第123話 「これからの闘技場」

 9月18日9時半。天気は少し曇り気味だ。まだまだ汗ばむ残暑が続いた中、今日はかなり涼しく感じられる。昨日の重ね着で出かけるには丁度いいかな。

 起きて着替え、今日の予定を確かめると、Eランク試験当日だったことを思い出した。ハリーとサニーは今頃、試験会場に居るだろう。あの2人にはいくらか魔法を覚える手伝いをしたから、様子を見に行ってみるのもいいかもしれない。


 階下に降りて、同居人のみなさんと朝食をとる。今までは各自でバラバラの時間に食事をとることが多く、揃っていただくのは夕食ぐらいだった。最近は仕事の自粛だとか、自宅での仕事が増えたとかで、こうして食卓を一緒に囲むことが増えている。調理担当のルディウスさんも、揃って食事をとってもらうほうがやりやすいようだ。はっきりとそう明言されたことはないけども。

 食卓ではこの先のことを話題にすることが多い。ただ、みなさん結構落ちついていると言うか、感情の波が一段落したようで、気持ちに煽られた悲観的な話じゃなくって普通に討論をしている。今後の国のあり方とか、近隣諸国の動勢についてとか、今後流行りそうな事業とか。

 ただ、今日のメインの話題は景勝地についてだった。ずっと王都にいるんじゃなくって、たまには遠出でもしてみようということで、大家のお2人も交えて朝食をいただきつつ、同居人の薬師さんが語る穴場の絶景スポットについて耳を傾けていた。


 話が盛り上がってきたところで、水を差すように、少し遠慮がちなノックの音が響いた。「ごめんなさい、いってきます」と一言みんなに断ってリリノーラさんが応対に向かうと、ドアの向こうに立っていたのは俺と同世代の男性で……魔法庁の制服を着ていた。

 同居人のみなさんは、俺と魔法庁の過去のやり取りを知らない。ただ、ルディウスさんとリリノーラにとっては、やはり心中穏やかならぬものがあるようだ。客に失礼がないようにと抑えつつも、表情や姿勢からは強張りを感じる。

 立ち上がってルディウスさんに近寄り、「たぶん、大丈夫です」と耳打ちすると、曖昧な笑みを返された。それから、俺はドアの方へ向かった。俺が近づいていくと、魔法庁の職員の方はかなり控えめというか、低姿勢な態度なのがわかった。顔は知らない方だったけど、俺のことについては上から色々言い含められてるんじゃないかと感じる。

 リリノーラさんに、「あとは代わります」と告げると、彼女は「ここで聞いてます、構いませんか?」と魔法庁の職員さんに尋ねた。問われた彼は、深く頭を下げて許可を出した。許可というか、どうぞお聞きくださいみたいな腰の低さだけど。それから頭を上げた彼は、ためらいがちな口調で用件を話し出す。


「リッツ・アンダーソン殿からご提出いただきました、当局規制魔法の使用許可申請について、暫定の許可が下りました。ただ、使用に際してまして条件があり、ご説明させていただきたく思います。つきましては、今から闘技場までご足労願えますでしょうか」


 当局規制魔法というのは、禁呪のことらしい。後で聞いた話では、民間人の前で禁呪と表現すると、言葉の響きにかなり威圧的で不穏なところがあるので、こうして言い換えているようだ。

 それはさておき、物腰低い彼からこうして丁重にお招きいただいくことになり、リリノーラさんは少し安心したようだ。それでも若干表情が固くて、いつもの朗らかさは陰っている。

 彼女に向き直り、「大丈夫です、行ってきます」と告げると、彼女はフッと短く息を吐いて、力の抜けたような笑顔で「お気をつけて」と送り出してくれた。


 闘技場までの道中、案内人の彼からは特に話題を振られなかった。

 無言で王都を歩く間、なんとなくだけど、彼は職員の中でも中堅どころより少し下ぐらいのポジションに居るんじゃないかと考えた。上の人は会議漬けだろうし、動けるベテランっぽい方々は、1人では満足に動けない部下を手足みたいに使って色々奔走しているようだ。そんな中で、雑事を流動的に任されているのは、そこそこ動けるけどリーダーシップを発揮するほどじゃないぐらいの方なんじゃないか、という推測だ。

