ハードラック&イービルワン

逆塔ボマー

ハードラック&イービルワン


 その日の午後、リリィウェストの街外れ、小高い丘の上にある共同墓地には、奇妙な緊張が張りつめていた。

 半ば自然公園のようになっている広大な敷地。そのあちこちに、参拝客でもない、散歩する市民でもない存在が二種類。

 片方は揃いの黒のスーツにサングラスの男たち。いずれも懐には何か重い塊が入っていて、胸元には東洋の漢字一文字で『』を象ったバッヂが光る。

 片方は……こちらは服装はバラバラだ。薄汚れたホームレス、あるいはストリートキッズの類。見たところ武器らしい武器は持っていない。

 どちらの集団も二、三人ずつ集まって、もう片方の集団とは距離を置いて存在していた。


 牽制しあうように視線を交わす二種類の集団が散在する公園で、ただ一群、静かに歩を進める者がいた。

 うち二人は屈強な体格をした、黒スーツの男たち。

 一人は……長い白髪も美しい、凛々しい雰囲気の老婆。

 シンプルながらも高級そうなドレス、両手の指に光る大振りな宝石のついた指輪、やや派手な装飾の握りを備えたステッキ。

 ほとんど杖を突くこともなく、背筋を真っ直ぐに伸ばし、霊園公園をカッカッと足を鳴らして歩く。


「止まれ。ここから先は、そのババアだけだ」


 やがて一行が公園の片隅、ちょっとした石段の前に辿り着いたところで、行く手を遮る者があった。

 いかにも浮浪児、といった風の少年二人である。何気なく立ち上がったその姿が、その実、まったく隙というものがない。素人ではない。

 黒スーツの男だちは眉をしかめる。


「クソガキどもが、誰に向かって言ってやがる。それにな、こっちだって、はいそうですか、なんて言える訳ないだろう」

「この先にいるのはたったひとりだ。それとも何だ、ビビってんのか」

「なんだとぉ?」

「はいはい、どっちもその辺にしておきなさいな」


 今にもつかみ合いを始めそうになる両者を止めたのは老婆だった。

 ただひとりニコニコと温和な笑みを浮かべたまま、石段の上を指す。


「あの子はこの先に居るのね?」

「あ、『あの子』……ってか、まあ、たぶんそうだ。がアンタを待っている」

「そう。じゃ、行ってくるわね。みんなはここで待っていて。私のいない間に、ケンカしちゃダメですよ?」

「ぐ、! 何かあったらすぐ呼んで下さい! こいつら張り倒してでも駆けつけますんで!」


 はいはい。老婆はニコニコと微笑むと、心配そうな男たち、不安そうな少年たちをそこに残して歩を進める。

 長い石段を苦も無く登っていくと、やがてその先には展望台のようなスペースがあり……

 果たしてそこには、修道服に身を包んだ老シスターが一人、ベンチに腰かけて待っていた。


「――よぉ、『』。久しぶりじゃねぇか」

「あらあら、『』。ついこないだ会ったばかりじゃない、新市長の就任パーティで。もうボケちゃったの?」

「うるせ、あんなの会ったうちに入らねェよ。互いに遠くからチラッと見ただけじゃねぇか」


 不敵な笑みを浮かべた老修道女は、プハーッ、と盛大に紫煙を吐き捨てる。手元には当たり前のように火のついた煙草。

 ポイ、と捨てて、足で踏みにじる。


