第87話 「盾と維持費」

 7月3日、朝。


「そこまででいいでしょう」というエリーさんの声に、はっと我に返る。発言の意図がすぐにはわからず、真顔でじっと彼女の方を見えると、彼女は表情を緩めた。


水の矢アクアボルトは問題ないレベルです。実戦でも格下相手であれば、落ち着いて運用できるでしょう」

「あ、ありがとうございます!」

「これからは訓練と実戦、両方で慣らしていくのが良いですね」


 黄色の染色型と一緒に練習していた水の矢は、気づかないうちにかなり習熟していたようだ。確かに最近はほとんどミスらなくなっていた。問題は黄色の染色型だ。


「かなりいい感じで染まってきましたが、完全ではないですね」

「そうですね。やっぱり、もう少しかかりますか?」

「緑寄りのマナを持つ方ですと1ヶ月ぐらいかかることもありますから、現状の進捗では十分早いほうですよ」


 柔らかな表情そのままに、彼女は俺のちょっとした焦りをなだめた。

 こうして監視つきで練習するのは、本来なら俺と伯爵家への牽制でありペナルティーなわけだが、最近では考えが変わって、彼女にこうして教えを請うのはかなり恵まれた状況なんじゃないかと考えていた。そう考えるならば、試験までの時間が限られているという以上に、そもそもこの指導時間が大変貴重なわけで、あまり成果が見られない魔法で足止めするというのは少しもったいない気がしてならない。

 ……というようなことを彼女に話すと、さすがに照れはしなかったものの嬉しそうに笑ってくれた。


「そうまで言っていただけると、教える側としてもやりがいがありますね」

「まぁ、あんまり焦るのも良くないとはわかってるんですけど……」

「私も急かす気はないですが……そうですね、魔法は並行して2つ覚えていく方針で行きましょうか」


 今までは砂の矢サンドボルトを覚えるための前段階として黄色の染色型を練習し、それに合わせる形で似たような魔法ということで水の矢を練習していた。次に彼女が考えているのは、ボルト系とは少し違う魔法のようだ。


「次に教えるつもりの魔法は、正直に言うと私が全魔法中で一番重要だと考えている魔法です。覚える魔法を一つに絞るべきかどうか迷いましたが、リッツさんのやる気と記憶力ならば大丈夫でしょう」

「一番重要な魔法、ですか」


 彼女にどれだけ実力があるかはわからないけど、生半可じゃないのは物腰や振る舞いから何となくわかる。そんな彼女が言う最重要魔法とはどんなものだろうか、思わず生唾を飲み込んだ。

 緊張する俺を横目に、彼女はそれまでの微笑みからキリッと顔を引き締め、宙に青色の魔法陣を書いた。器と文両方が揃った魔法陣は、何か目に見える効果を発揮したようには感じない。ただ、書かれた場所に留まっているように見える。

 しかし、彼女が魔法陣を書いた右手を動かすと、魔法陣もその動きに追随した。そうやって動かしながら、彼女は俺の方に向き直って言った。


「これが、光盾シールドの魔法です」

「これで矢とか防ぐ感じですか」

「はい。実体のある矢は防げませんが、マナの矢であれば……」


 そこまで言って、彼女は言葉に詰まり目を閉じて考えこんだ。


「一概には言い切れないのですが、とりあえずマナに対する防御策と考えて下さい」

「わかりました」

「実は色の力関係もあって、そう簡単な話でもないのですが……だからこそ、染色型を覚えるタイミングでは光盾が良い教材にもなります」

「Dランクから、色のことを意識することが増えますね」

「ええ、ここから本格的な魔法使いの戦いになっていくと思って下さい」


 そう言われると、挫折者が多いDランク試験が一種の登竜門に思えてきた。緊張と、ちょっとした興奮を覚えた。

 まずは光盾を形作る器の理解からだ。使っている型は2種類で意外と少ない。


「まず、継続型。こちらは慣れているので問題ないと思います。続いて、今日覚えていただく追随型です。正確に言うと、腕の追随型ですが」


 地面に描いた青いDランクの円に、初めて見る型が描き込まれていく。その追随型は可動型に少し形が似ていたが、それよりは複雑な形状をしている。


「この型が、右手の動きに合わせて魔法陣を動かしているんですね」

「はい。似たようなことは可動型でもできなくはないですが、意識して動かすのと、意識せずに勝手に動くのの違いですね」


 そんな説明もそこそこに、さっそく見本通りの型を練習することになった。空の円に描いては器をまるごと消し、また描いては消してと繰り返す。

 多少複雑な図形になったとはいっても、型や器の習得は2人の師が共に認めるところで、そういった自負心も手伝ってか暗記にはそう苦労しなかった。エリーさんの時計で、2時間かかったかどうか、というぐらいだ。