 互いに喋らず、かと言ってこちらから雑談を切り出すのもなんとなく気が引けたので、道すがらそんな事ばかり考えていた。


 目的地の闘技場に着くと、試験はすでに始まっているようだ。あたりは静かな緊張感に満ちている。ここを説明の場に選んだのは少し気になった。魔法庁は、今は色々忙しくて立ち入れないんだろうけど。

 彼に事情を聞くと、「使用許可にも関係のある場所ですので」と返してきた。それと、試験中は必然的に闘技場の中心に注目が集まるので、回廊部分とその周囲では自然と人払いできるのも都合が良いようだ。

 先導する彼の案内で回廊部分を進み、控室のようなものに通された。王都城壁の内部とか魔導工廠の中みたいに、部屋の壁や床に使われている素材は白くてつややかだ。リノリウムっぽくて、なんとなく宇宙戦艦内部の個室とかを思わせる。闘技場全体についてもそうだけど、俺の中にあるイメージの、いわゆるコロッセオっぽさはほとんどない。

 微妙にSF感のある部屋の中に、妙に生活感のあるソファとクッションが置いてあって、なんだかそれがすごくチープなんだけど、同時に親しみとか気安さも感じさせてくれる。職員さんに促されるままにソファに座り、彼の話を待つ。すると彼は、緊張した面持ちで話を始めた。


「複製術の使用申請につきまして、本承認はまだ下りていません。仮承認ということで、使用にはいくらか制限が付きますので、その説明をいたします」

「はい」


 使用制限については宰相様とお話した時の内容どおりで、使用時に魔法庁の職員1人が監視でつくというものだった。監視がつかない時に使ってしまった場合の罰則については語られなかった。まぁ、言ってもやぶ蛇だし、無理に使えば色んな方の信頼を裏切ることになるから、やらないようにしよう。

 使用に際しての制限はそんなところだったけど、問題は人の目につかないところを選ばないと意味がないということだ。その問題を解決するために魔法庁側が提示してきた案が、俺にとっては思わぬオプションだった。


「闘技場の一般開放は18時までとなっています。その一般開放時間後、1時間闘技場を貸し切る形でご使用いただき、禁呪利用時間に当てていただければ」

「貸し切っちゃっていいんですか!?」

「はい。魔法庁としての意向です。使用に当たり、制限時間があるのは申し訳ありませんが……」


 本当に申し訳無さそうな顔になって、彼は追加の説明を開始した。

 闘技場の貸し切りについては、他の利用者にも申請があれば認めるようで、俺の割当は週に2日となる。ただ、当面は実施に向けた検証期間ということで、貸し切りについて公示はしないそうだけど。俺に週2日優先的に割り当てられることに対して、他の方から不満が出るんじゃないかという懸念については、魔法庁で使用する日、もしくはメンテナンスの日という名目でごまかすようだ。

 1つ気になったのは、俺が申請した複製術の使用許可に対し、こういう措置をとったということだ。本来は魔法の反復練習のために、自分で書き取りドリルを量産するような禁呪なんだけど、それを使っていいのが1週間に2時間というのは、そういう用途を前提に考えれば明らかに不足している。ただ、俺が複製術の利用法や仕組みを検証するための時間と見れば妥当な割当だ。

 この割当時間が魔法庁としての最大限の譲歩と見ることはできるけど、むしろ俺が複製術の検証に充てるんじゃないかと、向こうが考えての措置なんじゃないかという気もする。

 念のため、複製術の利用用途について制限があるか聞いてみると、「研究目的であれば可能です」と返された。つまり、俺がやってたことはおそらくオッケーなんだろう。実際に立ち会う職員さんに確認する必要はあるだろうけど。


 話が一段落し、俺達は控室から退出した。職員さんは「それでは、これで」と言い、そそくさと去っていった。その背を眺めると、本当に色々変わってしまったんだなと、寂しさにも似た感じの、なんとも言えない感情が湧いてくる。

 回廊の柱の隙間からは、試験の様子が伺えた。まだまだ終わりそうにない。ちょうどいい機会だし、観覧席から見物でもしようか。そう思って俺は階段を上がっていった。

 初めてきちんと足を踏み入れた観覧席は、すごく開放感がある。曇り空で少し涼しいこともあり、見物にはかなり快適だ。腰を落ち着け、友人を探そうと闘技場中央に目を落とすと、ちょっとしてから知らない方に声をかけられた。

