ちらすばかりの置土産
土曜日の遊園地は人の波がすごい。
カップルで来てる人、友人グループ、親子連れ、ぼっち入園の強者だってわりとたくさんいる。
彼もあたしも絶叫系のマシンは大好きだから、園内にインしてすぐに今話題のニューアトラクションの待機列に並んだのだけど、それはうねうねと蛇みたいに長く、曲がりくねりながらどこまでも続いている。
あたしたちは列を指示通りに順々に進みながら、スマホで動画を見たりアプリゲームをしたりして時間をつぶしていた。
ゲームのエナジーポイントを使いきってしまってツイッターで情報チェックを始めていた彼が、おおっ、と声を上げた。
「これこれ。こないだテレビで見たやつだわ。すごいよなー」
「うん? なになに?」
これな、と差し出されたスマホをのぞき込んでみて、あたしはぴたりと固まった。
小さな液晶画面の中には、惑星の形をした色とりどりのキレイなチョコレート。
「これ……」
「きれいだよな。一回食べてみたいなーって思うけど、めちゃ高いんだぜ、これ」
「……そうなんだ」
ひっそりした声で返したけど、彼はもうアイドルの熱愛発覚のニュース記事に気をとられてて、聞こえなかったみたいだった。
あたしは、あれを食べたことがあるのだ。何年か前に。――たしか。
ぽふっと、耳の奥でなにかが弾けるような音がした。それはかすかな衣擦れみたいなボリュームで、ちょうど動き始めた人の群れのなかにすぐ紛れてしまったけど。
「お、やっと順番まわってきそうだな。おれ今日、この新作コースター乗るの楽しみにしてたんだよな」
「そうだよね。絶叫系のマシン、大好きだもんね」
「そうそう」
誰かさんとは、大違いだ。
ふとそんなことを思いついて、そしたら、ぽふっと、また吹き出すような小さな破裂音。
あたしはぶんぶんっと頭を振って、些細な違和感を払いのけた。
*
今日はとてもいいお天気だ。
まだ肌寒い春先だけど、いくつか立て続けにアトラクションに乗ると、しっとりと肌に汗がにじむ。喉もからりと乾いてくる。なので、春の新メニューに彩られたカフェテラスでお茶休憩をとろうということになった。
店内は混み合っていたけど、レイクサイドの水辺を見渡せる位置にいた親子連れが、ちょうど退席するところに居合わせたのだ。ラッキー、と二人してはしゃぐ。
荷物で席を確保したあと、セルフサービスのカウンターの前に並んだ。
「お前、何にする?」
「そうだなぁ、プリンパフェもアイスも捨てがたいしなぁ~」
「あ、スティックチーズケーキがあるじゃん。これにする? ケーキのなかでチーズケーキが一番好きって、たしか言ってたよな」
「あ、ほんとだ。このルックス美味しそうだし、おしゃれ! 写真映えしそう」
「お、こっちの味、新作だって。ほら、抹茶」
「まっちゃ……」
ぽふん、と、また。
むずむずするような耳の奥。
埋め込んだ何かを、ほじくりかえそうとするみたいな。
*
「あ、花嫁さんだ」
園内のオフィシャルホテルには名物のチャペルがある。お茶タイムを終えて散歩がてらのんびり歩いていると、純白のウェディングドレスを着た若い女の人が飾り立てられた馬車に揺られていくところだった。おめでとーって、沿道のゲストたちからも歓声が上がっている。
「へえ、結婚式やってんのか。テーマパークウェディングとか、キャラクター好きな人には最高なんだろな。おれは恥ずかしくてとても無理だけどさ」
「そう? あたしは悪くないと思うなぁ。キャストさんにもクルーさんにもゲストのみなさんにも、みーんなに祝福されるのって、素敵じゃん」
「いや~、あんな注目されんの、勘弁だわ。友だちとか親戚とかに見られるだけでもこっ恥ずかしいくらいなのに。なんだったら、南の島の離島ウェディングとかあるじゃん。二人っきりで挙式とかいうの? あれでいい派だわ、おれは」
「南の島で……二人っきりの……?」
「そうそう」
新婚旅行もかねて行けばばっちりじゃね? って。
