第216話 「最初の見舞客①」
まぶたを超えてやってくる、温かな光で目が覚めた。鳥の鳴き声がする。それと、物音も。
目を開けると、白木の天井があった。いつの間にか、ベッドで寝ていたらしい。たぶん、王都西区の静養所だろう。実際そのとおりで、物音の主はエプロンを着た、こちらの施設の方だった。彼女は俺が目覚めたのに気づくと、若干興奮した様子で話しかけてきた。
「ああ、良かった。担ぎ込まれてから中々目が覚めないものですから、心配で心配で」
「えーっと、ご心配おかけしまして……」
「ああっ、そういう意味ではなくてですね」
結構慌てた感じの彼女と、どうにも状況を把握しきれてない俺では、中々話が噛み合わない。それがなんだかおかしくて、つい含み笑いを漏らすと、彼女もそれに安心したのか笑顔になってくれた。
それで少し落ち着いてから、俺は状況を尋ねる。
「あまり覚えてないんですが、担ぎ込まれたんですね?」
「はい。西門を前にして倒れられたと」
言葉を頼りに、おぼろげな記憶を手繰り寄せる。確かあの時は……草原で2人、横になってこのまま寝るのもいいかとか思ったけど、さすがにアイリスさんを野宿させるのはどうかと思って、気力を振り絞って王都を目指したんだった。道中、何か色々話したような、話さなかったような。記憶はかなり曖昧だ。それと、王都の門が見えてからの記憶はまったくない。きっと、緊張の糸が切れて落ちたんだろう。
「それで、どれだけ寝てました?」
「昨日の夜明け前から今までですので、丸一日といったところです。お加減いかがですか? よろしければお食事をお持ちしますが」
「具合は……ちょっとダルいかな~ぐらいですね、大丈夫です。朝食は、少し軽めにお願いします」
「了解です」
そう言って、係の方はにっこり笑ってから立ち去った。彼女の物腰はとても丁寧だったけど、それにしてもド丁寧なのが少し気にかかった。そうまでされるほどの立場の人間じゃないと思うけど。
朝食を待つまでの間、1人になって手持ち無沙汰になった俺は、ベッドの上で身を起こして窓の外を眺めた。王都の中でも、かなり緑の多い区画にこの静養所はあって、窓の外は青々とした木々と生け垣で埋まっている。外からの目隠しの意図もあるのだろうけど、豊かな緑を見ていると心が落ち着いた。
その緑の中に混じって、ささやかながら別の色がところどころに咲いている。それが季節を感じさせた。つい先日までは梅雨前ぐらいの現世にいたのが、春先のこっちに戻って季節は逆行したわけだから、季節を感じるってのも変な感じではある。それでも、目の前の光景に違和感はなくて、妙にしっくりきた。
朝食がやってくるのは、思っていたよりも早かった。持ってきてくれた彼女は大急ぎって感じではないけど、厨房の方が気を利かせてくれたのかもしれない。
「立てますか?」
「たぶん、大丈夫です」
「では、こちらにおいておきますね」
そう言って、彼女はベッド脇にある少し広めの机の上に盆を置いた。スープから湯気が立っているのは見えるけど、匂いは漂ってこない。こういうところの食事だから、あまり強い食材は使えないのだろう。
配膳を済ませた彼女は、「お済みになった頃に、また伺いますね」と言って立ち去ろうとする。しかし、少し気になったことがあって、俺は彼女に尋ねた。
「すみません。えーっと、どう言ったらいいのか……こういうところに運び込まれた時って、個人の意志で退所するものなのですか?」
「そうですね……医師の判断次第ですが、見たところ今日一日は、こちらで安静にして頂く形になるかとは思います」
「わかりました」
「見舞客の方もいらっしゃるかと思いますし」
「ああ、なるほど……」
俺に会いたいという方々がいる。その事自体は嬉しいし、誇らしくも思うけど、何を話せばよいのか考えると少し気分が沈んだ。全部を明かして良いものか。俺ひとりで決められる問題ではないだろう。でも、俺を想ってくれている方々へ隠し立てすることには、やりきれない感情を覚えた。
