知恵を食う鬼

楸 茉夕

知恵を食う鬼

 高校の敷地内に小さな山がある。ただ小高くなった場所が、生徒や学校関係者からは単「山」と呼ばれていた。

 そこには小さな祠があるが、木々が鬱蒼と生い茂り、一切手入れがなされていない。ゆえに、学校につきものの怪談の舞台になりこそすれ、近付く者はほとんどいない。俺も入るのは初めてだ。

 その祠も、祠というよりは石を適当に積み上げただけの塔に見える。昔は何かが祀ってあったのかもしれないが、今は見る影もない。

 しかし今、その祠の前には何やら謎の祭壇が組まれていた。

「うわぁ、何これ。どこで売ってんの」

「ドンキ」

「嘘だろ凄ぇなドンキ」

 盆の精霊棚のようで、しかし乗せられているのは、山羊のフィギュア、ヤドリギ、拳大ほどの石、何かの蔓が巻き付いた木製の杖、燭台など、脈絡がない。オカルトを少し齧った程度の人間が、イメージだけで祭壇を作ったらこうなるかもしれない。

 その「祭壇」の前には俺を含めて四人が集まっていた。全員ここの高校の制服姿で、手にはスマホ。一人が撮影、他はライトで周囲を照らす。

 夜間は立ち入り禁止で、外部からの侵入者はセキュリティに引っかかってしまうが、校内に隠れていればやり過ごすのは簡単だ。この学校には常駐の警備員はいない。

「てか、随分本気なんだな。もっとこう、遊び的なものかと」

 俺の隣にいる藤倉ふじくらがぼやくと、祭壇の前に立っていた常盤ときわは勢いよく振り返った。

「儀式は遊びじゃねーんだよ!」

「いや、遊びだろ……なんでそんな張り切ってんだよ常盤は」

「遊びじゃねーんだよ! 藤倉はやる気なさすぎ!」

「やる気がないって言うか、やめたい。やめよう」

「なんでだ! 気合入れろ気合!」

 顔色が悪い藤倉は、諦めたように小さく息をついた。つられて俺もため息をつく。常盤は、頭はいいのに、なんでこうなのだろうと思う。東大や京大を目指すような成績上位者というのは、皆どこか突き抜けているのかもしれない。

「藤倉に賛成。俺もやめたい」

 俺の呟きに反応したのは常盤だった。

「駄目だ! これ以上人数減ったら怖いだろ!」

「……常盤が一番ビビってんじゃねえか」

「間違えた! 四人必要なんだ!」

「はいはい」

 ため息をつき、俺は首を傾げる。

「大体、本当なのかよ切り裂きフェムトって。ジャックじゃなくて? しかも四年に一度? オリンピックかよフェムト。数字の単位だろフェムト」

「おま、中山パイセンディスってんのか!?」

「誰だよ中山パイセン」

 俺はもう一度溜息をつく。そもそも、最初から気が進まなかった。

 四年に一度、三月の満月の夜に、山にある祠から切り裂きフェムトを呼び出せるのだと言い出したのは常盤だった。今の口ぶりからして、中山パイセンという人から聞いたのだろう。

 そのときにいたのは今いる四人―――常盤、喜里川きりかわ、藤倉、俺に佐原さはらを加えた五人。だが、佐原はその日は用事があるからと早々に抜けた。意外と乗り気だったのは喜里川で、藤倉は止めたが常盤は聞く耳を持たなかった。俺も遠慮したかったのだが、暇なら付き合え、準備は全部常盤がするからと、引っ張られてしまった。まあ、適当に合わせてりゃすぐ終わるだろう。

