんて正月にも返ってこん奴らもおるのになぁ。こんなええ子が隆夫から生まれてきたとは思えん。彩香さんの血かなぁ」

 おばちゃんがちょっと、とおじちゃんを肘で軽く小突くがおじちゃんは気に留めない。

「彩香さん亡くなった後、ふさぎこんで酒浸りになってもてなぁ。そら辛いのはわかる。でも自分の子がおるんやから親はしっかりせなあかん。あげくようちゃん残して『妻を見つけた、まだそこにいるんだ』って。そのまま前の祭りの時からどっかいってもうて、何を考えとるんやあいつは」

「あんた! その話帰ってきたようちゃんに今してどないすんの」

 おばちゃんが鋭い声でおじちゃんを見やる。

 おじちゃんはしまったという顔になって下唇をかみしめている。

「いいよ気にしてへんよ。おじちゃんとおばちゃんが私のお父さんとお母さんやもん。おばちゃんもうちの子言うてくれたやんか」

 ほらほらこのお煮つけ美味しいで食べよ食べよ、とおじちゃんを突っつく。

 せやな食べよかと言っておじちゃんに笑顔が戻る。


 この島の祭りは四年に一度行われる。海神に祈りと供物を捧げ豊漁と海運の安全を願うものだ。小学校のころ、島出身の校長先生が島の祭りの歴史を語ってくれた。

島の人々は海に感謝し海と共存して生きていた。あるとき島一番の漁師の男が海への感謝を忘れ、海の幸のすべてを取らんと毎日毎日漁を続けた。魚は徐々に少なくなり海は痩せていった。男がそんな漁を続けて4年になった。あるとき男が漁に出ると海は荒れに荒れ、男は帰らなかった。それからも海は鎮まることなく漁に出れない日が続いた。無理に海に出た島民で帰ってきた者もいない。

 それからさらに4年、村人の夢にその死んだ男が現れた。男曰く、海神の怒りに触れ海を再び豊かにするために海の底で働いていた。4年ごとに海神に供物をささげよ。そうすれば海は島の人々の罪を許そう、と。

 翌日浜にその男の死体が上がった。それから4年に一度海神へ供物をささげる祭りをすることになった。


 祭りを行う浜は普段は立ち入り禁止になっている。

島唯一の神社によって管理されていて、祭りがおこなわれる日とその準備の時以外は神職の者しか入れない。といっても神職の者も海神を祀る祠の様子をたまに見に行く程度のものである。みだりに海神の怒りに触れないように、というのが理由であると言われているが実際のところはこの浜と島の特徴に理由がある。この浜はあるところまで行くと急激に水深が深くなる。さらに離岸流が強く、過去何回か子供の海難事故があったそうだ。

 一度ここから流されると瀬戸内海をぐるりと回る海流に乗り、戻ってくるのはおよそ4年後になるらしい。昔話で流された男が再び流れ着いたとされるのも4年後であった。昔の猟師は体感的に潮の流れをよく知っていたのだろう。そのためこの浜は海水浴などに使われないように閉鎖され、子供たちに言い含めるために島の昔話と結びつけられたたというのが本当のところらしい。

 私は祭り前の浜の清掃に出る。おばちゃんには女の子なんやからいっしょに炊き出しの方を手伝ってくれたらええのに、といわれたが私は海をきれいにしたいからと言ってこっちの手伝いに出た。4年もほとんど人が入らないのでいろんなものが流れ着いている。流木やビニールゴミなどを青年というにはもうおじさんの青年会の人たちと拾い集める。落ちているものは一般的な海洋ゴミばかりだ。仮に何かあっても、もう、朽ちている。朽ちているはずだ。


――――


 小学校の校庭で小さな屋台や炊き出しが出ている。グラウンドの投光器に照らされスピーカーからは2世代ほど前の流行歌が流れている。普段は外に出れない時間にどこかそわそわしている子供たち子供たちや町内会から出された酒で上機嫌な大人たちで賑わっている様子が少し離れたところからでも伝わってくる。

 私はそこから離れた浜の方にいる。祠を前に神職や島の村長や青年会の面々の顔が薄暗闇の中で小さな灯に照らされる。波の静かな音の中、神職の祝詞の声が聞こえる。

 私は昔のことを思い出す。母がいなくなってからおかしくなった父のこと、私のことを彩香と呼ぶようになった父、祭事が終わった後の他の誰もいなくなった浜でこの浜で小学生の私に迫った父。それから私は忘れようとした。何もなければ忘れられるはずなんだと言い聞かせながらおびえて生きてきた。毎日浜を覗きに来ては、あがってこないかを見た。おじちゃんやおばちゃん、村の人にばれはしないかと慄いた。1年、2年経ち、大学進学とともにこの島も離れもう大丈夫なんだと言い聞かせた。

 一回り大きなヒトガタを神職が恭しく捧げ持った後に両手で持てるほどの小さな船に乗せる。その船にろうそくを立て海に流す。ろうそくに照らされ海が、砂浜で何かが光る。海の中に消えていく光と一緒に私の心配も、恐れも、罪も、流れていくような気がした。祭事を終え皆が帰路につく中、私はほんの少し気になってさっきの光のところを見やる。小さな金属片のようなものが埋まっている。掃除はちゃんとした気になっていたけど埋まっていたのか。足で金属片を蹴り出す。

 

 ぼろぼろに錆びた腕時計がほんの少しだけ頭を出して砂の中に埋まっていた。

 

 私の腕を抑えつける腕。抵抗する腕を強引に押さえつける際にゴリゴリと頭にこすられていたかった腕時計。

 

 石をたたきつけた時にに頭をかばい、その際砕けた時計盤。時刻はその時のままで止まっている。


 この島の因縁は4年ごしに罪を問いかけてくる。許されるために海に捧げる供物はなんだろうか。私にはもうわかっている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

海容を乞う為の供物 水上雪之丞 @zento

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