第12話 オーバーオールと魔法使い

 『この世では誰もが苦しみを味わう。そして、その苦しみの場所から強くなれる者もいる。』​───────ヘミングウェイ





 ─1918年 4月6日 フランブル地方 西部方面軍 第1独立機動支隊


「なんだこりゃあ?!」


 野営地の外れでミコ・カウリバルス中尉が黒髪を揺らして驚きの声を上げた。

 彼女の手には命令書がひらひらとしている。送り主は第三軍司令部、そして近衛第1師団の師団長エドヴァルド・ペトロフだった。

「第1独立機動支隊は今後の攻勢作戦に向けて北方の人民帝国の領地に潜入、付近の街を偵察せよ​───────か。」


 連邦は今、戦線を安定させるべくエルムズ川と呼ばれる北の河川のラインまで攻め上がる反攻作戦を計画していた。

 この戦線左翼は以前大攻勢を掛けられたこともあり、その二の舞を避けようとしていたのだ。


 現在両軍とも、次の作戦の為に戦闘らしい戦闘は起きていなかった。この間に最近新設された第1独立機動支隊、通称クレセント・コマンドを運用しようとしている。


「初陣が偵察任務か…はは、まあちょうどいいかな。」

 ミコは笑いながら頭をかいた。それを見ていた部下のサーシャ・コンドラチェンコ少尉が声を掛けた。

「ミコ、多分エドヴァルド師団長の事だからただの偵察じゃないよ。人民帝国帝国の街でスパイをしろって言ってるんだ。責任重大だよ。」


「…え?」

 彼女は以前、エドヴァルド師団長のもとで働いていた。



 その晩、クレセント・コマンドの一部の部隊は行動を開始していた。その数は百騎にも満たない。

 地を駆ける騎兵部隊の先頭を箒に乗って走るのは、隊長であり魔法使いであるミコ、続く二番手は同じく魔法使いのサーシャだった。


 部隊は一度大きく西に走ってから北上を開始した。以前の状況と違い、戦線左翼に展開する人民帝国の部隊の数も少なくなっている。

(やはり主力を中央に集めているのか。)

 ミコはそう思いながら夜空を見上げた。星がきらめいている。彼女の背中には先日プレゼントされた新式のライフルが掛けられていた。

 その銃は普通の支給品のそれとは違い、軽く扱いやすかった。しかし一番大きいポイントは、打つ度に手でレバーを引いてコッキングをする必要がなく、トリガーを引く度に弾が飛んでいくというセミオート方式であった。


 翌朝、クレセント・コマンドは人民帝国の領地に入り、お目当ての街である『エリス』の近くまで来ていた。

「中尉、ほんとに二人で大丈夫ですかい?」

 ミコとは仲のいい曹長が心配そうに声を掛けた。

「ああ、大丈夫だよ。全員があの街に入ってバレないなんてことはないし、心配なら後から一個分隊でも寄越してくれ。」


 誰も寄り付かなそうな森の中で、ミコとサーシャはコートのフードを被りながら外の明かりのある方へ体を向けた。


 あっそうだ、と言いながらミコはポケットの財布から金貨を1枚取り出し、曹長に向けて指で弾いて飛ばした。

「?」

 曹長はそれを不思議そうな顔をして受け取った。

 金貨は普通のそれと変わらず不死鳥が描かれていた。

「もしわたし達が異変を感じて曹長を呼びたい時はそれが熱くなるよ。逆に、こちらに異常を報せたい時は描かれてる不死鳥を強く擦ればこっちのが熱くなるんだ。ほら!」


 曹長の持つ金貨が手の中で熱くなり始めた。どうやら指揮官は魔法の金貨をくれたらしい。

 間違って支払いに使わないようにね!と手を振りながらミコは森の外へと歩き出した。

「……はあ。」

 やれやれといった顔をして曹長は二人を見送った。


 人民帝国の領地の南にある街であるエリスは、それなりの大きさの街だ。この辺りは前線から遠くないが田舎なので部隊が隠れる余裕のある森林や山が豊富にあった。


 エリスの街は、賑わいを見せていた。石畳とレンガの街は戦争の影響を感じさせないほど豊かだった。

「うわ〜!凄いなあ。」

 ミコはフードを取って黒く短い髪を露にした。周りの建物は背が高く、屋根は鋭く角度をつけて佇んでいる。

「ホントだよ、新しい皇帝になってからの経済政策が上手くいってるのかな?」

 サーシャも同様にフードを取ってピンク色の髪を露にした。

 周りの人間から見れば二人の服装は旅か旅行に来た学生に見えるだろう。二人は来る前に着替えてきていた。コートこそ地味な色合いだが、その下には普段内地で着ているようなカジュアルな服装を着ていた。年齢よりも幼く見えるミコはオーバーオールを、発育のいいサーシャはゆったりとしたワンピースを着ていた。


