貴女に呪いを残して

あぷちろ

深夜

 今年もまた、言えなかった。

 特に禁則でも法度でもない、一つの言葉を伝えるだけ。それなのにいざ、その言葉を紡ごうとすると途端に胸が締め付けられ、喉が詰まるのだ。

 その事をあなたに云うと、あなたは決まって曖昧な笑みで誤魔化す。揃いの外套で想いの熱を綴じこめて私たちは二人、歩く。

 

 白い吐息が漏れる。市中雪白の地上をしとり、しとりと四足の足跡がキセキを残す。隣を沿うて歩くあなたは変わらぬ愛しいかんばせで憂いありげに瞳を伏せる。四年前と変わらぬ長睫毛、ざんばらに切り揃えられた前髪に自然と指先が伸びる。

 早春の、四年に一度のこの日にしかあなたに逢えないのに、隣を歩む私は皺の増えた掌であなたの手の甲をなぞる。あなたのなか、から熱がこぼれる。

 ――――。

 嗚呼、透き通る硝子のような柔らかな声で私の名を呼ばないでください。

 嗚〃、私はあなたに想いの一つも云うこともできない憐れな女なのです。

 夕と夜の合間から逃げ出した月光が人ひとりもいないみちを静かに照らしていた。閑散としている市の痕、幼子たちの声が染みついた公園を何も語らぬまま通りすぎ、幾度しか通う事のできない細道を行く。

 暗く温かいトンネルを抜け、鈴鳴りする林間を潜る。温度の変化に私は外套の襟をたてて、傍の貴人の手を抱く。

 雪のように淡く冷えたあなたの手を私のねつ《想い》で暖める。

 偃月が照らす宙を見上げる。雲一つとないそらの中では月に負けぬ輝きの星々が私たちを見詰めている。

 白く、生気のない肌。艶やかで陶磁器よりも冷たい、美しいあなたの貌に見惚れる。遠く聴こえる漣が別れの時が近いことを告げている。

 脚は止まらず、同じ歩調を繰り返している。雪駄の擦れる音が林間を反響する。

 淋しさと恐ろしさと、空虚が訪れ私の手に力が籠る。私の願いが伝わるようにと。

 一言、あなたから慰めの言葉が欲しいのです。それだけで私はあなたを諦められるの。

 けれども、人並みな愚かな言葉などあなたの口からついぞ漏れることはなかった。

 愛の言葉はなく、再会を願うささやき《呪い》が残響する。

 返す言葉を、また、伝えられない。喉に指を入れて手繰り寄せ吐き出したい。それなのに私の唇は震えるだけで何も云わないのだ。


 藍色の海のうえを白波が湧き出ては消えていく。海と宙の狭間で私とあなたの二人きり。この瞬間だけは、他の誰にも邪魔はさせない。


 曖昧に微笑んだまま、あなたは私の唇に指を這わす。あなたの呪いが心に滲み、肩を震わす。

 寒風が一陣、吹き抜ける。残るのはあなたの纏う山茶花の香りだけ。

 白む藤色の空に涙を流し、四年後に恋願う。

 ああ、アア、私はまだ生きなければならないの。

 膝から頽れ、やっと確と動くようになった胸の奥から呪い《愛》の言葉を吐き続ける。

 外套から沁みだした雪解けた水が私の身体から熱を奪い去る。宙には一等星が煌々と輝いている。私を見おろして愛しむ光が。

 後悔、悔恨。私は願う。今度こそは私の熱も連れ去ってくれと。

 また、四年後。私はこの地に立つだろう。まだこの身に残るねつが途切れるまで。







 了

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