愛煙家ヘビースモーカーは治らないのね。運動したら息が切れちゃうわよ、『キョウ』?」

「そういうお前は相変わらずの大酒飲みうわばみだって聞いてるぜ。肝臓の数字とか大丈夫か、『アク』?」


 リリィウェストの街の夜を支配するマフィア、惡一文字を象徴として背負った組織『イービルワン』。

 浮浪者たちの事実上の元締め、カンフー教会、もしくは『ハードラックチャーチ』の名で知られた修道会。


 街の暗部を二分し、いまや激しい抗争状態にある組織の女傑二人は、肉食獣のような笑みを浮かべて視線を絡めあった。


  ★


 数十年前、この暴力の街リリィウェストには名高い二人組の女たちが居た。

 賞金稼ぎのような真似もやったし、傭兵のようなこともやった。短期の護衛のような仕事も受けたし、暗殺じみた後ろ暗い仕事もやった。

 およそ個人の暴力をカネに替えられる仕事なら選り好みはせず、陣営も選ばないが自分たちへの裏切りだけは許さない。

 二人の二の腕には一文字ずつの東洋の漢字のタトゥー。『凶』と『惡』。いつしかそれがそれぞれの通り名となり、後に偽造した戸籍にも刻まれる公式の名となった。


 カンフーの達人、大男も車も拳ひとつで吹き飛ばす『キョウ』。

 射撃の達人、大小あらゆる銃器を自在に使いこなす『アク』。


 それぞれにこの街に流れてきた彼女たちは、いつしかこの街の最強として疑われることもない存在となっていた。


  ★


 共同墓地を含む公園の、展望台のような一角に立つと、高層ビルの立ち並ぶリリィウェストの街が一望できる。

 ゆっくりと赤く染まっていく空の下、ネオンの光が早くも目立ち始めている。


「んで、アク。あんたがあん時に股からひりだしたガキ、今、どうよ」

「あの子ももう大人、ガキなんて年齢ではないですよ。……峠は越えたと聞きました。ただ、まだ予断を許さない状況ですって」

「そうか。……こっちの坊やも、今朝、意識を取り戻したよ。まだ起き上がれない……下手したら一生もう歩けない身体だがね」

「神父様が? そう……良かった、というべきなのかしら」


 抗争中の組織のトップ……いや、互いに一度は引退した身なれど、双方の現役指導者が倒れ、暫定的に指揮を執ることになった老婆二人は溜息をつく。

 街の中には疑心暗鬼が渦巻いている。細かなトラブルはあれど、長年上手くやってきた者同士が傷つけあっている。


「念のため、確認しておきます。キョウ、結局のところカンフー教会はドラッグと無関係なのね?」

「あたりめぇだろ。うちらの中でもヤクは御法度だ。たまに他所で中毒になったようなのも流れてくるけどな、ちゃんと片端から病院に送ってるぜ。そっちこそ、そこは方針曲げてねぇんだよな?」

「ええ。名前も変え看板も変え、血も構成員も混じって原型を留めてはいないけれど、この地に根付いたマフィアの誇りまでは捨てていないわ。数人、馬鹿を粛清することにはなったけれど」


 ここ最近、街には出どころ不明の強烈な違法薬物が出回っている。これほどのモノを扱えるような組織は、表向きこの街を縄張りとするマフィアか、炊き出しなどを通じてホームレスたちを統べるようになったカンフー教会。普通に考えてこの二択であり……しかし双方、少数の下っ端の下っ端がうっかり手を出してしまった程度。

