矢田君、女性に不審がられる

富升針清

第1話

 それは唐突だった。

 いつものしがないバーでゆっくりと、僕は親友と酒を傾けていた時だ。


「私、四年に一回、閏年の三月一日に死体が埋まっていないか土を掘り起こすんです」


 突然、隣に座っていた女性が、僕達二人にこう吐き出したのだ。

 閏年の三月一日。

 死体が埋まってないか、土を掘り起こす。

 思わず笑ってしまいそうになっている僕の隣で神妙な顔つきをした親友が頷いて、こう言った。


「四年に一度? まるで、オリンピックだな」


 僕の愛すべき親友の矢田君が、恐らく彼の中では渾身の顔を作って彼女の言葉を繰り返しながら酒を煽る。

 彼は僕の親友であると同時に縫いぐるみの様な見た目とは裏腹な鋭い考察力を持つ青年である。しかし、普段女性に不慣れ過ぎて、突然若い女性に話しかけられるとこう言った風に頭の不具合が起こってしまうのだ。

 彼女の言葉よりも彼の方が何十倍も何百倍もおもしろいなと思いながら、僕は顔と声を整えて頷いた。


「確かに、オリンピックも四年に一度だね」


 彼の言葉を邪魔しない様、僕も細心の注意を払い彼の言葉に同意を返す。

 彼の誇るべき一番仲の良い、一番心が通じ合い、一番信用が置ける親友としては当然の振る舞いだ。


「やっぱり、私、おかしいのかな……」


 僕の同意は矢田君への同意であり、お前への言葉では断じてないのだが、可笑しいか可笑しくないかなど、最早存在そのものに興味すら湧かない時点で可笑しさを感じる以前の問題だ。


「可笑しいかは分かんないけど、まあ、人それぞれだよな? 伊吹」

「そうだね、矢田君。僕もそう思うよ」


 君がそう思うなら、それが世界の正解であり、それが正義の真理だ。

 例え、そんな雑な慰めでも。


「有難う。他の人にそう言ってもらえると楽になるな」


 少し眉を下げて、自分の長い髪を指先で弄りながら彼女が笑う。

 心にも思っていない事を、この女は言っている。

 行動心理学における自身の髪を触るこの行為は、自分に注目を集める事を指す仕草だ。

 つまり、この女はもっと僕達に注目して欲しい、自分の話題に興味を持って欲しいと思っている事になる。

 いつもならば、僕よりも目敏く矢田君が気付きそうなものだが、なんせ相手が若い女性では彼は早々とその機能をオフにする様だ。


「いや、いいよ。別に」


 全く持って良くないと言うのに。

 全く持って気付こうとしない彼に、笑いを通り越して最早愛おしい感情さえ生まれて来そうだ。これが母性か。成る程、しっくり来るな。

 しかしながら、母性を感じる彼よりも僕の親友として相応しいのはいつもの様に鋭い、そうだな。例えるならば大福餅の中に入っている一本の針の様な彼である。

 そろそろ正常に戻さなければ、彼がこの事を恥ずかしさの余り悔やんで舌を噛みちぎるかもしれない。

 ここは一つ、助け舟を出してあげようじゃないか。

 勿論、親友として。


「でも、不思議な話だね。四年に一回もだけど、女の子が土を掘り起こすなんて。中々の力仕事だろ? どこの土を掘り起こすの?」

「ばっ、おまっ!」


 余計な事を言うなとばかりに、彼のソーセージの様に美味しそうな太く丸い指が僕の服を掴むが、それはこれを見てからにして欲しい。


「はいっ! そうなんですよぉ! 服も大分汚れちゃって……」


 嬉々として彼女が喋り出す様子を矢田君は心底不思議そうに見ている。

 優し過ぎる矢田君には分かるまい。

 優しいだけの男は駄目なんだよ。


「其処迄つくにも、草が邪魔で中々行けないし、靴も泥だらけになるんです。たまに運動靴の中までぐちゃぐちゃになる事があるんですよ?」

「凄いな。大冒険じゃないか。そんな山の中迄、死体が埋まってないかわざわざ見に一人で行くの?」

「そうなんです。いても経っても居られなくて……」


 何故山だと僕がわかったのか。

 彼女のネイルは出来上がり方から見て、ネイルサロンでされたものである。こんな平日の夜にでも付けている所を見れば、日々その爪でも許される仕事であり、ネイルをするのは彼女の中では日常になっている証拠でもある。鞄もハイブランドではないが、そこそこのブランドのバック。チャックが付いていないボタンで留めるだけのバックの中身は化粧ポーチに数センチ束の書類の様な紙。これにより、彼女が水商売ではなく恐らくは何かしら昼の職業をしているのか伺える。