 ピピ、と誰かのアラームが鳴る。常盤は謎の蔓が巻き付いた杖を振り上げた。

「時間だ! 始めるぞ!」

 言うなり、常盤は祭壇に向き直って何やら呪文のようなものを唱え始める。日本語のような英語のような、謎の言語だ。

「ジレン、ユースエ、マジョリカ、プロピー、イズー、チンジャオ、ロースー」

「……今チンジャオロースーって言わなかったか?」

「言った。はっきり言った」

 俺と藤倉が囁き合っていると、どうやら呪文は終わったようで、常盤は杖で祭壇を思いきり叩いた。ガンガンと叩きながら声を張り上げる。

「四年に一度のオリンピック! 四年に一度の切り裂きフェムト! いでよ!」

 常盤の声と同時に、祭壇の後ろから強力なフラッシュライトが焚かれた。俺は驚いて顔を庇う。

「うわっ!」

 やがて光が収まり、俺は恐る恐る腕を下げた。まだ目はよく見えないが、何やら白っぽい人影が立っているのはわかる。

「常盤……悪ふざけもいい加減にしろよな。手の込んだ悪戯しやがって」

 俺が恨み言を言うと、喜里川も不満気な声を上げる。

「さすがにやりすぎじゃん? これちゃんと撮れてんのかな。ホワイトアウトしてんじゃ」

 喜里川の声が不自然に途切れた。次いで、どさりと何かが倒れたような音。

「……喜里川?」

 ようやく視力が戻ってきた目が、倒れている喜里川を捉えて、俺は息を飲んだ。

「どうした? おい、喜里川! ……常盤、藤倉! 喜里川が……」

 振り返ると常盤も倒れていて、俺は目を見開く。藤倉の姿はどこにもない。恐怖が思い出したように足者からせりあがってくる。一気に鳥肌が立った。

「嘘だろ? なあ……起きろよ! ふざけんなよ、いい加減にしろ! 常盤! 喜里川! 藤倉は!? どこいったんだ藤倉!」

 半狂乱になって喚き散らしていると、がさがさと茂みが揺れた。咄嗟にそちらへ明かりを向ければ、帰ったはずの佐原が何やらプラカードを持って立っている。

「テッテレー!」

「……は?」

 状況を飲み込めず、俺は目を瞬いた。佐原はプラカードを掲げて嬉しそうに近付いてくる。

「ドッキリ大成功~! いやー、たちばなの顔ってば。人って本当にビビるとあんなふうになるのな」

 ぽかんと佐原を見て、徐々に自分が騙されたのだと理解し、恐怖が怒りにすり替わる。あまりのことに言葉が出てこない。

「ふざけっ……おまえら……」

「常盤、喜里川、もういいぞ。藤倉はどこいった?」

 佐原は俺を無視して周囲を見回す。

「もういいってば。迫真の演技だな。地面に寝てると風邪ひくぞ」

「駄目だ、佐原!」

 藤倉の声が飛び、その瞬間、俺と佐原の間を突風が吹き抜けた。一泊置いて、佐原の上体がぐらりと揺れる。彼はそのまま崩れ落ちた。まだ続ける気かと、俺は倒れこんだ佐原を腹立ちまぎれに蹴飛ばす。

「もう騙されねえぞ。ふざけんな、起きろ」

「橘!」

「え? うわ!」

 襟首を掴まれて強く引かれ、俺はたまらず仰け反った。眼前を何かが猛スピードで過ぎゆく。一瞬光を反射して、風だと思ったものは鋭い刃物だったらしい。

「な……」

「おや。避けられた」

 聞き覚えのない声がして、姿勢を戻した橘は眉を顰めた。いつの間にか隣に藤倉が立っていて、彼が襟首を引っ張ってくれたらしい。

 祭壇の脇には、二十代半ばくらいに見える青年が立っている。

「今年は豊作だと思ったら、邪魔がいたか。君は見逃してあげるから、そっちの少年はくれない?」

 藤倉はかぶりを振る。

「駄目です。お帰りください」

「四年に一回なのに。最近はこれくらいしか楽しみがないのに」

「三人分も食べれば十分でしょう。お帰りください」

「ちょっとだけ」

「駄目です。これ以上すると払われますよ。それはあなたも本意ではないでしょう」

 青年はやれやれとでも言いたげに首を左右に振った。

「まあね。仕方ないな、じゃあまた四年後にね」

 片手をひらひらと振って、青年は消えた。それは比喩ではなく文字通りの意味で、俺は自分の目を疑う。

「え? は? 何? 消えた……?」

 半ば呆然としていると、藤倉が口を開く。

「ごめん、橘しか守れなかった。フラッシュ焚かれると思わなくて」

 俺は思わず藤倉を凝視する。こいつは何を言っているんだと、素で思った。

「なんだそれ、どういうことだ? 今の変なのと知り合いなのか?」

「知り合いなんかじゃない。常盤たちを起こして帰ろう。早く離れた方がいい」

「どういうことだよ、説明しろよ! これもドッキリか? 藤倉もあの変な男も仕掛け人なのか?」

「そうだよ」

 あっさりと肯定され、嘘だ、と直感的に思った。俺は苛立ちを声に代えて吐き出す。

「藤倉! 説明しないと言いふらすぞ、おまえが化け物と喋ってたって!」

 あまり考えずに口から出た言葉だが、化け物という響きは何故だかあの青年に馴染む気がした。

 しかし、藤倉は毛ほども動じない。

「いいよ、別に誰も信じないと思うから。せいぜい俺の頭がおかしくなったと思われるだけだ。中二病か、受験ノイローゼかってね」

 容易に想像できて言葉に詰まる俺に、藤倉は困ったような笑みを向けた。

「みんなを起こして帰ろう。本当に風邪ひいちゃうよ」

「……わかったよ」

 反論できず、取り敢えず俺は従うことにした。ここから一刻も早く離れたかったというのもある。藤倉には後で問い質そうと思った。




 後日。

 常盤も喜里川も佐原も、満月の晩のことを一切覚えていなかった。そして、次の学力テストで三人とも軒並み成績を落とした。常に学年三位以内に入っていた常盤などは、順位を一〇〇も落とし、ちょっとした騒ぎになった。

 本人たちに聞いても首を捻るばかりで、理由は思い当たらないらしい。これまで覚えたはずの定理や公式が、突然出てこなくてなったのだという。三人が、忘れたものはまた覚え直せばいいと前向きなのが救いだが、俺にはあの夜のことと無関係だとは思えない。

 藤倉は相変わらず口を閉ざしている。あの後、何を聞いてもはぐらかすばかりで一切答えなかった。質問を繰り返す俺が鬱陶しいのか、さりげなく避けられるようになり、藤倉とはなんとなくギクシャクしている。

 俺は、藤倉が教えてくれないならと、一人で祠にやってきた。今度は夜ではなく、放課後だが明るいうちだ。妙なことは起こらないだろう。

 常盤が用意した謎の祭壇は片付けられ、祠は前に見た時と変わらずそこにあった。やはり、なんの変哲もないただの石を無造作に積み上げただけのものだ。

「君も懲りないね」

 帰ろうと踵を返した瞬間、背後から声が聞こえて、俺はぎくりと固まった。

「せっかく守って貰ったのに」

「……っ!」

 俺は、固まってしまった足を引き剥がすように無理矢理振り返りる。同時に耳元で風を切る音がして、




 了

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知恵を食う鬼 楸 茉夕 @nell_nell

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