第153話 「はじめてのご政務」

 11月20日11時前。王都の政庁にある会議室で、重厚感のある楕円形のテーブルを十数人が囲んでいた。国政に関わる朝臣・王都の政務部・衛兵隊・魔法庁・魔導工廠・冒険者ギルドから各部署のトップか、それに準ずる地位の人物に加え、その補佐役が出席している。そんな並々ならぬ顔ぶれが揃い、場は静かな緊張感に満ちていた。

 そして、議長は王太子アルトリードだ。この会議の招集を掛けたのも彼であり、朝臣や政務官達の一部は、王太子に対し僅かではあるが怪訝な視線を送った。

 彼らのような国政の上に立つものの間では、王太子には王都で人心の鎮撫に務めていただき、頃合いを見て何かしら容易なご政務を……そういった段取りが考えられていた。そのため、彼らの安定志向と、王太子に対してある程度のイニシアチブを取りたいという意向からすれば、こうして王太子が直々に会議を開いたのは、彼らにとってさほど好ましいことではない。それも会議の内容次第ではあるが。

 室内に人員が揃ったことを確認すると、王太子は微笑み口を開いた。


「こうして揃うと、私だけ場違いな気がするね」

「と、言いますと?」

「年齢が、さ」


 卓を囲む何人かは、そのジョークに含み笑いの声を漏らした。それとは別に何人かが、さっと室内を見渡す。確かに、会議に参加しているのは、王太子以外は大体が壮年で、一部は老年と言っていい。若い方には二十代半ばの者もいるが、王太子がまだ二十にもなっていないことを考えれば、少し年は開いている。

 王太子の発言に少しほぐれた場の空気だったが、すぐに緊張の糸が張り詰めた。王太子は会議の招集理由を述べる代わりに、衛兵隊隊長の名を呼んだ。呼ばれた、老齢ながら筋骨たくましい隊長は、老いを感じさせないハリのある声で話し始めた。


 隊長の報告事項は、王都から徒歩3日ほどの位置にある、アムゼーム盆地についてのものだ。

 ”瘴気溜まり”の異名を持つその盆地は、常にうっすらとした赤紫のマナに覆われており、一般人では立つのがやっとというほど瘴気が濃い箇所もある。

 その盆地では、かねてより魔獣が多く出没しており、時折魔人の出現が報告されることもある。そのため、前哨基地が盆地のすぐ近くに存在し、兵が昼夜の別を問わずに油断なく哨戒している。

 瘴気の多い地ではあるが、一方でその瘴気の質・量が安定しているのが特徴だ。黒い月の夜でも瘴気が増すということはなく、その際の魔人の出現報告もない。そのことから、通常の”目”とは違い、単に瘴気が地面から湧出するような土地柄なのだろうと目されている。

 つまり、アムゼーム盆地は危険ではあるが、突発的に何かが起こる土地ではない。そのように考えられていた。しかし……


「今月上旬から、魔獣の出現量が増しております。中には、普段は目撃例のない大物の発見報告もございます」

「大物と言うと、何だね?」


 少し横柄な態度の朝臣の問いかけに、隊長は一切表情を崩さずに答える。

腐土竜モールドラゴンです」という彼の返答に、室内がざわついた。質問の主も、ドラゴンという言葉に少し気圧されたかのような反応を見せた後、その魔獣の詳細な説明を求めた。

 腐土竜というのは、全身が腐敗して這いつくばったような見た目の、巨大な竜だ。かなり暗い赤茶けた色の全身に赤紫の斑点が点在していて、そこから瘴気を出している。

 動きはかなり遅い、というか四肢はほとんど動かせない。ただ、濃い瘴気を全身にまとわりつかせていることと、尾での打撃に、ボロボロになった翼での瘴気の吹き飛ばし、さらには口からの吐息と、そのいずれもが危険極まりない攻撃となっている。

 加えて、その耐久力にも目をみはるものがある。近接戦闘は瘴気の影響でほぼ不可能、ならばと遠距離から矢や魔法を浴びせても、人間の安全域からでは威力が減衰しており中々打ち崩せない。

