社畜が吸血鬼に転生したようなので、自由に世界を旅してみたいと思います
伊達スバル
第一章
第一話 社畜から生き返ると異世界だった
「生まれ変わるなら、好き勝手に生きたい……」
天宮理央はその日、過労死した。
度重なる残業、終わらない仕事、上司の罵詈雑言、後輩からの軽蔑。
仕事が出来なかったわけじゃない。ただ生来、生真面目だっただけだ。
子どもの頃から「いい子」と言われて育ち、品行方正・成績優秀。運動は得意でなかったが学力偏重の社会なので問題はない。
小学校から大学まで何の問題なく通り過ぎ、真面目で堅物を絵に描いたような人生だった。
しかし社会人になると一変。
真面目さは「融通が利かない」。
堅物は「ノリが悪い」。
品行方正は「説教臭い」。
そんな中、彼の味方は職場にいなかった。同僚ですら彼を疎んでいた。
真面目さも相まって残業、休日出勤を拒めず、あれよあれよと毎日出勤。
二時間睡眠で三年過ごせば、立派な社畜も骸となった。
死ぬ直前、彼は思う。
どうして自分がこんな目に合うのか。
大人達の言うように真面目に生き、期待に応えてきたのに、どうして。
彼は社会を憎んだ。
死の間際、摩耗しきった彼の感情は蘇り、社会への怒りを抱く。
俺は社会に裏切られた。俺の人生は無駄だったんだ。
絶対に。絶対にこの社会を許さない。
そして同時に思う。
もし。
もっと自分に寛容な世界があるのなら。
もっと自分に力があるのなら。
生まれ変わって、好き勝手に生きたい、と。
◇
「あ……?」
自分は会社のデスクの上で死んだはずじゃ、と理央は客観視していた。
死の瞬間に全てを見たのだ。自分の死も、それを取り巻く状況も。
だからこそ不思議と落ち着いていた。
死後の世界なんて信じてはいなかったが、いざ死んだはずの自分の意識が存在しているとなると驚きだった。
だが、それ以上に問題なのは。
「なんで真っ暗なんだ? それにすごく狭いし、息苦しい……」
目覚めた時、視界は闇で覆われており、自分が横になっていて、どこかに閉じ込められていることだけはわかった。
生き返ったのか、と真っ先にそれを危惧した。
もし生き返ってもあの社会で生きていける気はしない。
あの世界は自分に合わなかったと心がポッキリ折れていたからだ。
しかし、もしここが棺桶ならば外から人の気配がしてもおかしくない。なのに辺りは音のない世界のように静かだ。
静寂が耳に痛い。脳裏に焼却炉で目覚めたのではという考えが浮かび、背筋に恐怖が走った。
「よくわかんないけど、ここから出なきゃな」
状況がわからない以上、それが最善手のはずだ。
開かないだろうなと考えながら、理央は目の前の天板を力いっぱい押した。
「おおおおらぁぁぁああああああ!!!」
耳を劈く轟音と共に、空が開き、真四角に青空が映し出された。
「え? あ、あ? 外、か?」
吹っ飛んだ天板は遥か遠くまで吹き飛び、どこかへ消えていった。自分の力に戸惑いながらも状況を確認する。
切り開かれた空間を覆っているのは見るからに土だ。
やはり自分は埋められていたのだと確信する。
予想以上の力に驚きはしたが、不思議とありえないとまでは思っていない。この身体がこれだけの力を持つと本能で理解していた。
ともかく、出なくては。そう思って身体を起こし、考えもなしに跳んでみた。
自分の数倍はある土壁を軽々と乗り越え、地上に出る。
周囲を木々で囲まれ、花や草が一面に広がっていた。抜けるような青空が牧歌的な雰囲気を更に高めている。
「もしかして、天国か?」
そう思わせるには充分な空間だった。それなら自分の力も不思議じゃない。
死後の世界に常識はないだろう、と変に納得した。
まだ元気だった頃、通勤中のわずかな楽しみだったWeb小説や漫画のおかげだ。いやに現実離れした設定もすぐに受け入れられた。あそこにはこれ以上に荒唐無稽な状況ばっかりだったのだから。
「リオン……! 生き返ったのかい!?」
背後から声を掛けられて振り返る。
そこにいたのは真っ白な髪を持って、真っ白なローブを着た見るからに優男風の人物だった。