彼はなにげない調子の世間話に笑っていたけど、あたしはやっぱりまた耳の奥で、ぽふんって。聞こえてくるこの違和感の音は、一体なんだろうって、ちょっと考えてた。
「……あたしは、ゴンドラとか象に乗って入場して、ケーキはロシアンルーレットのクロカンブッシュで、ブーケトスじゃなくてガータートスでお色直しは五回」
「なんじゃそら」
ぶはぁっと噴き出された。うん、そうだよね、滑稽だよね。
おもしろいよな、お前はって。ひとしきり笑って、彼はスマホで時刻を確認した。
「もうこんな時間かぁ。暗くなる前に、そろそろいっとく? 観覧車」
「え! ――あ、ああ。うん」
*
ここの観覧車からは海が遥かに見渡せる。夜のライトアップされた光景もキレイだけど、せっかくだから景色を楽しみたくて夕食の前に乗りたいねって、前々から話していたのだ。
黄昏色の空のなか、大きなホイールがまわる。ゆっくりと、赤紫の風景を静かに凪ぎながら。
二人で並んでかたよって座ったから、ゴンドラの床は傾いてる。小さなゴンドラの小箱が斜めのまんま、夕暮れの風にそっと揺られているのがわかる。
「夕陽がキレイだなぁ」
「そだね」
海がキラキラと斜陽を照り返して輝いている。高い空に吸い込まれていくような、大きな円形の頂上は、もうすぐ。
「――このか」
名を呼ばれて、無意識にほんの少しだけ目を見開いて、顔を上げる。優しく頬を撫でられて、上向かせられた唇。混じり合う吐息の温度。そっと引き合うように、どちらからともなく触れあおうとした、その時。
ぼふっ! と。一際大きな破裂音で、今度は身体の奥底で、なにかが弾けた。
はっとして、思わず身を引いた。
驚いたように見つめ返す瞳に耐えられなくて、彼の腕に手をついて少しだけ距離をとった。
「……どしたの?」
「え……? あ」
キスは、初めてじゃない。彼とは付き合い始めてかれこれもう半年以上にはなるし、お互い成人済みなわけだし、ハグもキスも、今さらだ。
なのに。
「ゴンドラ……」
「え?」
夕焼けに染まるゴンドラのなかで触れ合おうとした唇だけは、破裂するように身体の奥の奥で爆ぜた、なにかものすごく強い力に全力で拒否された。
――芽吹いていく。
ひとつだけじゃない。
いくつもいくつも散りばめてばらまかれていた種子。
小さな種から、むくむく、するする。
それは流れる川を逆流するように吸い上げられるように、ぐんぐん上へ上へと伸びていき、そうして蓋をこじ開けて飛びだそうとするのだ。
重く、きつく、しっかりと壊して砕いて踏みつけてまで、深く深くに埋め込んで隠した、その上蓋を。
ぎゅうぎゅうと押し上げられる。
こらえきれなくて、壁際まで下がって身体を縮こまらせた。
「ごめん」
「え?」
「……ごめん」
もう彼の目を見ることができなくて、うつむいてひたすら謝罪を繰り返す。
ああ、このやりとり。もう何人目だろう。
――これは、呪いなのかもしれない。
もう何年も前に失った恋なのに。
絶叫マシンが苦手で、抹茶味が好きで、惑星チョコレートに目を輝かせて喜んで、結婚式は地球の果ての果てで二人っきりがいいっておねだりして、黄昏色に染まる観覧車の頂上でキスをした、人。
胸の奥底に隠して封じ込んであるのに、いたずらにまき散らかされた記憶の欠片が埋め込まれた種になって、つぎつぎに芽吹いて、根幹を生み出して、その手をいっぱいに伸ばし始めて。
あたしは結局、そこから伸びてくる触手のような手にとらわれたまま。
失くした恋にとらわれたまま、新しい世界にさえ飛び込んでもいけない。
もういない人なのに。終わった恋なのに。
いつまでもずっと、がんじがらめに呪われて、結局ひとりぼっちに舞い戻る。
ばかばかしくって、涙も出ない。
伸び伸びと、種から這い出す触手みたいな蔓。あたしの意識なんておかまいなしに、好き放題に育っていくそれだけが、あたしを内側からさわさわと撫で続けていた。
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