「ランクが上がると円が大きくなりますが、それに合わせて型も大きく複雑になっていきます。こういうところも、Dランクで苦戦されやすいポイントですが、心配無さそうですね」

「ありがとうございます」

「丁度いい頃合いですし、お昼にしましょうか」


 一度練習を切り上げ、俺達は昼食に向かった。



 型の暗記はトントン拍子で進んだ。しかし、厳しいのはここからだと、昼食後さっそく思い知らされることになった。

 昼食までの練習では、空の円に追随型を単独で書き込んでいた。次は追随型と継続型の両方、つまり文を加えれば盾になる状態まで描いていく。

 しかし、型を2つ描き込んだところで、腕から精気が抜けていくような感覚に陥った。黄色の染色型ほど急激に抜かれる感じはないものの、こちらは一定の流量でとめどなくマナを引っ張っていく感じだ。ある程度は耐えられるけど、いつまでもというわけにはいかない。腕がだるくなってきたところで、マナのつながりが切れ、描いた器が消えて無くなった。

「いかがでした?」と、微笑を浮かべたエリーさんが尋ねてきた。


「染色型ほどじゃないですけど、マナを引っ張られる感じがあって……染色型は染めたら終わりですけど、追随型はずっと吸われるみたいに感じます」

「そうですね。実際には、吸っているのは継続型の方です。継続型に追随型が組み合わさって、より強くマナを吸うというところですね」


 エリーさんの解説をすかさずメモる。俺が書き終わるのを待ってから、また彼女は続けた。


「EランクからDランクへ移行すると、魔法陣が大きくなります。魔法陣の大きさは魔法の強さそのものであり、術者への負担も相応に増します。そういったランクアップの影響も、継続型での負担になっています」

「なるほど、Eランクとはわけが違うんですね」

「ええ。まずは、この継続・追随型をずっと維持できるようにするのが、光盾までの第一段階です。マナの吸われ方に違いはありますが、染色型への”耐久力”とも相互に関わり合うところですので、訓練としては効果的かと思います」

「そうですね、こっちの型での気付きが、染色型に活かせるかもしれませんし。練習は交互にしたほうがいいですか?」


 エリーさんは、ほんの少し考えてから首を横に振った。


「今日のところは新しい型の方に専念しましょう。記憶の定着を促す意味もありますし。並行して練習するのは明日からにしましょう」

「わかりました」


 染色型と違うのは、とりあえず最後まで描いて、ある程度は維持できるという点だった。まだ、こちらの新しい継続・追随型の方が、自分でコントロールできている感覚はある。違いを意識するため、マナの流れを客観的に眺められるような視点を心がけて取り組む。


 何回か描いてはマナを吸われ尽くして消えるという流れを繰り返す。魔法に対してマナが足りてないのは染色型と同じだったけど、染色型のマナ要求は一時的なもので、今やっている盾用の器の方は継続的な維持コストだ。後者の問題は、ランニングコストに対して俺側からのマナ供給が追いつかず、備蓄に手を出していることにある。そのままでは維持できずに消えるのも当然だ。

 エリーさんの話では、マナの貯蓄や流れには3種類ある。マナの大元になっていてすぐには動かせない部分、戦いの基本になる短期的な貯蓄部分、そして瞬間的な流れとして出ていく部分。自営業でいうなら、資本金と運転資金と日々の出納ってところだ。


「染色型、それも遠くの色が求める流量をすぐに用意するのは難しいため、黄色の染色型に対して当面は2番目の短期的貯蓄を意識することになるでしょう」

「それで、継続・追随型に対しては貯蓄を鍛えてもそのうち干上がるから、3番目の瞬間的な流れの方を意識するわけですね」

「ええ。瞬間的な流量を増やせれば、染色型もうまく使えるようになるはずです」


 器を維持する練習を繰り返すものの、さすがに維持できた時間を正確にカウントするような余裕はない。幸いというか、この器に気絶するまで追い込むような吸引力はない。ただ持久力勝負になるだけだ。今のところは、いつか相手に追いつかれる事がわかっていて逃げ回っているような状態だけど、それでも気を失いそうになるような心配がないだけ随分楽に感じた。