「……生き返ったというのは?」
今すぐに「この状況はどういうことだ!? 説明しろ!」と訊きたいのはやまやまだった。
だが一度死んだくらいで生来の生真面目さを捨てて暴言を吐けるはずもなく、かといって知り合いのようだし必要以上な低姿勢で接していいのかもわからず、とりあえず訊き返すことしか出来なかった。
「ああ、いや。記憶に混乱が生じてるのかい? とにかく家で話を聞こう」
「しかしこの穴が……」
不可抗力とはいえ自分で開けた大穴だ。草原の一部分をくり抜いたような状況になっていて、それを放置して行けるほど理央は豪胆ではない。
「大丈夫。こんなものこうだよ」
優男が腕を振ると一瞬で大穴は塞がり、元から草原だったかのように穏やかな風景が取り戻された。
それに驚くものの、腰を抜かすほどじゃない。やはり自然の内に、こんなことは普通だと知っているようだった。回らない頭で理央はそれだけ理解する。
「さ、こっちだ」
先導する優男の後に付いて歩く。
するとわずかな林を抜けただけで、花畑の中心に木造の家が現れた。
まるで小さなコテージのようなログハウス。森の中にあるという光景も相まって、天国よりもおとぎ話に迷い込んだような気分になった。
◇
「さて。今の君は記憶喪失ということで良いのかな?」
家の中に入り、テーブルで優男と向かい合う。出された紅茶に手を付けるのは躊躇われた。ここがどこで、この男が誰なのか、それを知るまでは心を許しすぎてはいけないと思ったから。
これを淹れてくれたのは男と同じように真っ白な髪を持ったメイドだった。いかにもなメイド服に身を包んだ綺麗な少女。もしかして妹か何かなのだろうか。少女を目で追っていると、男が口を開く。
「彼女はフィーリス。僕のホムンクルスさ」
ホムンクルスというのは聞いたことがあった。命令に従う従順な下僕。しかしこんな少女の姿、しかもメイド服を着せるとは。この男の趣味も大概であることが察せられる。
「ではまず自己紹介といこう。僕はクライン。この森で隠居生活をするしがない魔族。職業は、そうだな。【魔術師】かな。そして君の親友さ」
「親友?」
「そうとも。だが君は運悪く死んでしまってね。それを埋葬した直後だったんだけど、まさか生き返るとは。君の生命力には脱帽だよ」
魔術師とはなんだ、とか。
どうやって死んだのか、とか。
本当に親友なのか、とか。
色々訊きたいことはあったが、既に理央の頭の中には一つの仮説があった。
「……俺は何者なんだ?」
それを確かめる為に、質問をする。
クラインは笑ったまま素直に答えた。
「君の名前はリオン。吸血鬼の王だよ」
リオン、と声を出さずに口の中で繰り返す。俺の名前と音が似ている。
吸血鬼の王。それはきっと世界を好きに出来るほどの力を持った存在。
それに俺がなっているということは――。
「殺しても死なないはずの君がなぜ死んだのかはわからないけど、とにかく生き返ったんだからいいよね!」
薄情なことを満面の笑みで言い放つクライン。
だが理央――リオンは自分の仮説が真実味を帯びたことを確信した。
これは転生だ。恵まれなかった俺の人生を哀れんだ女神とかそういう上位の存在が、俺を転生させてくれたんだ。
第二の人生。俺が好き勝手に生きられる状況を整えてくれたに違いない。
よく読んでいたWeb小説とかでは最初に上位の存在から説明が入るものだが、それはそれ。創作なのだから仕方ない。
本当に転生したのは、きっと世界で俺だけなんだから。
幸運な状況に、リオンは内から湧き上がる嬉しさを抑えるので精一杯だった。ここで笑いだしてもいいが、目の前の男に変に思われるだけだろう。
ということは、コイツ――クラインが親友なのも本当のことのはずだ。俺がこの吸血鬼の王とやらに転生したのだから。来歴が変わるわけではない。
だから、俺はこのまま記憶喪失ということにして、自然な流れで冒険に出よう。
満員電車と寝に帰るだけのボロアパートの往復だった灰色の毎日を忘れて、異世界を自由に出歩こう。
俺にはきっとそれだけの力があるのだから。