 もちろんそこにライフルという物騒なモノは持ってきていない。その代わり拳銃は懐に、軍刀は背中の荷物に忍ばせている。

 街の様子を見つつも二人は手近な宿屋で部屋を取った。国境に近い街の店だからか、店長のオヤジは他国の貨幣でも気にせず支払いを受け付けた上に両替までしてくれた。

「きっとこの街も戦火に包まれると思うと、心が痛む気もするね。おお!」

 ミコがベッドに腰掛けて、口を逆Vの字にして喋った。なかなか柔らかい。まともなベッドで寝たのはしばらくぶりだ。いい店を当てたんじゃないか?

 そう思いながらミコは部屋を見渡した。あまり広くない部屋にベッドがふたつ置いてある。小さなテーブルの上には灰皿が置かれていて、壁にはタバコによる染みが付いていた。


「さて…サーシャ、何かめぼしいものはあった?」

「いや、今のところ特には。この政治体制だから、事実を報道しないということも十分ありえるね。こないだのヘルムート湾の大敗北については全く書かれてないなあ。」

 サーシャは部屋に来る途中で購入した人民帝国の新聞をパラパラと見ていた。ミコも脇からひょっこりと覗いた。そして何かを見つけ、これは?と指さした。


「『前線で躍動!パーシバルの血脈』…パーシバルってこの帝国を治める血筋のことだよね?」

 ミコはそれに書かれた見出しを読み上げた。人民帝国を治める皇帝の血には、パーシバル家と呼ばれる独裁の血が流れている。もちろん今の皇帝にもパーシバルの姓が付いていた。

「ああ、政府のプロパガンダ記事じゃない?戦争で活躍しているように書いてパーシバル家の求心力を損なわないようにするっていう。」


 中身はパーシバル家の血と姓を持つ若い将校が戦果を上げたというだけの中身のない記事だった。サーシャの見立てでは、「クーデター政権だから内部での派閥争いがあるはず。きっとこの将校が存在するとしたら今の皇帝(前皇帝の甥)に近い血の人間なんじゃないかな」という。


 ふーーーん、と言いながらミコは懐からすっぱい味のアメを取り出して舐め始めた。口の中でアメ玉を遊ばせながら、ミコは舌を巻いた。さすが軍学校でも成績優秀で近衛師団に配属されただけあるなあ…。

 サーシャの極度の照れ屋な性格をミコも長年の付き合いで分かっていたので、その思いは口には出さなかった。


 空にはぼったりとしたねずみ色の厚い雲が出てきていた。


 その後、二人は宿から出て広場を目指して歩いていた。何やら催しをしているらしく、人が集まっていた。

 近づいてそれが何かと気づいた二人は思わず閉口した。

「な、なんだろうは…。」

 ミコは震える指でそれを指した。サーシャは返答する余裕もなく、手で口を抑えていた。

 目にしたのは手を縄で縛られた集団、そしてその先に続く絞首台だ。

 絞首台の付近で、メガホンを持った人民帝国の軍人と思われる黒い制服を着た男が喋った。

「これらは、若き皇帝陛下の統治下において奴隷登録を行わなかった反逆者だ!これより以下の者達に刑を執行する!」


 合図と共に、ボロボロの布を着けた男女やエルフと思われる耳長の生き物など数人が台の上に立った。ガタンッという音と共に、執行官がレバーを倒した。その瞬間、受刑者たちの足元の床が抜けて身体が宙に浮いた。作業員が何人かで死体を片付け、さらに絞首台に登らせる。

「なんなんだあれ…。」

 二人は絶句した。このエリスの街、いや人民帝国の街にとってこれは当たり前の光景のようだった。

 二人はこの様子に耐えきれず、近くの出店の辺りまで行った。

「おじさん!あれは何やってるんですか!?」

 ミコは何かを吐き出しそうな顔をしながら店員に聞いた。

 看板には、『ナイスでアイスなシュライバー』と書かれていた。


「嬢ちゃんたち、外の国から来たのかい?アレは魔女狩りって言うもんだ。この国じゃ魔法使いや人間に準ずる知能を持つ魔法生物、魔物はとことん排斥されるんだ。この国で生きるには奴隷になるか、隠れて逃げ過ごすしかない。」