 話を聞くと、王都で刀剣類の販売を営んでいる商人の方らしく、前の授与式に参加していたんだとか。しきりに褒めそやされ、恥ずかしくなって、褒められるたびに彼の注意を闘技場の中央へ促した。

 見物しながら彼と話していると、武器類そのものは俺には縁のない話だと思っていたけど、それを取り巻く諸々の事象――素材や技術の進歩、流通など――についての話は面白かった。思わず聞き入り、歓談していると、気がつけば試験が終わっていた。

 その後の流れで、結局その日は友人2人も交えて昼食をお呼ばれすることに。ちょっと悪い気がしつつご厚意に甘えたわけだけど、商人さんの「こうでもしないと、気持ちが冷え切りますので」という言葉は少し心にしみた。



 夕方、一般開放が終わってから闘技場に向かうと、俺がイメージしていたのとは少し違う光景が広がっていた。貸し切りというので、静まり返って寂しい感じだと思っていたけど、実際には魔法庁の職員の方々や魔導工廠の方々が忙しそうに動き回っている。

 監視を担当する方は、昼に通達に来たのとはまた違う、同じ年ぐらいの女性だった。俺に対する態度は似たようなもので、ちょっと腰が引けているようなところがある。思っていたのとは違う事態に対し、純粋に興味から事情を聞いてみたところ、予想外の答えが帰ってきた。


「闘技場の機能を復旧させようという決議が通りましたので、その作業中です」

「機能の復旧ですか」

「はい」

「もう少し詳しく教えてもらえませんか?」


 柔和な笑顔で頼み込むように聞いても、彼女は困ったような顔で微笑むばかりだった。「私の権限では、教えていいものかどうか……」と尻込みされ、現場の責任者の判断を仰ぐことに。

 彼女が連れてきたのは、Dランク試験の責任者さんだった。思わぬところでの再会に互いに頭を下げる。

 彼によれば、機能復旧の作業については、どうせ衆目につくので隠すつもりはないらしい。問題はその意図するところだけど、俺の貢献とか立ち位置を考えると、隠し立てするのも……ということで、公言しないことを条件に事情を教えてもらえた。その辺の事情は監視員さんも詳しくは知らされていないようで、俺の横で傾聴している。


 闘技場はもともと、安全に”対人戦”ができるように各種保護機能が備わっているらしい。だいぶ昔にそれを解除してしまったので、段階的に復旧する必要があるそうだけど、まず最初に復旧させようとしているのが観客保護の機能だ。かつては闘技場中心部分と観客席の間に、ドーム状の防御膜を張る結界のようなものがあったそうだけど、それを復旧させたいらしい。


「あんな事があったばかりですので、万一の避難先として闘技場も有効活用しようということです。今更という意見もありましたが、例の動きを”探り”と見るならば、本命が数年後ということもありえますから」

「なるほど」


 こんな大変な時期でも、長期的な展望に立って動ける方がいるというのには、なんとなく安心感があった。まぁ、短期的にも人心を落ち着けるための意図があるようで、割と急ぎの仕事とのことだ。

 観客保護に続いて復旧させたいのが、”闘士”保護機能で、中で戦う個人に付与される光盾シールドのようなものらしい。この機能を元通りにする理由は、もちろん”闘技場”として運用するためだ。


「研鑽を積む場は必要ですからね。例の戦いによって、”対人戦”の必要性を意識せざるを得なくなりましたから」

「……そうですね」


 別に魔人側の仕掛けだからといって、人の関与がないとは言い切れない。人間社会の内部に潜り込んで暗躍されただけに、人側で悪意を持つものが連中に協力していた可能性は否めない。

 それに、対人戦での経験は、そのまま魔人との戦いにも生きてくる。連中が瘴気を使って、貴族以外まともに戦えない状況を作ってくるといっても、生存策として対人戦の経験は決して無駄にはならない。


「あとは、これも民心を考慮してのことですね。”こんなに強いやつが王都にいて、みんなを守ってくれてるんだー!”って」

「あー、確かに。今のままでは、誰がどれだけできるか、同業者同士でもよくわかってないところはあります。そういうのをわかりやすく示す場としては、闘技場ってのはいい考えかもしれません」