そうやって、少し物憂げな感じになっていると、係の方が柔らかく微笑みかけて言った。
「大丈夫ですよ。お顔をお見せするだけでも十分だと思います」
「……ありがとうございます」
彼女がことのあらましを知っているとは思えないけど、こういうところで務めているだけはある。当たり障りのない助言だったのかもしれないけど、うまく勇気づけられたと思う。そして彼女は、そのままの笑顔で部屋を出た。
俺はベッドから立ち上がろうとした。しかし、急に腰を浮かすとすぐに地面が歪む。それで、ベッドに座り込んでしまった。相当疲れているようだ。確かな感覚が欲しくて、壁に両手を当ててから再び、下半身に力を込める。若干グラッとした感じはあったけど、なんとか立ち上がることはできた。それから俺は、倒れて食事をぶちまけないように注意しつつ机に向かい、どうにかイスまでたどり着いた。無事、食事の前にたどり着くことができ、俺は天を仰いで安堵のため息を付いた。
朝食は、白くて小さめでふかふかなパンが1つ、柔らかく煮込んだ野菜がゴロゴロ入ったスープ、それと葉野菜に刻んだナッツが乗ったサラダだ。さすがに、どれも味は薄め。つい最近までコンビニの飯に世話になっていたこともあって、なおさらそう感じる。でも、噛みしめるほどに優しい味が口に広がって、それが体に行き渡っていくような感じがした。「軽めに」と頼んだこともあって、朝食はあっという間に無くなってしまった。もう少し多めにしてもらっても良かったかも。
朝食が終わって数分後、頃合いを見計らったように係の方がやってきた。お盆の上がきれいに片付いているのを見て、彼女は微笑んだ。
「おかわりもありますけど、いかがですか?」
「それじゃ……スープを」
なんとなく恥ずかしさを覚えながら追加を頼むと、彼女は笑顔で立ち去り、それから程なくしておかわりがやってきた。
☆
見舞客が来るって話だったけど、誰が来るんだろうか。手持ち無沙汰で考え事しかできない中、ベッドの上でずっと、誰が来るかばかり考えていた。
最初の見舞客は、朝食から一時間強位経ってからやってきた――いや、やってこられた。ラックスと、宰相様だ。ノックされた後、入室を認めてから宰相様の姿を見て、俺はベッドから飛び上がりそうになった。驚愕し、固まる俺に、宰相様は穏やかな口調で「楽にしていただければ」と仰る。しかし、無理な相談だった。
俺はベッドから立ち上がろうとした。2人のイスを用意しようと思ったからだけど、俺をラックスが手で止める。彼女の装いは軍人の制服のようで、宰相様の付き人と言っても問題ないくらいの謹厳さがあり、にこやかにしている彼女にも俺は少し恐縮してしまった。
それから、彼女は部屋の壁際にあった、おそらく見舞客向けであろうイス2つを、ベッドの近くに持ってきた。それにお2人が腰を落とす。すると早速、宰相様が仰った。
「急な来訪で申し訳ございません」
「いえ、お越しいただけたことは光栄に思いますが……ご公務の方は大丈夫なのでしょうか?」
なにしろ、黒い月の夜を終えたばかりなんだ。大丈夫だからこうして来られたんだろうけど、無理を押してこられたというのなら、大変に申し訳ない。
俺の問いかけに、宰相様は優しい口調で答えられた。
「会議の合間の時間ですから、問題はありません。それに、功労者を見舞うのも公務のうちですから」
功労者という言葉を宰相様からいただいて、体に熱が駆け巡るような感じがした。どの功を指してのお言葉なのかはわからないけども。
そうして、頭に少し熱が回ったようになっていると、宰相様はにこやかな表情から若干表情を引き締められ、仰った。
「積もる話はありますが、お疲れでしょうし一点に絞ります」
「ご厚意、痛み入ります」
「では……話というのは、今回の転移の件についてです」
宰相様は真剣な様子で話を始められた。
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