「​─ところでなんか買ってくれよ。」

 店員は鼻の下に生えたヒゲがトレードマークの中年だった。この店ではアイスクリームと蒸した芋を売っているらしく、サーシャとミコは昼飯としてそれを買った。

「一体なぜそこまでするんですか?」

 先程の衝撃から落ち着いたサーシャは改めて質問した。

「パーシバル家だよ。」

 と店員のオヤジはぶっきらぼうに答えた。

「パーシバル家の意向がこの国のルールだ。ここ20年くらいからだな、魔法使いをあれだけ厳しく取り締まり出したのは。やっぱりほら、魔法使いに対抗出来る技術が出始めたからな。」


 工業革命の成立は、連邦と同様に人民帝国にも反魔法族の波が来ていたのだった。だが人民帝国の場合は、連邦よりも単純ではなかった。


「俺も噂でしか聞いたことはないが、パーシバル家は魔法使いの家系だそうでな。昔は魔法という特別な力を民に見せる事で支持を集めていたらしい。だが前の皇帝陛下も今の皇帝陛下も魔法を使ってるところは見たことねえなあ…。」

 喋り好きなこのオヤジはサーシャが質問する前に次々と喋り出していた。

 サーシャも口の中の芋を飲み込んで喋り出した。

「もし魔法使いの家系という噂が本当なら、自分たちの支持を損なわせる恐れのある魔法使いたちを排除したい…!と。」

 サーシャは納得した。店員も、そうだと言って相槌を打った。



 一般的にどの国も、魔法使いへの近年での差別傾向とは変わって、エルフなどの魔法生物の差別は改善されつつあった。

 弓と剣で戦う時代のエルフというのは、長い寿命と魔法だけが取り柄というだけで男から襲われたりしていたが、そういった歴史を経てエルフというものは人間にとって特別ではなくなっていた為に、差別というものは少なくなっていた。が、人民帝国のように差別文化が残る国も少なからず存在している。


 驚きの話を聞いた二人は、急に恐ろしくなってまた歩き出した。観光客という扱いの自分たちが魔法使いを疑われて絞首台に上げられたらたまったもんではない。

 しばらく歩いた二人は、大通りながらも人通りの少ない所まで来た。道中、二人は無言だった。

「どう…思う?ミコ。さっきの。私たち、魔法使いだよね…。」

 人民帝国の恐ろしさを目の当たりにしたミコが口を開いた。サーシャの脳裏には、もしこの戦争に連邦が負けた時、ああいう風に自分や友達や故郷の魔法使い仲間たちも吊るされるというイメージが克明に刻まれていた。


「ん…。ああいう風にならない為に、いや。この弾圧から魔法使いや魔法生物を解放するためにも、私たちはこの戦争に負ける訳にはいかないんだ…!」

 ミコの目には決意の火が宿っていた。その様子を見てサーシャも、元気を取り戻した。

 せっかく18年前、故郷でお母さんやデラクールさんが戦って勝ち得たからこそ存在する今があるんだ…!それをまた邪魔される訳にはいかない…。ミコはそう思って右手に力を込めた。バタバタと戦争に巻き込まれた若い娘の心に、この日から大きな成長が生まれた。


 二人がそれぞれ想いに耽っていると、左の細い路地の方から物音がした。

 バーンッ!と金槌で思い切り金属を叩いたような音が二人の耳を刺激する。

 瞬時にミコとサーシャはそれを察知した。魔法だ。

 二人は頭を出して路地の方を見た。暗い路地の奥には人民帝国の軍人がうつむけに倒れていた。それよりも目に入ったのはミコたちよりも幼そうなブロンドの髪の女の子が、銃を持った軍人二人に追われてこちらに走ってきているところだった。