 そのため、一種の拠点防衛に用いられる魔獣だというのが、国防関係者の一般的な認識だ。

 説明を終えた隊長は、現在の対応について話す。


「現在の監視部隊の兵力でも撃退は可能ではありますが、他の魔獣の出現数の増加から、何らかの仕掛けの可能性も考え、現状では監視に留めております」

「連中の演習という線は?」

「無論、それもあり得るかと。そのため、監視体制を今まで以上に強化しております」


 冒険者ギルド長の問いに、隊長は即座に返答した。9月の王都襲撃を踏まえると、この魔獣の増加は次なる攻撃のための予行演習という可能性は捨てきれない。あるいは、単に出現量を増やして注意を引いたりプレッシャーを与えたり、そういう意図もあるだろうか。

 それに対応を迫られている盆地での監視部隊は、ある意味では王都に一番近い最前線部隊だ。腐土竜の対処に人手を割いたところで別の動きを仕掛けられると、王都に累が及びかねない。

 はっきりと言葉にはしなかったものの、隊長の懸念や悩みというものは、室内の誰もが大なり小なり把握した。その隊長の意を汲み取ってか、王太子が話を引き継いだ。


「遠征……というほどのものでもないけど、私が戦力を率いて対応しようと思っているんだけど、どうだろうか」

「殿下が、ですか!?」


 王太子の急な申し出に、室内の空気が変わった。皆がどよめく中、政務に携わる者達の狼狽ぶりは相当なものだった。その中の一人が血相を変えて立ち上がり、進言する。


「もし、万が一のことがありましたら!」

「線引はわきまえているよ。こちらの戦場を軽く見るつもりもない」


 つい先月まで、最前線拠点の総司令官を勤め上げていた彼がそう返すと、朝臣は二の句も告げずに黙りこんだ。万一などというのであれば、いくら王都の民の目が届かない場所とはいえ、歴戦の将兵が集う場所とはいえ、若い王太子を長きに渡って最前線に押し込めていた事実は、どのように考えればよいのか。自らの言葉にダブルスタンダードを感じた発言者は、静かに座って最低限の誠意を見せた。

 追加の反論が無いことを確認した後、王太子は続ける。


「監視部隊の慰労も兼ねての出兵のつもりだ。人心の慰撫ということであれば、政務上でも止めようがないだろう?」

「……しかし、ご足労いただいたとなれば逆に」

「私がそうしたいからそうするんだ」


 宣言する王太子の表情は平静そのもので、語調も落ち着いたものだったが、その言葉には心に響くような力強さがある。口を挟んだ重臣は、若干恐縮してそれ以上の発言を控えた。


「私が王都を守りに来た、そう民衆に思わせたいのなら、私が敵のことを知らずにここで守られているだけだなんて、それこそ笑止だろう?」


 どうあっても王太子は例の盆地へ向かわれるおつもりのようだ。そのように判断したのか、一部の政務官は諦念の感情を顔に表した。

 しかし、王太子が盆地へ向かうとして、引き連れる兵は問題だった。衛兵隊長がそのことを指摘すると、政務官の1人が息を吹き返したかのように口を開く。


「衛兵隊からの派兵は難しいかと思われます。街道の巡視にも人手を割いている現状がございますので」

「それは承知している。だから、冒険者ギルドに頼もうと思ってね」


 冒険者ギルドでは、商店の自粛体制が解除された後も、想定ほどには依頼が増えない状態が続いて、冒険者を持て余している。そんな彼らの内、仕事に慣れるためにと依頼を優先的に回してもらえる駆け出しと、非常用の備えとしてのベテランを除き、仕事に慣れて自分のスタイルを確立しつつある伸び盛りの連中から有志を募って、盆地での魔獣討伐に向かおう。それが王太子の考えだ。