 誤解と焦りが流血の事態を呼び、双方の長も傷つき、今やこの街は爆発寸前の火薬庫だ。この会合を持つことすら相当に難しい賭けだった。


「……間違いはないわね?」


 老淑女は手にしたステッキの石突を老修道女に向ける。いや、それは銃口を備えた仕込み銃だ。ピタリと相手の胸元に突き付ける。


「……お前こそ、だろ?」


 老修道女は修道服のどこに隠し持っていたのやら、両手にトンファーを一本ずつ構えていて、その片方の先端を老女に突き付ける。


 互いに一呼吸で命を奪える体勢で、かつての相棒同士は殺意を尖らせる。


  ★


 かつて複数の犯罪組織が覇を競っていた暴力の街、リリィウェスト。

 その構図を崩したのは、やはり最凶最悪の名をその身に刻んだ女たちだった。


 二人が拠点としていた荒くれ者の集う酒場に、ふらりと迷い込んだ身なりのいい少年ひとり。めったにないとばかりに二人がかりでベッドに連れ込んで、三人で大いに楽しんで。

 紆余曲折の末、少年はつまらない抗争に散って、そして……


 それは二人にとってカネにならないではあったが、過去最大のともなった。最終的に三つの大規模犯罪組織が壊滅し、少年という正統後継者を失ったマフィアだけが残された。


「……あのさ、キョウ」

「どした?」

「あたし……孕んだみたい」

「はあ?!」


 アクの妊娠が判明したのは、街のパワーバランスを大きく変える大掃除が終わった後だった。

 もちろん、マフィアのリーダーの血を引くあの少年の子だった。同じことをしたはずのキョウの方には何も起きなかった。

 結局チームは解散となり、アクは母子ともどもマフィアに迎え入れられた。

 一人きりになったキョウは、途端に何もかもやる気を失って、路上生活に身を堕して……やがて、スラム街の片隅のその教会に流れ着いた。


  ★


「……ま、ねぇわな」

「そうね。お互い、まだまだボケちゃいないようだし」


 たっぷり二分ほど、武器を突き付けあっていた老婆たちは、何事もなかったかのように腕を下した。

 陽が落ちて、周囲は急速に闇に呑まれていく。不夜城の明かりがきらめき始める。


「んで、そっちの見立てはどうだ」

「新市長ね。あの男が前にいた街に拠点を置いていた組織が、このところ何やら妙な動きをしている」

「こっちも同じ考えだ。市の庁舎に妙な連中が何人も出入りしている。新市長の就任からだ」

「今はまだ泳がせているけど、末端の売人もおおむね同じ街から来ているようね」

「慈善事業を騙るボランティア団体だろ? とんでもねぇボランティアもあったもんだ」


 炊き出しなどの活動を通じ、そして、自衛のためのカンフー教室を通じてホームレスやストリートチルドレンを統べるようになった凶の教会ハードラックチャーチは、街のありとあらゆる所に目を持っている。

 街の暗部の正統支配者、外の暴力組織との付き合いもある惡一文字イービルワンと胸襟を開いて情報を共有すれば、暴けないものなどない。


「しかし時間がねぇな。うちの坊やもそっちのガキも、後手後手に回り過ぎた。悔しいがあちらさんの分断工作が上手すぎる」

「互いに家族が大きくなり過ぎたのも痛いのよね……言って聞く子ばかりでもないし、目の届かないとこはあるし」

「こっちは抑えきれてあと一日、ってとこだ。そっちは?」

「似たようなものね。『グランドマザー』の名をもって命じて、二十四時間くらいが限界でしょう」


 真の敵は見えている、しかしもはや互いに相争い血を流してしまっている。暴力に生きる者たちはそう簡単には止まれない。

 老婆たちは彼らの生態を知り尽くしている。このままでは、待っているのは互いに潰しあって、そしてよそ者に漁夫の利を掻っ攫われる展開だけだ。


「となると……まあ、他に方法はねぇか。だいぶ久々だが、ヤれるよな?」

「そうね。腕が鳴るわ」

「準備はできてんだな?」

「ええ。下の車まで戻れば、色々積みこんであります」


 ニヤリと笑うと、老婆たちは身をひるがえす。揃って石段を駆け降りる。どちらもとても老人の動きではない。


「そういやよ、目ぇヤっちまったって聞いたが、問題ねェんだよな?!」

「白内障の手術で、前よりよく見えるくらいよ。そっちこそ、足の骨を折ったって聞いたんだけど?!」

「あいにくと人工関節入れてから、前よりもよく動くくらいでね!」


 肩を並べて走る老婆二人を見て、護衛のはずの黒服たち、浮浪者たちが大いに慌てるが、二人は無視して駆け抜ける。遮る者は軽く突き飛ばし投げ飛ばし、あるいは杖で足を払う。

 公園入口に止めておいた車に辿り着くと、運転手役の黒服を片手で引きずり出して放り出し、二人きりで乗り込む。


「おめぇら、とりあえずこの一晩は休戦だ! 下手なことするんじゃねぇぞ!」

「あなたたちは『何も知らない』。『何も聞かされてない』。いいわね? 万が一の時には、適当によろしく」


 追いすがる男たちに大声で言い捨てると、老婆二人を乗せた車は急発進する。

 目指すは新市長の首ひとつ。


「クソ野郎の居場所は押さえている。この時間ならまだ市庁舎に籠ってるはずだ」

「兵隊の数はだいたい読めているわ。ボランティア団体に偽装した、二十数人ってところ。ちょっとした軍人くらいの練度と装備だそうよ」

「なんだ、楽勝じゃねぇか」


 腕まくりした二人の肌に浮かぶのは、今も変わらぬ『凶』と『惡』の二人で一揃いのタトゥーの文字。

 シスター・キョウと、グランドマザー・アク。

 暴力の街リリィウェスト、伝説の夜が、始まる。


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