狐弥町のお祭り

坂口航

閏年のお祭り

狐弥町きつねみちょうは元々、狐弥村という小さな村から出来た町である。その街ではこんなお祭りが存在している。

それは閏年、二月二十九日の日にだけ、山頂にある狐弥神社のご神体であるお稲荷様が山を降りて近くの村々を人間に化けて巡るというのだ。そんなお稲荷様をもてなす為と、少しでも本来の姿で楽しめるようにと、村の人たちは狐のお面を付けて村の真ん中で宴会を開くというのだ。

このお祭りは今でも形を変えながら続けられている。神社のある山の麓では屋台が並び、そこを大勢の人が出歩いている。

その屋台一つ一つから子どもの無邪気な声や、店主の大きな客引きの明るい声が響き賑わっている。冬であるのにここら一体は気持ちの良い温かさに満ち溢れているのだ。


しかし一つ重要なあることが大きく変わってしまったのである。それは狐の面を被る人ほとんどがいなくなってしまったことだった……。




「あの、ですからこの格好はせっかくのお祭りだからしている訳でして。別に露出狂だとかそんなのじゃないのですよ!」

「はいはい分かったから。取り敢えず身分証明書出して」


少し祭りの会場から離れた場所で一人の女性が警察に呼び止められていた。

その女性は狐の耳を生やし、フサフサの黄色い尻尾を身に付けていた。

そして格好は巫女服に似ていたのだが、それは本来の神聖さはなく、肌が見え、胸もうっかり見えてしまいそうだった。

そんな彼女は必死な顔をして、目の前に立つ冷ややかな目をした警察官に訴えかけていた。


「ですから今は持ってないのですよ。でも安心して下さい、決して私は怪しい人じゃないですから!?」

「うん身分証ないなら署に来てもらってもいい?」

「ですから待って!」


警察官の彼は、慌てふためく度に揺れる胸などには一切の興味を示さずに氷河のように凍てついた視線を彼女に注いでいる。その威圧感は魔王や悪魔かと思うほどに凄まじかった。

だがそれでも彼女は怯むことなく自分の正当性を伝えようともがいていた。だが何度も繰り返されるのは同じ質問と同じ回答だけだった。

このままではマズイと思った彼女は、なんとかこの場を切り抜ける為の妙案を思い付く。少し危険かも知れないが、この状況を他の人に見られるよりはマシだと決心し動き出す。


「お巡りさん。このお祭りの伝説は知っていますか?」

「今度は何ですか。もしかして自分はお稲荷様だなんて言わないで下さいよ」


いきなり何を言い出すのかと呆れた溜め息を吐きながら、さらに視線を冷たくして彼女をめんどくさそうに見つめていた。


「いや例えそうだとしても本人は自分がそうだとは言えないのです。騒ぎなりますからね。でも不思議だと思いませんか? こんなリアルな耳に尻尾が生えている人間が他にいるでしょうか」


自信満々に自分の尻尾と耳を撫でながらチラチラと警察官の方に目配せをする。

とにかく必死だった。例えどんな事を言われたとしても、この警察官にだけは信用させてやると心に決めていたのだ。どんな返答でもかかってこいと、強い意思を持っていた。


「じゃっ、今から三つ問題を出すので答えて下さい」

「えっ問題? あっ、いやどうぞ。何なりとして下さいな」


どんな罵詈雑言が飛んでくるかと思ったがまさかの問題かと彼女は驚いた。しかし同時にチャンスだとも思った。

もしこれで全て答えれれば、見逃してくれる可能性は大いに出てきた。相手はどうも堅物そうだが、流石にめんどくさいと思い初めているから間違いない。

ここが正念場だ、頑張れ私と己を鼓舞した。


「じゃあ一問目。あの神社が建造されたのは何時代だ」


その出された質問に彼女は堂々と腰に手を当てながら答える。

 

「知ってますよ。室町時代の1442年。その年に流行った疫病から守る為に建てられたのですよ」


その答えに彼は驚いた。まさか時代だけではなくその年と建てられた理由まで答えてきたのだから。

その驚く顔を見て彼女はどや顔を見せ、鼻息を強く吹いた。これならイケルとの希望が少しづつ見えてきたからだ。


「じゃあ二問。あの神社では何のご利益があるとされる」

「それはさっきも言ったように健康に特化していますよ。稲荷と言ったら商売繁盛だと思われがちですが、ここはとにかく健康、それと美貌にも効くのです」


その答えに彼は何も言わない。そして彼女は思った、これで何とかこの場を切り抜ける事が出来ると。

あと一問だがここまでの二つはかなり簡単だった。なら最後も間違いなく答える事ができると!


「じゃあ最後、ここのお稲荷様はオスかメスどっち」


…………………………、しばらくの静寂が辺りを包んだ。

それは彼女が答えを知らないからではない。むしろ知っているからこそ答える事が出来ないのだ。まさか性別を聞いてくる何て予想知っていなかったのだ。


「…………オスです」

「じゃ、署までご同行お願いします」


彼女は警察官の足に迅速にすがり付いた。


「待って下さい! それはあくまでも伝承なだけで、ほら私もしかしたら男の娘かも知れませんよ!」

「どんな神だそれは。それより早く署まで来い、さっさと両親か誰かにでも迎いに来てもらえ」


両親にでも、その言葉を聞いて彼女の全身からビッシリと冷や汗が漏れだしてきた。

そして彼の足を離して飛び上がると、空中で土下座の形になりながら地面へと着地したのであった。


「それだけは勘弁して下さい! 親にだけは知られたくないのです!」

「じゃあ名前言って」

「塚本夏実、十八歳。この町の文化を研究する為に来たしがない大学生です! コスプレに興味があったのですが中々できず、思い切って祭りに乗じて狐巫女の格好をしてやろうと思った痛い女です!」 


今まで頑なに言わなかった本名を早口言葉かと思うほど早くツラツラと喋った。

どうやら彼女は自分がコスプレをしている事を知られたくなく、名前を言ったら大学と親にこの痴情を伝えられのが怖くて言い出せなかっただけだった。 


「ならなぜ早く身分証を出さなかった。さっさと出してくれれば質問などせずに済んだのに」

「実はその、持っていたはずの学生証を落としたらしくて。どこで落としたかも分からないのです」


先ほどまでとはうって代わり、今にも消えそうな細い声で彼女はポツリポツリと言葉を繋げていく。

警察官は一際大きな溜め息を吐いて頭を強く掻いたのであった。


「それじゃあ紛失届を書きに交番に行くか。全くいくら祭りとは言え羽目を外し過ぎだ。もう少し自重しろ」

「はい仰る通りです。もう恥ずかしくて申し訳ない気持ちで一杯です。保身の為に神様名乗ろうとしたのも凄く申し訳なく思っています」


彼女は未だに正座のまま地面を見つめている。アスファルトが食い込んで痛いはずだがそれが分からないほどに、顔を真っ赤にして後悔しているのであった。


「全く。今まで狐の格好をしてきた人間は居たがこんなのはお前が初めてだ。だが皆が忘れている事も学んでくれてるのは感謝する。おちょくり甲斐もあったしな」

「ホントにすいません……ってえ?」


彼女は何を言い出したのか理解できずに、俯いた顔をあげて警察官の方を向いたのだった。


――そこには誰もいなかった。そして失くしていたとばかりに思っていた学生証が雑に置いてあったのだ。

誰もいない、最初からここには彼女しかいなかったかのように静かな音が辺りに漂うだけであった。


「これは………………、どういこと?」


あまりに理解し難いこの状況に、彼女は狐につままれたかのように茫然と立ち尽くしたのであった。

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