多分、世界を相手に無双出来るだけの力が。
それとキャラも変えよう。今までの真面目さとはおさらばして、吸血鬼の王らしい喋り方や態度を心掛けようと決めた。
「ところでリオン。君の記憶のことだけど、どうだい? 世界の常識も忘れてるのかな?」
「そうみたいだな。何も思い出せない」
ただこの世界に魔法――いやクラインが魔術師と言っていたから魔術か――があり、それを当然のように受け入れていた。身体に残った記憶なのだろう。この世界に来たからか、理央は既にリオンとして馴染んでいた。
「なら教えようか。この世界と、君について」
神妙なクラインの声を制してリオンは立ち上がる。
「いや、いい。俺は旅に出る。自分で思い出すさ」
「……そうかい? なら武器を返しておくよ。形見として取っておくつもりだったけど」
クラインはメイドのホムンクルス――フィーリスに目配せし、奥から武器を取ってこさせた。
手渡されたそれは、一本の日本刀。闇のように真っ黒な鞘。
受け取って刀身を確認する。日本刀の実物は見たことなかったが、一目で業物だとわかる。リオンの本能がそれを告げているのか。それとも素人にすらわかるほど刀鍛冶の腕前が優れているのか。
リオンはそれを腰に提げようとして、自分の左腰を見やる。
その時にようやく自分の服装を確認したが、真っ黒な外套――前世で言えばロングコートのようなものを羽織っていた。中はこの世界における軽装のようなもので、それも全て色は黒だ。リオンは前世で自分が黒いスーツしか着なかったこと、休日も黒いファッションを好んでいたことを思い出し、自分は黒の服から逃れられないのだなと嘆息する。
ついでに鏡を借りて外見のチェックをする。髪型は短いものの、全体的に逆立てるような髪型だ。触ってみた感じ整髪料を使っているわけでもなく、頑固なクセ毛として逆立っているようだった。顔はバランス良く整っているが、とにかく目つきが悪い。前世では三徹した時じゃないとこの眼力は出せなかっただろう。
ともあれ。そこまで問題のある容姿でないことに安堵する。
外套には刀を提げるベルトが付いており、そこへ刀を差す。すると自分でも思っていなかったほどしっくり来た。これがなくては始まらないかのような、相棒を取り戻した感覚だった。
「旅に出るのなら、僕の魔法陣を頼りにしてくれて構わないよ」
「魔法陣?」
「以前、僕が世界を旅した時に各地に設置したものだよ。まあ普通の人間には見えないけどね」
「その魔法陣は何が出来るんだ? 転移とかか?」
「記憶がないからか気楽に言うねぇ。そんな簡単に転移魔術は使えないよ。せいぜいヒーリングだね。魔法陣の上でじっとしてれば、体力も魔力も回復するよ」
思っていたよりも大した効果じゃなくて肩透かしを食らう。だがこの世界については何も知らないのだから、せいぜい利用させてもらうとしよう。
俺は外へ出ようと玄関のドアへ手をかける。
「リオン。君は強い。剣技も魔術も最高峰。固有スキルの魔眼だって使えるし、肉体も魔力も急速に自然回復する術を持つ。だけどね、気をつけた方がいい」
剣呑なクラインの声音に振り返った。
彼は神妙な顔をして告げる。
「だって君は、一度死んでいるんだから」
確かにそうだ。
俺は吸血鬼の王と呼ばれるくらい強い存在のはずなのに、どうして死んでいたのだろう。
「呪術の類か、それとも何らかの罠にはまったのか。それはわからないけど、今の君は本来の十分の一も力を出せないだろう。とにかく慢心はしないようにね」
十分の一。それでは俺の描く無双なんて夢のまた夢なんじゃないか。そう考えてドアノブを回せずにいた。
するとリオンの心の内を見抜いたのか、クラインが明るい声を出す。
「そうは言っても人間よりは全然強いし、記憶が戻るか、身体が馴染めば力を取り戻すと思うよ。僕の言葉なんてあんまり気にしない方がいい」
「……忠告として受け取っておく」
クラインの言葉を胸に留め、俺は自由の世界へと旅立つのだった。
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