「あと、主に庶務課の……まぁ、私も含めてなんですが。誰が強いのか、自分がどれほどなのか……ってのには興味がありますね」


 責任者さんはニコニコ笑っている。あのとき痛めた右腕はまだそのままで、包帯で首から吊るす感じだけど、傷病人とは思えないくらい生き生きとした感じだ。


「すみません、作業中に呼び止めてしまって」

「いえ、構いません。色々と恩のある身ですし」

「……最後に1つ、構いませんか?」

「どうぞ」

「どうして闘技場が使われなくなったんですか?」


 俺の問いかけに、責任者さんは若干顔を曇らせた。少し言い出しづらい事情なんだろうか。


「闘技場として使わなくなったのは、だいたい60年ほど前だそうです。最前線の補強のために、闘技場で良い戦績を残した戦士が大勢駆り出されたそうで……」


 彼はそこで言葉を切った。何があったのかは、言われなくても何となく分かる。


「そのあと、ここがただの訓練施設に過ぎないんじゃないかと批判の的になったようですね。皆に名を知られた方が戦地へ送り出されるということに、強い嫌悪があったんでしょう」

「……このあとも、そうなるでしょうか」

「……国民次第ですね。ただ、民の心を鍛える機会も必要だと思いますよ。それと、戦地と何かしらのつながりを意識する機会も」


 彼は笑顔でそう言い切り、軽く左手を振って自分の仕事に戻っていった。


 周囲では作業に取り掛かっている人の気配が絶えずあり、彼らには複製術を知られても問題ないと言われたものの、それでも気がひけるところはある。

 結局、複製術をやる気が起きなかった……というより、普段とは違う様相の闘技場に興味がわき、監視の方に頼んで一緒に見学させてもらうことになった。

 邪魔にならないように注意しつつ、闘技場の各所を歩き回る。日が沈んでからの作業だけに、マナの光を灯してみなさん仕事をされている。意外だったのは、結構緑に近い色の方がいたことだ。家柄とか素質だけじゃなくって、努力で掴み取った仕事なんだろうなと思った。

 星空の下、白い壁の闘技場の中で色とりどりの光が灯っているのは、とても幻想的だった。こういうところで、友人達は式を挙げるのか。いや、さすがに昼にやるのか?

 魔法庁の方にそれとなく挙式の件を聞いてみると、作業中の人員には知られされている話だった。なんとか邪魔にならないように、式までに作業は一段落させたいんだとか。

「照明とかあるんでしょうか」と聞くと、「そういうのは……どうでしょう。ありそうですけど」と工廠の方に返された。


 確証がないとなると、やっぱり予定としては昼にやることになるだろう。ただ、今のこの光景は魅力的だった。夜空の下でマナの光に囲まれての挙式は、きっと参加した全員のいい思い出になると思う。

 その考えがきっかけになって、あの2人のために何かしたいと、強く思うようになった。最高の思い出になるように、何か俺にできることがあれば……

「……どうされました?」顔をうつむかせて考え込む俺に、少し心配そうな声で監視員さんが話しかけてくる。


「少し、お願いがあるんですけど」

「はい」

「複製術の使用って、すでに知っている方に見られるのは問題ありませんか?」

「ええと……そうですね、あくまで衆人環視を避けるのが意図するところですので」

「この場に呼びたい方が居るんですけど」


 俺がそう切り出すと、彼女は緊張した面持ちで数秒間固まり、「誰でしょうか」と、おずおずとした調子で訪ねてきた。


「えーっと……無理ならいいんですけど、禁呪許可申請に関わった魔法庁職員の方と……フォークリッジ伯爵家ご令嬢の、アイリス様です」


 無理もないけど、彼女はまた固まって、解凍するまでには十数秒掛かった。

 少し頭を抱えた彼女は、それでも頑なに拒否することはせず、親切にも上席者に判断を仰ぎに行ってくれた。あとは、許可をいただければいいんだけど。


 先日ネリーが語ってくれた結婚式についてのアイデアと決意は、冷静な人から見れば馬鹿げてるものかもしれないけど、俺が今考えているのもちょっと馬鹿げたアイデアだ。でも、やってみる価値はあると思う。少しでも王都の空気を、良い方へ変えられるなら。あの2人に良い贈り物をできるなら。

 俺は両手をギュッと握って、責任者さんが来るのを待った。


 それにしても、なんだか彼には迷惑かけっぱなしだ。それだけは本当に申し訳ないと思う。

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