 余剰戦力を適度に動かしつつ、彼らの稼ぎも保証できるということで、冒険者ギルドとしては願ってもない話だが、王都全体にとっても好影響のある提言だった。というのも、冒険者への依頼が想定ほどには回復しない現状、適度に働かせてやることで王都につなぎとめるのは防衛政策の上でも重要なことだからだ。家賃補助を続けることで慰留することもできるが、依頼がない日々に飽いて冒険者が王都を離れるということは十分にありえる。それに、継続して実戦経験を積ませ、腕がなまらないようにすることも必要だ。

 そのため、王太子の発言は国政上でも理にかなったものではあった。それでも、彼を王都に留めたいという政務官の意思は固く、一人が発言した。


「常勤の監視部隊と、一時的にやってきた冒険者とでは、連携が取れないのではないでしょうか?」

「……それは、私では判断しかねるね。隊長、ギルド長、それぞれの所見は?」


 王太子に促され、各組織の長が応答する。まずは衛兵隊長からだ。


「魔獣共にも縄張りがあるのでしょう。出現は局所的で、盆地中に散在しております。それらの敵部隊に対し、正規兵の部隊、もしくは冒険者の部隊と分けて当たらせれば、連携の問題はないかと」

「部隊間の連携が必要になる事態は?」

「何か想定外の事態が起これば、そういった戦術的な連携が必要になるかと思われますが、そこまでの動きは報告されておりません。それに、突発的な事態には冒険者の方が、むしろ良い働きをするかもしれません」


 隊長からバトンを受け取ったギルドマスターが、冒険者側からの視点について話す。


「冒険者にとって依頼での命令や通達は絶対です。現場のルールから逸脱せず、兵同様に役目を果たすものと思います。非常時についても、正規兵との柔軟な連携は難しいでしょうが、意に沿う働きはできるかと」

「なるほど、頼もしいね。それで、どうだろう?」


 部署間連携に疑義を呈した政務官は、その言を取り下げた。さすがに、各組織の長の発言と、彼らの部下の能力を疑うわけにはいかなかった。結局の所、国防に努めてくれる彼らの能力には、信を置いているわけなのだから。


 こうして王太子の遠征が決まりつつある中、彼は思い出したように告げた。


「フォークリッジ伯が最前線へ向かった関係で、彼が手掛けていた計画が宙に浮く形になってね。私がそれを引き継いでも構わないだろうか?」

「どのような計画でしょうか?」

「魔導工廠と進めていた話だそうだけど」


 王太子の言葉に、工廠の所長が立ち上がって計画について話し出す。


「伯爵とは、身にまとえる魔道具の研究開発を進めておりました。具体的に付加する魔法は定めておりませんでしたが、現状の技術力でどこまでの水準の魔道具を作れるか、そういった計画です」

「私は外から意見を言う程度の存在に留まるよ。それなら簡単な政務だろう?」


 朝臣や政務官の間にある思惑を見抜いたような発言に、彼らの一部は曖昧な笑みを返した。

 伯爵からの引き継ぎに関しては特に反対意見も出ず、その場で承認を受ける形になった。もともと伯爵が提起した話に工廠が乗ったというだけで、工廠が承認するのであれば他の組織が口を挟む問題でもなかったが。

 それから、王太子はさっそく引き継いだ計画について、先の遠征と絡めて考えを話した。


「身にまとう魔道具ということで、どういった魔法を身に着けたいか、現場の意見を聞きたくてね。そういう意図もあっての遠征でもあるんだ。そのために工廠と魔法庁も随行してもらえないかな」

「魔法庁も、ですか」


 魔法庁の新長官が聞き返すと、王太子はうなずいた。


「魔法庁の見解も知りたいし、彼らにとっても現場を知る良い機会になるだろうからね」

「かしこまりました」


 話はそこまでだった。これ以上の意見が出ないことを議長である王太子が確認すると、会議は閉会となった。遠征の日付や、参加する人員の選定など、詳細はまた別に詰めていくことになる。


 会議室には王太子が最後まで残った。去り際に礼をする臣民一人一人にきちんと応対し、ようやく一人になった彼は、会議室の固い椅子に目一杯体重を預けて後ろにのけぞった。

 ここまでは、彼の考えどおりに話が進んだ。その満足感と、これからへの期待感に彼は目を閉じ、満足そうに微笑んだ。

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