聖水少女
白川津 中々
恋の香
漏水香織の尿は実に馨しかった。
金木犀のように淑やかで、薔薇のような高貴さを持ち、桃のように甘く、梨のように瑞々しい、まるで極楽浄土に流れる川の如き芳香が、彼女の尿からするのであった。凡人の鼻をつくアンモニアとは無縁の特異体質である。
香織はその異質に多少の恥じらいを感じてはいたが「これほど人を虜にする臭気もあるまい」と内心満更でもないばかりか誇りにさえ思っており、自身の尿を振りかけては学校へ行き「あら、今日もいい香りね」などと学友からの賛辞を受けるのを至上の喜びとしていた。それはエクスタシーこそ伴わなかったが性の琴線に触れる倒錯した癖であり、香織自身も自らの行いに異常との
故に彼女は止まらないのである。
故に彼女は自身の尿を振りかけるのである。
これだけでも十分に倒錯した趣味といえるのだが香織にはもう一つ悪癖があった。それは共働きの両親が遅く帰宅するのをいい事に、庭先にある松の木の根本に放尿する事である。
発端は夜に厠まで足を運ぶのを煩わしく思った彼女が物臭に任せて縁側から這い出て野粗相仕ったのが始まりである。微睡の中夢心地で小水を放つのはさぞ心地よかった事だろう。そして例の尿臭。排尿の喜びと同時に漂うパルファム。その刺激は脳に刻まれ極上の快楽とあいなったわけである。また、翌日に松からほのかに香る尿の匂いが、香織の自尊心と達成感を擽り変質者めいた心境に至らしめるのであった。以来、野粗相は彼女のライフワークとなり、夕方を少し過ぎた頃に致し、悦に浸る。ご近所から「いい香りがしますね」といった声が聞こえればしめたもの。香織は自分の尿の香りに酔いしれる人間を想い、陶酔するのあった。
とはいえ元は尿である。汚物である事に変わりはない。香織の体質を知る父母は極めて常識的な人間であり、彼女の尿に対して極めて一般的な人間の反応をする。有り体にいえば「汚い」である。一度、野粗相が露見した際にはこっぴどく叱られていたが、やむなしであろう。
こんなにいい匂いなのにどうして分かってくれないのだろう。
香織は常々そう思っていた。道徳意識の一部が欠落した彼女は両親の平凡な思考に疑問を抱かずにはいられず、また悩んだ。絶対的な理解者が不在というのは思春期において大変なストレスだからである。香織はそんな部分だけ、普通の中学生と変わらなかった。いや、変わらぬ所はもう二点ある。それは、自身の悪癖が白日の元に晒されればただでは済まぬという自覚がある事。もう一つが、盲目的にシャネルの五番だとかをありがたがる少女と同様に、彼女は恋をしているという事である。
椿天花。
それが香織を色付かせる男の名である。
香織がこの男に心惹かれたのは名が美しいからばかりではない。焦がれる理由は、彼こそが彼女が持つ潜在する欲求を、心より願う渇望を満たす事ができると信じているからである。
それはとある日。多くの人においては素晴らしき平凡が約束された退屈な日常であったが、香織にとって強烈かつ濃厚な一日となった。とはいっても実際のところ大それた事象が発生したわけではなく、彼の天花に「今日いつもと香りが違うね」と声をかけられただけなのであるが、それは香織にとっては大変な事態であった。
この人は私のおしっこの違いを分かってくれる人。
香織の意識においてそうした人物像が作られた。事実、その日の香織の尿はやや柑橘系の要素が含まれるフレッシュなテイストであった(前日に山ほど平らげた夏蜜柑が作用していたと思われる)。しかしそれは極々微細であり素人には決して嗅ぎ分けられるるものではなかった。それを天花は見事成し遂げたのである。瞬間落ちる。恋の沼。香織はLOVEの四文字越しに天花を見るようになる(その後天花はしばらく女子連中に
香織は自らの尿を正しく理解できる人間に初めて出会った。それが嬉しくもあり、また恐ろしかった。自分の香りが排泄物であると看破されるのではないかと気が気でなかった。だが、その心の胎動こそが恋愛となり、青春なのである。香織はまさしく今、灼熱に燃えるような、甘い滴が滴るような、身が削れるような、激しく、淡く、輝かしい恋慕に取り憑かれているのであった。
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