 染色型に比べれば確かに気は楽だけど、逆に今やってる練習のほうが、自分を積極的に追い込んでいるような感じはある。気が付けば俺は膝に手をついていて、息が荒くなっているのがわかった。「苦しいですか?」とエリーさんが聞いてくる。顔は真剣そのものだ。首を横に振ろうか迷ったところで、素直に縦に振ると、彼女は笑った。


「練習で苦しんだ分、実戦が楽になると思ってください。実戦で苦しい思いをしたなら、それは練習不足です」

「……わかりました」


 涼し気な顔で言う彼女に答えると、俺の頭から汗が落ちて砂に吸われていった。7月になってだいぶ暑くなってきた。こういう練習も、もっと涼しい時期にやってれば効率も違ってたのかな、なんて思った。


 描いては消えてを繰り返し、いくらか慣れてくると維持時間を落ち着いてカウントできるようになった。その時間がハッキリと長くなった――数秒から十数秒ぐらいになった――ところで、エリーさんが声をかけてきた。


「器を描いてから、少し腕を動かしてみましょう」

「……つまり、腕と一緒に器も動かすわけですね?」

「ええ」


 なんだか嫌な予感がして、思わず顔が渋くなる俺とは裏腹に、彼女はにこやかな表情をしている。

 言われたとおり、器を描いてから腕を動かしてみる。すると、外へ引かれるマナの流れが強くなった感じがした。しかし、思っていたほどの急激な変化じゃない。キツいことはキツいけど、もっと急に接続がちぎれるような、それこそ染色型ぐらいの負荷を想像していただけに、これは予想外だった。

 マナの備蓄を使い切って器が消えたところで、少し呼吸を落ち着けてからエリーさんの方に向くと、先に彼女が話しかけてきた。


「いかがです?」

「あまり……予想したよりは苦しくなかった感じです」

「予想というと、どんな感じで想像されました?」

「そうですね……染色型ぐらいキツいのかと。あと、可動型で動かすときのイメージもありました。それで、腕を動かした量に対して、イメージほどの負荷がないなと」


 すると、エリーさんは顔に微笑みを浮かべて小さくうなずいた。


「可動型と比べると、追随型は動かす時の負担が少ないです。代わりに、動かさないときの負荷がありますが」

「追随型は使いっぱなしってところですか」

「そういう認識で合っています。戦闘中であればだいたい動きっぱなしですので、低負荷な分だけ使いやすいでしょう。そもそも、可動型を戦闘中に使う余裕がないということもあります」

「確かに、自分で動きつつ魔法も動かすなんて、大変なことですからね」


 そう考えると、ロボットに乗ってビット兵器を動かす連中は、本当にとんでもないとあらためて思った。とてもじゃないけど真似できそうにない。

 それからは、器を描いてから腕も少し動かす練習に入った。こうして腕を動かすことで、自分に対して負荷をかけるのが良い刺激になるらしい。エリーさんに言わせれば、「ただ吸われるよりも、能動的に負荷をかけるほうが上達が良い」そうだ。



 日が沈んできて、今日はおしまいということになった。器の維持時間は少し伸びて20秒いくかどうかぐらいになった。進捗が良いのかどうか、自分ではよくわからないものの、エリーさんに言わせれば初日としてはかなり良い方のようだ。


「もともと、可動型で慣れているというのがあると思いますが、なかなかの成果です」

「そうですか?」

「可動型を使っていると、負荷が変動する感覚があると思います。あれに慣れているおかげで、追随型の負荷の変動にも順応できている感じですね。普通は、腕を動かした途端に消えることが多いです」


 言われてみれば、水やり訓練だの似顔絵だののおかげで、視導術を通して可動型には慣れ親しんできた。その成果が、今回の追随型にも現れたようだ。


「当分は、今日みたいな練習を続ける感じでしょうか」

「そうですね……当分というほど長くはならないと思いますが」


 一度話を切ってから、彼女は微笑みつつ、目に力を込めて話を続けた。


「光盾に関しては、色々と教えたいことがありますので、追随型の習熟が早く済むと好ましいですね。私としては、そうかからないものと楽観視していますが」

「……がんばります」


 顔の汗を拭いながら答えた。水はけの良い地面からは、流れた汗がすでに乾ききっていたけど、今日一日でどれだけ汗をかいたかわからない。

 しかし、エリーさんの言う”教えたいこと”とやらには興味があった。疲れがあるのは確かだし、明日もこんな感じなんだろうけど、自分でもモチベーションが高まっているのがわかる。

 彼女に教えてもらえるのは、あと3週間てところか。できる限りの力を尽くして、自分の力にしてみせよう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る