 化粧は控えめに見えて、かなりの時間を有したナチュラルな仕上がりのメイク。

 それに加えて、服はブランドよりも流行りの服。

 以上の点を踏まえれば、彼女が普段から運動靴を履く習慣がない女性である事は当然の様にわかってくる。

 そんな彼女が、運動靴で向かう場所は山しか有るまい。


「確認するって、本当に死体はあったの?」

「おい、伊吹っ! 失礼なこと聞くなよ!」

「いえ、不思議な事に、埋まってはいないんです」

「へぇ! それは場所が悪いんじゃないかな?」

「場所?」


 彼女が不思議そうな顔をする。

 我ながら良い仕事をしたと思うよ。


「矢田君もそう思うだろ?」

「え? あ、ああ! うん! そう!」


 華麗に彼にパスを渡してあげれば、彼はやる気を見せる為に一気に酒を飲み干し、彼女へ体を向ける。


「それは、場所が悪い。多分、記憶の相違だろうが、君は元々それ程山奥には埋められていなかったと思うよ。人間、山に人を埋めるのには大の大人の男で骨が折れるんだ。しかも、相手は君と、多分友達かな? 友達の二人を埋めなければならなかった。今から十二年前の閏年に埋められたのならば、君は当時まだ子供だった事だろう。山に入るまでは車だろうが、埋める場所は車で行ける場所からさらに奥に入り込む必要がある。子供二人でも合計体重は大人の女一人分と変わらない。それを担いで山に登るのも一苦労だし、何より相手は埋める為の道具を持っていかきゃならないだろ?重量オーバーだよな。相手も数分でこれ以上奥に行くのは無理だと思って結構近場に埋めたと思うが、君の話だと君は衣服や運動靴が酷く汚れる山奥まで足をすすめている。今度の日曜日に再度山に入るならば、もっと麓寄りを掘り起こして見るべきだな」

「な、何で……?」


 頬が引きつっている彼女は、それだけ言うのがやっとの様に呟いた。

 言っただろ? 若い女性に話しかけると、彼の頭は些か不具合を起こすって。


「何で? いやいや。それはこっちだろ? そもそも、死体堀りを俺達に手伝って欲しかったんじゃないのか? 克田聖奈子さん」

「っ!? わ、私帰りますっ!」


 克田聖奈子と言う女性は、慌てて鞄を手に取ると逃げる様に店を出た。


「……えっ?」


 残された矢田君は呆然と彼女が去った扉を見つめている。

 駄目だ。口元が緩んで笑いそうになってくるじゃないか。

 最高のパスを渡して、こんなにも最高のシュートを決めれるのは彼ぐらいじゃないのか?

 本当に、僕の矢田君はなんて最高なんだろうか。


「な、何で!? おい、伊吹っ! 何で彼女帰るの!?」

「何でだろうね?」

「おい! お前笑ってるんじゃねぇよ!」

「笑ってないよ。いつも通りの顔じゃないか」

「いつもの顔が俺の事馬鹿にしてんだろ!」


 言い掛かりも此処まで来るれば清々しい。


「こ、困ってるの俺は助けようとしただけなのに、何で!?」


 あれだけの情報で、百も答えを出せば人間怖くなるものだよ。

 とは、口が裂けても言わないでおこう。

 面白くないから。


「それにしても、どうして彼女の名前を知っていたんだい?」

「あ?」

「名前、呼んだじゃないか。克田聖奈子さんって」

「な、名前呼ぶの悪いのか!?」


 大丈夫。僕の中では君の存在が正解であり常識だから。世間の常識はこの際ゴミ箱にでも捨てておけばいい。


「名乗ってないと思ったけど?」


 僕がそう言うと、矢田君は鼻で僕のことを笑いながら右手の中指で自分の頬を触りながら口を開いた。


「……彼女の服装を見たか? かなり良いブランドを身に纏っている。仕事はそれなりに金になる仕事だ。でも、ネイルの派手さを見ればキャバとかじゃない。となると、一般職。そして、彼女の服には猫の毛が付いていた。鞄の中はどう見ても仕事帰り。となると、彼女は仕事中にも猫と触れ合っている。しかし、足には僅かにパンプスの跡があり、あんな靴で動物の飼育関係の仕事は無理がある。都内近辺でで猫や犬などを職場で飼っている職場なんて限られてくる。そして、彼女の口紅の色だ。赤ではなくラメの入ったピンク。客相手に接客しているのであれば、そんな色はしてこない。帰り際にバーによる為に、化粧直しをした可能性を考えても、彼女の化粧ポーチはそう大きそうではなかった。仕事で使っていない口紅を持ち歩く訳がない。それを踏まえて考えれば、彼女は都内の動物を飼っている職場で主に事務作業をしている人間に絞られる。そこから更に彼女が……」

「矢田君、知ってるかい? 君、お酒を飲みながら嘘を言う時は無意識に中指で自分の頬に触れている癖があるんだよ?」


 一瞬止まって、彼は僕を睨みつける。


「俺、お前の事、嫌いだわ」

「僕は嫌いじゃないけどね」

「あー。お前を出し抜けると思ったのに。興醒めだわ。彼女、俺たちが此処に入るまでの間、ずっと付けてただろ? その時、首元に社員証ぶら下げてたんだよ。名前はそれでわかる。あとは、検索だ。ネットなんて便利なものは、昔の事件も分かる。そうなると、彼女が十二年前にここから電車で二時間程かかる村で保護された記事が出てきた。あとは、その記事を読めば誰でも分かるだろ。あー。楽しくねぇなぁ」

「そうかい? 僕は楽しいけれど」

「お前だけだろ! あー。もー。ラーメン食いに行こうぜ」

「いいね。いつもの店に行こうか」


 矢田君はきっと、一つだけ勘違いをしている。

 何故、彼女が僕達に話しかけたのか。

 その理由が、楽しい楽しい土いじりなんてそんなわけがないだろうに。

 きっと、優しい彼には一生分からないのだろうな。

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