「どけ!」

 少女は頭を出していたミコたちに言うと大通りに飛び出る。しかし右足の踵で滑りながらブレーキを掛けて左に方向転換した。ミコたちからは丁度背中が見える位置だった。

 続いて散弾銃と思われる武器を持った軍人二人が追いかける。だが彼らにとって幸運なことに、逃げていた女は足がもつれて転んでいた。


 軍人の片方は銃を向けながら退路を塞ぐように、逃げていた方向へと回った。ブロンド髪の女は挟まれてしまった。

「レジスタンスめ、反逆罪で逮捕だ。」

 意地の悪い笑顔して軍人が笑った。ブロンド髪の少女はゆっくりと立ち上がった。思わずミコも荷物から軍刀を取り出していた。


「動くな。随分手間取らせてくれたな、魔女という名の出来損ないめ!」

 長く走っていたのだろう。肩で息をしている。そして恍惚とした表情を浮かべて、銃身を少女に近づけた。


 少女は観念したかのような表情をした。

「​──はぁ…安全装置セイフティが掛かってるぞ、新米ルーキー。」

 両手を上げて無抵抗をアピールしていた少女が、ため息をついてボヤいた。

「は、はあ!?」

 まだ若手と思われる軍人が、警戒しつつも自分の散弾銃を確認した。その隙を少女は逃さなかった。


 素早く体勢を下げて正面の軍人の懐まで近寄ると、鳩尾に数発拳を叩き込み、軍人が苦しさから腕が緩んだところで彼の持つ散弾銃のストックの部分を思いきり顔にぶつけた。あまりの衝撃に軍人は泡を吹いて倒れた。その間に散弾銃を奪い取る。

「このガキ!!」

 背後にいたもう片方の軍人が、銃を向けてにじり寄ってくる。この場で殺す気だ。さすがに少女も、振り返るまでにロスがあった。


「ビロステイ・フォルティガ!(転ばせろ!)」

 何かが破れるような音と共に、オレンジ色の閃光が飛んだ。軍人は背後から飛んできた魔法によって見えない段差に躓いた。

 少女が振り返った時には、転んだ軍人が目の前にいた。躊躇なくトリガーを絞る。即死だった。

 ミコは抜刀してその剣先を人民帝国の軍人に向けて魔法を放っていた。この状況に、いても立ってもいられなくなったのだ。


「君、大丈夫?」

 ミコは少女に尋ねる。少女は銃をこちらには向けなかった。この女に助けられたということは分かっていた。

「あなたは、誰だ?」

 銃こそ向けなかったものの、少女は警戒の目をしていた。

「わたしはナルヴィンスク連邦西部方面軍所属の魔法使い、ミコ・カウリバルス中尉だよ。」

 ミコはニコニコして話した。サーシャは転がっている死体を直視出来ず、顔を背けていた。

「僕は…は?連邦の​──しかも軍人の魔法使いだって!?何故ここに…?」

 少女は驚きを隠せなかった。


「細かい話はあとだ。早くここから離れよう。」

 そう言ってミコは、宿屋へと連れて行った。話を聞いてみると、少女は大変な経歴だった。

 少女の名前はマキナ・ハヤサカ。桜華皇国生まれの母親独りで育てられた。生まれつきで小さい時から魔法が使えるため、隠れて生きてきた。しかし、この国のやり方に気に入らないマキナは魔法使いやエルフたちのレジスタンスコミュニティに入って打倒皇帝の為の妨害行為をしていたという。


「僕はこの国が大嫌いだ。何故魔法使いというだけで奴隷扱いされなきゃいかないんだ!どれもこれも、パーシバル家が悪いんだ…。」

 ミコはうんうんと聞いていたが、サーシャはマキナに対して「僕」という一人称やルックスから、ボーイッシュな服装が似合いそうなどと考えていた。


 しかしそんな考え事に浸る時間は短かった。ミコがマキナを連邦の国防軍にスカウトし始めたのだ。

「ちょちょ、ちょっと待ってミコ。軍人はアイドルじゃないんだよ!」

 サーシャは焦りだした。

「まあまあ、クレセント・コマンドで世話を見ればいいんじゃない?丁度魔法使いが必要なんだし。」

 ミコはニコニコしながら返した。マキナもその気の顔をしていた。彼女曰く、銃の扱いも慣れていて魔法もそれなりに扱えると言う。

「でも許可は…ああ、エドヴァルド師団長は簡単にOKしそうだ…。」

 サーシャはマキナをスカウトし、運用する為の手続きを考えたが、ことごとくそれはすんなり通りそうだと分かってしまった。

 彼女は以前、エドヴァルド師団長のもとで働いていた。


 こうして、クレセント・コマンドに新たな魔法使いが加わった。

 マキナという新たな魔法使いの存在が加わったのと同時に、人民帝国においても新たな旋風が巻き起ころうとしていた。


 ミコにとって長い間ライバルとなる存在、『雷鳴のベルセルク』がその姿を現そうとしている。さらに、連邦の反攻作戦の日はジリジリと近づいてきていた。


 ─1918年 4月8日 フランブル地方 西部方面軍 第1独立機動支隊

 続く

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る